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【横浜】土木酒場女将とモダン横浜へ!日本一の港町を、ドボク目線で解き明かせ

土木をつまみにおしゃべりの場を作っている土木酒場のミカ女将です。
まち歩きツアーのまいまい東京で、横浜が近代日本の発展に果たした役割とそれに寄与した人物を紹介する徒歩3時間コースを作りました。
港、道路、水道の近代化は横浜で試行され、全国に広まったといっても過言ではない!2022年から春・秋に開催している街歩きコースをちょこっと紹介します。
次回は2024年10月26日(土)開催です。お申し込みはこちら


このまち歩きツアーのみどころ

〇〇発祥の地といえば、横浜。
ナポリタン、食パン、アイスクリームなどの食べ物。テニス、ラグビーなどのスポーツ。
そのきっかけは何か?

それは、幕末から明治初期の開港です。
横浜は、函館、長崎、神戸、新潟とともに開港した開港5都市のひとつ。

横浜マリンタワーからの山下公園方面を望む

開港とともに、わんさか人がやってきて活気づきます。

しかし、急激な変化は時として社会問題を引き起こします。
コレラのまん延、火災、水不足などなど。

それら社会問題の解決したのが、土木技術者として日本にやってきた外国人。ブラントン、パーマー、モレルです。
横浜は、近代道路、近代上下水道、鉄道も発祥の地なんです。

横浜で活躍した土木偉人たち
(「X土木偉人かるた」より)

本コースでは、ブラントン、パーマーの外国人技師に加え、横浜ゆかりの日本人が尽力した日本大通り、横浜公園、近代下水道、吉田橋、吉田新田、野毛山浄水場などを歩いて巡ります。これらの施設を、いつの時代にどんな課題がある中で、彼らがどのような思いで完成させたのか思いを馳せます。

コースルート

スタート地点 みなとみらい線「日本大通り」駅 →
1.横浜開港資料館 → 2.近代建築群 → 3.卵形煉瓦下水道 → 4.旧横浜商工奨励館(内部) → 5.日本大通り → 6.横浜公園 → 7.吉田橋 → 8.長者橋 → 9.旧野毛山配水池 → 10.尻こすり坂 → 11.日本近代水道最古の水道管
→ JR「桜木町」駅 (解散)

日本灯台の父!ブラントンのゆかりの地


ブラントンの胸像。
横浜ベイスターズの応援に横浜スタジアムに来た時には会いに来てね。
帽子とおひげがチャーミング。
ブラントン胸像の視線の先は日本大通り。
ここから港までのわずか430mはなぜ日本大通りと呼ばれたのか。
この日本大通りを含む都市計画にブラントンは携わっていました。
開港とともに上陸?したコレラ。
当時の日本は道路の堀割が下水道の役割を担っていたため、コレラのまん延に拍車をかけていました。ブラントンは、地中に埋めた瓦製陶管に汚水を流す近代下水道を整備しました。
この煉瓦造りの卵形下水管は三田善太郎がブラントンの下水道を改修工事でつかったもの。
(写真はレプリカ。中華街の某所ではまだ現役で使われているとか?)
吉田橋。関内・関外の関所でもありました。
日本で2番目の鉄の橋はブラントン設計のもの。
現在は吉田橋は5代目。欄干が当時の面影を残しています。

近代水道の父!パーマーゆかりの地

パーマーは、近代水道の父と呼ばれます。
相模川上流の相模川と道志川の合流地点である三井(現在の相模原市緑区三井)を水源として、そこから水を横浜に引いてきました。この水源から横浜村の高台の旧野毛山浄水場まで、約44kmに及ぶ旧導水管上の道を「水道みち」といいます。

44km区間の随所にある「水道みち」の看板
横浜市水道局のキャラクター「はまピョン」が案内してくれる。
山梨県道志村のきれいな川のそばで生まれたとか。44kmの旅をしてきたんだね。 

では、パーマーゆかりの地、ピックアップ。

イギリス製の獅子頭共用栓とブラフ溝。配水はこのような共用栓からできたらしい。
運が良ければライオンの口から水が出てくるかも。
「水道みち」で実際使われていた。鋳鉄(ちゅうてつ)管。パーマーのレリーフ付き。
近代水道の三大発明のひとつがこの鋳鉄管だとか。
覗くこともできちゃう。
高台にある旧野毛山浄水場。
なぜ高台まで水が引けたかって?それはある仕組みのおかげ。
野毛山にあるパーマーの胸像。
おまけその1
パーマーは横浜築港にもかかわってます。赤白堤防灯台の赤。
おまけその2
赤白堤防灯台の白は氷川丸の近くに移転。

新田開発!吉田勘兵衛ゆかりの地

吉田勘兵衛は江戸時代前期の材木商。
現在の大岡川と中村川に囲まれた横浜市中区および南区にまたがる商業施設
や住宅のある横浜の中心地(下図:点線内部)が、実は開墾された新田なんです。
その新田開発を行ったのが吉田勘兵衛です。
江戸の初期平和の訪れとおもに江戸の人口が爆発的に増加し、食料を供給する新田開発は重要な事業でした。この大工事は、1656(明暦2)年から始まりましたが、翌年の集中豪雨により失敗。しかし、1659(万治2)年に再開し、1667(寛文7)年、ついに新田開発を成し遂げることが出来たのです。平和な時代に幕府が公共事業を推進することでこれまでにない豊かさを手に入れ、それが江戸末期から明治初期の開港の場所に選ばれる礎になっていきます。

中村川と大岡川に囲まれた(点線内部)が吉田新田。
ちなみに、日本大通り付近は砂嘴(さし)だった。横(にのびた砂)浜→横浜の由来とも。
京急日ノ出町駅の裏手の天神坂にある吉田勘兵衛の碑と井戸。
吉田新田の埋め立ては天神山を切り崩したそうだ。
天神坂を登ると旧野毛山浄水場にたどり着く。
吉田新田を開いたときに吉田勘兵衛が掘った大井戸。
清正公堂。清正公とは加藤清正の敬称。
初代吉田勘兵衛の住居跡に復興されている。加藤清正公は土木の神様と呼ばれています。

世界で一つだけのマンホール

まち歩きのゴールは桜木町駅。
ここに、世界に一つだけのマンホールがあります。
それがポケモンマンホール『ポケふた』。1枚1枚がオリジナルのデザインで、それぞれが世界に一つだけ!ピカチュウに会いに行こう。

ポケモンマンホール『ポケふた』


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