Day212 彼らが追いかけていたもの
昨日に続き、とても印象的に覚えている部活動の2つ目の思い出は、中学から一緒に続けてきた仲間がマイルリレーに出たときのことだ。私は規模の小さい中学校においてはかろうじてリレーのメンバーに入れていたが、高校はド底辺だったために、補欠に選ばれることすら可能性になかったので、私は仲間の応援しかできなかった。総体で中学から続けていた仲間が大トリのマイルリレーの決勝に出るとき、自分が応援席に居ることの苦しみと、仲間が堂々とユニフォームを着てホームストレートを流しているのをみて湧き上がる喜びの葛藤のさ中に私はいた。ピストルの音がなるまでずっと落ち着かなかった。部員全員が集まって見守る中、リレーメンバーの顔にも緊張感が見られる。陸上部の名誉をかけて走るといっても過言ではないくらい、大きな何かを背負っていた。そして彼らがバトンをつなぎ、そして中学の仲間が後者にバトンを渡す瞬間に、フラッシュバックというか、瞬間的に3年前の彼の走る姿を思い出した。たしかそのシーンは、中学総体のリレーの予選で、初めてバトンパスが上手く繋がらず、失格と分かっていながらも涙をこらえながら4走の私に向かって走ってきた彼の顔であった。あのとき決勝に言っていれば、関東大会に行ける可能性が確かあったが、その夢は惜しくも敗れた。でも3年後の彼のバトンを渡す瞬間の表情は変わらなかった。もちろん走っている最中に顔で感情を表現するほど余裕などない。でもふと、その瞬間を思い出した。4走が走り終わるころには、もう目のまえで何が起こっているのかわからないくらい、必死に応援していた。ゴールラインを最終走者が駆け抜けた後に、ふと周りを見渡すと、部員の多くが泣いていた。応援席にいる部員たちも、夢中だったのだ。どうして私たちが泣いていたのか、具体的に言語化するのは難しい。ただ一つ言えることは、映画やドラマを見て感動した時に出る涙とは異なるということだ。それらの感動は意図して涙している。が、あのリレーが終わった後に気づいたら泣いていた。無意識に、今までの彼らの努力やまっすぐに練習に取り組む姿勢のすべてを思い出して、まるで自分まで走っているかのように選手を身近に感じることができたからだろう。もちろん、人間の本能的に、走っている獲物を捕らえるために一種のフローの状態に入ることができる。没頭することが出来る。が、4年前の今頃の私たちが目撃したのは、まぎれもなく夢を必死に追いかける姿であり、共に練習を乗り越えてきたから共有できた目に見えない「何か」がそこにはあった気がしているのである。
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