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安倍元首相が国葬儀の3ヶ月前に引用 - かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ(山縣有朋)

おそらくSNSに関心のない菅義偉前首相はご存じなかったようですが、安倍晋三元首相の国葬儀に際し、弔辞の中で菅前首相が引用された山縣有朋の歌が、凶弾に倒れる3週間ほど前に、安倍元首相が Facebook(葛西敬之氏への弔辞)で引用されていたことと、弔辞の中で菅前首相が紹介された岡義武著「山縣有朋 明治日本の象徴」を安倍元首相が2015年1月に読了されたと Facebook に掲載された同書の表紙の写真に書き添えられていたことが広く知られるようになりました。


2015年1月12日 月曜日 19:29

今日は官邸で開催された来年度予算についての政府与党政策懇談会に出席しましたが、週末三連休、一昨日はゴルフ、昨日はお墓参り。河口湖の山荘でゆっくと過ごしました。
その間、読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。
知人から進められ手に取ったものです。明治の元勲で彼ほど嫌われ、同時に自身に権力を集めた人物はいないでしょう。同じ長州人でありながら、路線等の相違から権力闘争の敵対者となる伊藤博文とは対象的です。
伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠みその死を悼みました。
本心だった様に思います。


2022年6月17日 金曜日 18:05

一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。

「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」

葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。

(写真:産経提供)


財界で保守の最重鎮であった葛西敬之氏は明治から令和に至る日本の官僚制度の礎を山縣有朋が築いたと評し、山縣有朋を尊敬してやまなかったそうですが、2014年12月27日に虎ノ門のホテルオークラ「山里」で安倍元首相と会食した折に、正月休みにどんな本を読むべきかと聞かれ、すぐさま学生時代(東京大学)の恩師である岡義武の「山縣有朋 明治日本の象徴」(岩波書店、1958年)を挙げたそうです。(ゴリゴリ葛西敬之「傲岸不遜のトンデモ言行録」――山縣有朋に憧れる“最後の帝国官僚”の正体、ZAITEN(ザイテン)2020年2月号)

安倍元首相は同書を早速手に取り『一昨日はゴルフ、昨日はお墓参り。河口湖の山荘でゆっく(り)と過ごしました。その間、読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。』と2015年1月12日に Facebook に掲載された同書の表紙の写真に書き添えられています。

また、ジャーナリストの歳川隆雄氏は現代ビジネス(インターネット版)で次のように述べています。

『安倍氏が「いつ」「誰に」勧められて同書を手にしたのかである。契機は2014年12月27日に安倍氏の有力財界人支援者として知られた、当時の葛西敬之JR東海名誉会長(5月25日逝去)との東京・虎ノ門のホテルオークラ「山里」での会食だった(同席者は安倍氏の側近1人)。

安倍氏が葛西氏に正月休みに読むべき本を推薦してほしいと頼んだ。同氏は自分が東大在学中に教えを受けた岡教授の名前を挙げ、「総理と同郷の山県有朋について書いている本があります。それを読まれては如何ですか。」と答えた。

そして安倍氏は翌年初頭までに読破し、2010年代半ば過ぎまで山県有朋研究をしている。天皇制の根幹となる「軍人勅諭」と「教育勅語」を策定、治安維持法の制定、さらに国民皆兵(徴兵制)と軍の天皇親率(統帥権の独立)を果たした。それ故に、その後の昭和の軍部独走のレールを敷いたとして不人気なのだ。一方で、わが国に地方制度と官僚制度を確立し、「近代国家日本」の制度設計を担った。

それでも大日本帝国憲法制定、内閣議会制度を導入した初代内閣総理大臣の伊藤博文と比べると歴史教科書的評価は低いし、人気もない。いずれにしても安倍氏は、明治、大正2代にわたった「元老政治」の象徴となった山県に刮目したのである。要するに、安倍氏は当時から山県研究に注力していたわけで、つい最近になって「読みかけた本」ではないということだ。』

この男はまだ枯れていない…菅義前首相の大絶賛の「弔辞」に見え隠れした「言外のアピール」

弔辞の中で菅前首相は『衆議院第一議員会館、千二百十二号室のあなたの机には読みかけの本が一冊ありました。岡義武著「山県有朋」です。ここまで読んだという最後のページは端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。』と述べられましたが、おそらく「読みかけの本」ではなく、安倍元首相は、葛西敬之氏の葬儀の後、Facebook で引用するために(2014年末に葛西敬之氏に薦められた)同書の中の山縣有朋の歌にマーカーペンで線を引かれ、ページの端を折られたのではないかと推測されます。

ともに松下村塾出身の山縣有朋と伊藤博文の関係は半世紀に渡り幾多の紆余曲折を経たようですが、安倍元首相が端を折られたページの先は次のように続きます。

『伊藤博文歿後、元老としては山県のほかには松方、井上、大山(厳)の三人があった。しかし、大山は政治にさほど関心をもたず、松方、井上は財界に対してこそ大きな勢力と発言権とをもっていたが、政治の世界においてはともに元老の一人にすぎなかった。しかも、大山、松方は山県と親しく、とかく彼に同調した。しかも、これらの元老は、山県が政治の世界に周到に布置して来たその大きな派閥網、その上に築き上げて来た巨大な勢力の前には、その影はとかく薄かった。そこで、過去の政治的閲歴と内政・外交に対するその識見との故に山県と対立しつつ重きをなしていた伊藤が一たび歿した後は、元老の間での山県の発言は正に圧倒的なものになった。そして、この彼は伊藤の死とともにそのあとを襲って三度目の枢密院議長に就任した。』(岡義武「山県有朋 明治日本の象徴」、岩波書店)

菅前首相は山縣有朋と同じ道を歩まれるのでしょうか...




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