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学校教育におけるパノプティコンを利用した支配の部分的な破綻

パノプティコンとは、ギリシャ語で「全てを見回す目」という意味なのだそう。
本日、娘のレポート作成のお手伝いに駆り出されて、はじめて知った言葉でございます。

パノプティコンってなんじゃいな?って方は、こちらの方の説明でもおよみいただけるとよいと思われます。
娘のテキストのコピーよりも、とてもわかりやすいです(;^ω^)

で。
パノプティコンって、監視する目、なわけですよ。
イギリスの哲学者ベンサムさんが、囚人の自力での更生を促すために考えた収容者の全展望監視システムです。

刑務所や上記の記事では実際に誰かの目がある子との話をしているんですが、これをみて私は、「人目を気にする」という実際には見られていないけれど、見られている感じが「横並び主義」とか「同調圧力」みたいなものを生み出しているのだと感じました。

私たち現代人は、管理するものにとって好ましい行動を自発的にとるための身体訓練をしてのは?と思ったのです。
学校教育って、あちこちに「監視の目」あるじゃん!と思ったわけですよ。
その結果、パノプティコン的な効果で、学校やら社会という枠の中で従順に生きいく術を身につけていくように感じましたの。

ここ数年でパラダイムシフトが起こってくる

コロナ禍により、大人の生活様式が大きく変容して、そこに伴い、子どもたちの生活や価値観も大きく変わってきてるようにみえます。

不登校を選択する人の増加は、子どもたちのメッセージですよね。
パノプティコン効果を利用した従順化訓練にNO!を言っちゃう子が増えるんだと思います。

人目は気になるし、人と違うことをすると仲間外れにされる。だけど、自分らしく在れっていうじゃん、どっちなんだよ!的な混乱が子どもたちの中に起きてる気がします。

今後、こういう子が、どんどん増えます。
絶対に加速しますよ。

大人の側も混乱起きてます。
教育機会均等法の改正で、「学びの場は学校教育だけじゃないからね、学校に来たくないならNO!って言うのも受け止めるよ」と謳っているからです。

一昔前までは、教育に対する価値観って、社会の発展のため、みんなの豊かさのために…みたいな意識で社会全体が行動してきたものに、この20年くらいで多様性だのダイバーシティだのってことを言い出したもんだから、親も教育現場も大混乱!なんだろうなーと思います。

法律の改定も、多様性を認めてくれるための世の中の動きもありがたい。だけどね…

学校嫌いの子どもたちを育てる親にしたら、歓迎したい流れなんですけど、常識的によき市民として生きてきた人ほど、子どもが不登校になると、親も子どもも「どーしたらいいねん!」ってなると思います。

旧体制が根深く浸透している学校(全ての学校じゃないけどね)と、理想を語るメディアと、いろんな本音が散見されるネットの情報にさられさているからです。

さらに。
スマホやパソコンを利用する時間の増加、という生活スタイルの変化も、不登校の増加を加速します。

しかも、ネットやゲームでお気軽に現実逃避できるんですもん。
ゲームやネットは、心を守る武器にもなるけど、けどね…ですよ。
そりゃ学校に行けなくなりますよ。

ゲームとか悪くない、全然悪くないし、私は全然楽しめないので、「その楽しさ感じてみたいわ」とも思います。
私はゲームはしないけど、ストレスフルになると動画を過剰に異常に視聴することがあるので、向き合う時間の長さは、ゲームと同じで問題にあると感じてます。ゲームも動画も、デジタル系のコンテンツは付き合い方は難しいです。

ICTの普及は恩恵もあるけど、デメリットも多い

価値観の混乱+デジタル化した社会生活によって、私たちが子どもだったときよりも、学ぶことの意味や意欲が持ちにくくなっているとも感じます。

実体験が激減している
体をつかった遊びよりも先にデジタルの刺激にさらされてしまうことも大問題です。
こうしたことも加わり、

学ぶ目的や意欲がわからない子。
経済的に学びたくても学べない子。
学校が提供してくる優良な労働者になるための学びに馴染めない子。
そんな子どもたちが、この先もどんどん出てくるとしか思えないです。

今の教育は、優良な労働者をつくるための構造化されたシステム


しつこいけど、今の義務教育って、そもそもが従順な労働者を作るために構造化されたシステムです。
労働者の側にもメリットがあった。
だいぶメリットがあった。
庶民の識字率の向上って、国にとっても個人にとってもwinwinですからね。

でも、その一方で、従順な人な労働者になるためや軍属していくたの訓練にもなっていたわけですよ。

なので。
多様な個性をもった人は、多様性を否定されないで育った子ほど、その枠に収まってくれないですよ。
そんなん、あったり前田のクラッカーです!

と。
思った夜でした。

人の目を気にするか、自分の気持ちを大事にするのかは選択できる

私は、自分も我が子も、「みんな同じは頑張ってもできません」だったので、人の目は早々に気にしない選択をしました。

同じができない辛さもありましたが、「それでいい」と思いますし、同じ辛さを感じている人が増加しているいまの世の中も感じます。

そして、こんな私たちを支えてくれるのは、自分の「センスオフワンダー」なんだとも思った夜でもありました。

学びってさ、教えられたことを従順に覚えるのではなくて、楽しいを感じたあとに湧き出る「知りたい!」という意欲から始めた方が身につくから!
とマジで思う。

教えたことに従える子を育てようとする教育システム、もうやめた方がいいよ。

ゲームもネットも楽しいけど、「他の遊びも体験もすっごく楽しいよ」って言ってる子どもたちが増えたらいいなぁ。

貴方も、そう思いませんか??

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