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健常者から障害者になって、気付くことができた「幸せ」

 僕は精神保健福祉手帳2級を持っている双極性障害なのだけれど。
 高校時代から病み始め、大学時代以降には向精神薬(抗鬱、抗不安、精神安定剤等)を常用しないと生きていけなくなった。
 逆にいえば、中学時代以前は健常者だったわけで。
 精神障害など遠い世界のお話だった。

 精神を病んで随分と長いので、「幸せ」ってなんだろう? というのがよく分からなくなってしまった。
 それは幸せについて考えることがなくなったというわけではない。
 むしろ、始終考えを思い巡らすことばかりの毎日だ。
 大袈裟かもしれないが、どうして生きているのだろう、とか、何故生きなくてはいけないのか、とか、生きた方が良いか、死んだ方が良いのか、すら考える生活が当たり前になっている。

 縁があって、作業所という障害者向けのバイトのようなところに通うようになり、忙しい毎日を送るようになったのだが、幸せについて気付いたことがあるので、記しておきたく思う。
 結論を書くと、

 幸せとは当たり前のように学校や会社へ行って、気がつくと歳月が経っていて、歳を取るのは早いものだな、と時折思いつつ、いつの間にか天寿を全うして、静かにこの世を去ることである。
 そして、幸せについてそれほど考える機会がないということである。

 というのが、最近の答えだ。
 胃が悪い人は始終、お腹のここがズキズキすると考えることが多い生活を送るが、胃腸など消化器系に問題がない人は、普段胃が体のどこにあるのかすら考えない。
 同じように、幸せな人は自分が幸せかどうかあまり考えたりしないもの。不幸せな人が、幸せって何だろう、とか、人生とは云々などと考えてばかりいるのだ。
 だから、幸せな人は自分が幸せだろうか、なんて考える必要がないから、自分の内面ではなく、視界が世界へ向けられている。

 幸せについて考えない人ほど、幸せだというのは興味深い話だと思う。


 

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