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親が頑張ることと、子どもの育ちは鏡の関係

3月上旬から始まった『コロナ禍』でのながーーいお家時間。
子どもたちが全然勉強しないの! 
規則正しい生活させなくっちゃ!
ゲームばっかりだし、昼夜逆転しはじめてるし!
スマホはやめなさい!って言ったら、好きなことばっかりやってる……等のお悩みないですか?

あるある!と思ったあなた
困ってる最中!と思った方、ぜひ読んみてください。

コロナ前から規則正しい生活をしっかりされてきた方は、あまり困り感は少ないかもしれません。でも、日中お子さんの相手ができないご家庭や、我が家のような生活のリズムが学校時間をこなせるために動いるようなお家の方は、ぜひ!

子は親の鏡 

多くのご家庭で、うちで子どもたちの教育しなきゃな~とか、
もっとちゃん規則正しい生活させなきゃ!とか、しなきゃ!!
って、程度の差はあるけど、多くの親が思ってますよね?

でも、ちゃんとできてないの、当たり前です。
なぜって、『親は子ども鏡だから』です。

え? ええーーーー?
あんた、何言いがかりつけちゃってんの?
私、まじでちゃんと生活しているし、子育てだって頑張っているよ!
子どもに勉強させるために、こんなに一生懸命なのに、あんたバカなの?!
って思った方、おめでとうございます!
今よりも『楽な子育て』に向かう、きっと価値の大きい、深い気づきができるチャンスです!
イライラした分、『大事な気づき』が得られることと思います。

下の文章は、『子どもが育つ魔法の言葉』 (PHP文庫)の「子は親の鏡」からの引用です。15年近く前に流行ったの、知ってます??

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉(ほ)めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世はいいところだと思えるよになる
         ドロシー・ロー・ノルト著『子どもが育つ魔法の言葉』

今、改めて読んでも「素敵だわ~♡」と心から思います。
これが全て実践できていたら、きっと、主体性のある素敵な大人になる子が育ちますよね♪ 私など今さら感満載ですが、どっかに張っておきたいくらいの名言だと思います。

ということは、
子どもがお家で勉強や規則正しい生活ができないのは、やっぱり親のせいか?
という風に思われると思うのですが、そういうことでもない! と、子育て失敗山盛りの『こじらせ母』だった私は、断言いたします。
「子は親の鏡だからうまくいかない…」の意味は、頑張って頑張って、めちゃ頑張って、この名言を実践しようとした私が、失敗から気づいたこそ気づいた「子は親の鏡」ということでございまして、たぶん多くの方が同じ過ちを犯しそうなことについて……なのです。

あなたははどんな育ちをしてきましたか?

ドロシーさんの「子は親の鏡」という子育て論、ちょっとどころか、けっこうな修行が必要だと思いませんか?
読むと心がチクっとしたりしません?

えー、全然、普通じゃない?何が修行なわけww
と思ったあなた!
あなたは素晴らしい!
素敵な親御さんに、豊かな人生の土台を作ってもらえたのでしょうね♪
そんな育て方されている人がいたら、マジで心から羨むと思いますので、ぜひご一報を。

逆に、「こんなの無理無理!」
「シンドイのがわかる!わかるよ!」
「これ、修行でわよ、奥さん!!」と、
思った方と、心がチクっとした人は、
親や周りの大人から「けなされて育った」という記憶持ちだったり、
とげとげした家庭で育ったり
親が不安な気持ちだったのかもしれません。

また、病気がちだったり、人と違う容姿だったり、障害をもっていたり等でいろいろな場面で、「かわいそうな子だ」と言われて育っていたり
高頻度で馬鹿されていたり、
他人を羨(うらや)んでばかりだったり
いつも、叱りつる親に育てられたり…… だったりしませんか?

私、残念ながら、全部に自覚ありでした。
親に養育された期間は長くないので、祖父母との係や姉妹との関係の中で、これらはありましたし、狭義でも広義でも、私はAC(アダルトチルドレン)なので、育ちトラウマの山盛りなものですから、当たり前なんですけども。

でも、その自覚があったからこそ、この「子は親の鏡」のような子育てしたい!と、今、22歳と18歳の子どもたちが小さなころは、まー「ちゃんとした子育てしなきゃ、子どもが可哀そう!」と意気込んで頑張っておりました。

おまけに、夫(元相方)の家の方も、相当激しいDVあったらしいので、どっちにころんでもまともな家庭環境ではなかったため、こりゃもう「子育てを勉強するっきゃね!」となり、ストレスマネジメントにNLPやらコーチングやら、テクニカルなスキルを学んだりして、上手にほめて、励まし、子どものありのままを認めよう…と、頑張って努めてましたの。

すると、この努力や頑張りは、やればやっただけ効果が出たように見えたんですね~。張った分だけ、手ごたえ感じました。楽しかったです。
子どもの泣くのをやめさせたり、ちょっとした心理誘導だったり、私が好ましいと思う行動をさせることができたりもしました。

テクニカルなアプローチで、子どもたちや他者に接することは効果大です。
だから悪いことではないです。好きではないけど否定はしません。

それに。
私が後付けで学んだことの多くは、多くの人が育ちの過程で家庭の中で家族との関わりで身に着けることだったのでは?とおも思います。
「適切なかかわり方」をほとんど知らなかった私には、「基本の型」ともいえるコミュニケーションスキルを、上の二人の子どもたちが幼子だった時期に知って、実践できたことで得られた効果は、とても多かったのです。

その結果が、この達成感が、私がもっともっと頑張る私にさせていきました。

「わたしが変われば、子どもは変わる?」

「わたしが変われば、子どもは変わる!」という言葉がいつしか座右の銘になっていました。私が頑張って賢いお母さんになることは、家族のための正義なんだ! と思い込んでいきました。

しかし。
発達に凸凹のある子どもたちは、社会や学校に違和感を持つことも多く、社会的に問題視される事態も多々発生しました。
元夫と私、父と子の間の関係性等々も含めて「子どもに関わる問題にみえること」を私が解決しようとしました。
私のどんな対応がこの結果を招いたのだろうか?
私の何が悪かったんだ? と、子ども自身や家族の問題に対しても過度に自分に責任を負おうとしていました。

表面上、うまく取り繕うことはうまくできました。
だから、どんどん、「私が変わればいいんだ。私が努力すればいいんだ…」という勘違いが深くなりました。
「わたしが変われば、子どもは変わる」 という言葉の持つ本来の意味を、自責癖のある私が歪曲してしまったのです。

上の子どもたちが思春期になり、一人目の子どもは、高校時代に学習障害や発達上の特性が引き金となって軽度に引きこもったり、二番目の子どもも、中3のときに「もう頑張らない」と宣言するかのごとく、学校に行くのをやめましたし、「やり直したい」といった高校生活も2年生の3学期から登校しなくなりました。

不登校や心の乱れや心身の不具合などの形で子どもたちが発してくれたメッセージから、やっと、やっと、私は自分のやり方が、子どもの成長のための学びのチャンスや主体性を損なっていることが理解できるようになりました。

子どもの問題は、子どもの問題です。
私が解決することではないです。
彼らが負うべき責任と成長のチャンスを私が奪ってしまっていたのです。

また、私から問題に見えても
社会から問題に見えても、
それは本当に「問題」であって、修正や訂正が必要なのか?
という、その「問題」の主との考え方や価値観が違うこともあります。

こうした気づきを通じて、
第一子が成人を過ぎるころになって、やっと腑に落ちる気づきができたのです。

また、『頑張ってね』は「今のあなたは不十分だよ」 というメッセージでもあります。「もっと頑張らないといけないよ」と伝えているのではないでしょうか。子どもの「できないこと」という側面から、子どもを見ている証拠だとも言えます。
頑張っていた私は、頑張らない子を「情けない子」「根性がない子」という目でみていたと思います。
頑張ていた私は、自分自身に「今の自分はもっと頑張らないと何かが不足しているよ」と自分に言っていたのだと思います。

だから、頑張るのをやめました。
頑張らずに「ベストを尽くす……」と思うようにしました。
時間がかかりましたが、徐々に私の姿勢が変わっていくのとともに、
私が子どもの課題と割り切れるようになるたびに、
子どもたちが変化してきました。

「わたしが変われば、子どもは変わる」 とは
私が子育てスペックを増やして対応を変えることではなくて、
私が変わる…は、境界線を越えた過干渉をやめることであり、
私の内面的な自己イメージが変わることを指すのだ……と、ようやっと気が付けたのです。

「私の何が悪いのか?」
「私のどこを変えればいいのか?」という自責を常にしている親ではなく、
自分(親自身)も、子どものもありのままを受け入れて、「私は私でこれでいい」という親自身のセルフエスティーム高める自己受容こそが「私が変わる」という意味だったのだろう……と思うのです。。

そして。
「自分を好きだ」という親や大人の生き方が手本になり、
子どもはそうした大人に憧れて、その対象を模倣(真似)するのでしょう。

『子は親の鏡』とは

『子は親の鏡』とは、
「何とかしなきゃいけない。頑張ってほしい」という思いでみている親に、
「なんとかしなきゃいけない子ども」という姿を子どもが見せてくれているとも言えます。

「うちの子は大丈夫」という思いで子どもをみる親には、「こんな時期でも、あの子らしく毎日元気に楽しくやれている大丈夫なわが子」という姿を子どもはみせてくれます。

勉強は、やりたくないときにやっても嫌いになるだけ

好い所だけじゃなくて妙なところもあるけど、全部ひっくるめた「ありのままのあたしでOK!」となると、ドロシーさんの提唱する ほめて・認めて…等々は自然な行為になっていきました。

頑張るのをやめてみる。
これ、コロナ禍の今はすっごく大事です。

不登校の子どもたちを育たせいか、勉強が数か月おくれることへの不安はさほどないです。学校にいっていても学べない子も、学ばない子もいます。
それに、やる気のない子に無理に教えた成果は、『学力<勉強がつまらない』という思いだけなように思います。

今、親にできることは、親が不安にならないこと、であり、
頑張らなくても、私もあなた(子ども)も価値のあるすんごい人間なんだ!
生きてるって、健康って、すげーんだぜ!
と、子どもたちに伝えていきませんか?

今はどんな人でも「不安」におしつぶされちゃいそうなんですから!

だから、今は子どもの「ありのまま」と、
あなた自身の「ありのまま」を、「それでいいよ」と受け入れてみるのはどうでしょう?
すると、心の栄養がチャージされた子どもたちは、自然にできることが増えていくんですよ~。主体的に動きだすんですよ~。

あなたも私も、生きてるだけでも素晴らしい! 

どんなにグズでもゲスでもデブでもブスでも!です(笑)


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