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スマホの中の写真たち。

スマホの容量がいっぱいになってしまったので、ずっと保存し続けていた写真たちを消し始めた。
ビールやホッピーの写真がいっぱい入っていた。楽しく飲んだのだろうか?誰と飲んだんだっけな?話したことも全部忘れてしまった。どんどんどんどん消してゆく。

もう会わなくなってしまったひとたちも、スマホの中で笑っていた。頭の中で、こころの中で、忘れてゆくことと忘れずに残ること、それにはどんな違いがあるのだろうか?

少し前、友達だと思っていたひとと仲違いした。これまで何度もいっしょに飲んだのに、何を話したのか、おれは楽しく笑っていたか、もう忘れてしまった。ただ最後に会ったときに言われたことしか覚えていない。おれはどうしても許せなかった。でもそれも今は、どうでもいいように思えてきた。そうして忘れてゆくのだろう。

お母さんは去年、認知症と診断された。お母さんはその日の出来事や話したことをすぐに忘れてしまう。こうだったでしょ?と話せば思い出すこともあるのだけど、数分後にはそんなことあったっけ?ともう思い出せなかったりもする。最近のことは忘れても、昔のことはよく覚えている。でもよくよく話を聞いていると、前に聞いたことと微妙に違っていたりして、それが正しい記憶なのかよくわからない。でも記憶に正しいなんてないのかもしれない。見たいように見て勝手にそれを覚えているだけで、その後頭の中で作り替えることもおれにだってあるのだろう。

そしておれは今、スマホの中の写真を好きなように、残したいものだけ残してどんどん消している。だいたいの出来事は写真に残っていない。それでも強くこころに残るものもある。目に焼きついていることもある。

お母さんは最近とても感受性が豊かになったというか、涙もろく感動しやすくなったように感じている。お母さんのこころが震えるのをみると、おれはとてもうれしくなる。だからというわけではないのだけど、シネマ歌舞伎や相撲をいっしょに見に行ったりしている。お母さんが喜ぶのがとにかくうれしい。忘れてしまっても全く構わない。今楽しんでもらえたらそれでいいと思っている。そしてなによりおれが楽しい。








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