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ブラックリスト

医療保護入院

 僕は32歳の時、閉鎖病棟に幽閉された。医療保護入院だった。
 高校時代に人間関係でつまずいて、大学時代から本格的に精神安定剤などを服用するようになった。当時は自分がそれほど重症だという認識はなかった。だから、精神科医療に片足を突っ込んで生きなくてはならないとは考えていなかった。
 自殺未遂と、卒業論文執筆の余裕がないという事情で、2年間休学した。卒業は何とかさせてもらったが、大学院への進学を諦めて、田舎の実家に戻るより仕方なかった。
 地元へ戻って、療養生活をしようとした。
 だが、考えが甘かった。
 両親はうちの家系に精神病者はいないから、寝てないで働け、そうしないと家から追い出すぞ、と僕が休んでいると脅迫してくるようになった。
 怠けているのではなく、本当に苦しいから休ませてくれと懇願したが、無駄だった。
 家族総出で僕を精神的に虐待してきた。精神を病んでいる者を精神的に虐待するなどあってはならないし、許されないことだ。だが、僕の親は愚かで粗暴だった。鬼畜だった。
 無理矢理郵便局の配達のバイトをさせられた。僕は金など欲しくもなかった。ただ、休んで精神的に回復したかった。あまりに虐待が酷かったので、家族と一緒に自動車に乗せられたときに、重苦しい雰囲気に耐えられなくて、走行中にドアから外へ逃げ出したい衝動にかられるほど辛かった。そのまま死んでもいいと思うくらい辛かった。
 バイトはすぐにクビになった。当たり前だ。病人が働けるわけがない。それでも、両親は次のバイトを探せと脅し、僕は泣きながら働くしかなかった。
 限界が来た。
 僕は意識が朦朧とする中、ほとんど無意識のうちに自分の車で少年時代を過ごした場所まで運転して、故郷の街を散策した。
 心神喪失状態だった。
 よく裁判などで、弁護士が被告人の精神鑑定を依頼して、心神喪失、もしくは心神耗弱という診断を狙うことがあるが、そんな茶番ではなく、本当に心神喪失状態だった。
 僕は何故か書籍を合法的に無料で手に入れなくてはならないという強迫観念に襲われていたし、タクシーから日本の首相が降りてくる光景を見て、何故こんな場所にいるのか、と話しかけたりしたし、知り合いの家のドアに銀の皿と書かれているのを見て、ピンポンを鳴らして、何故銀の皿なのか、とインターホンで訊く、などの奇行をした。もちろん、幻覚によって行動していたわけだ。
 そして、ショッピングモールで僕は錯乱状態になったらしい。伝聞形なのは記憶が飛び飛びでしかないからだ。あとは、警備員たちが倒れた僕に叫んでいる光景や、救急車で移動している光景、担架で運ばれる光景などが記憶痕跡として残っている。
 僕は訳が分からないうちに、屈強な男性看護師数名によって無理矢理暗い部屋へと引き摺られていき、やはり無理矢理ベッドに縛り付けられた。無論、抵抗しようとしたが、力ずくで拘束帯の鍵をかけられてしまって、身動きできなくされた。
 そして、暗室にそのまま取り残された。
 どれくらい時間が経ったのか分からない。
 部屋は薄暗くて、時計がなかった。
 僕は何とかして縛られた状態から抜け出したくてもがいたが、無駄だった。僕の体を縛り付けている拘束帯には、鍵が何重にもかけられていたし、身動きできないように計算されて作られているから当然のことだ。
 トイレにすらいけなかった。
 助けてください、と何度も叫んだが、誰も来るわけがなかった。
 どのくらい時間が経過したのか分からない。
 突然ドアが開いて、看護師が困惑した顔で、僕が縛られている汚れたベッドを見て嘆息した。記憶が飛ぶ。


 次に意識が戻ったのは、刑務所の独居房のような場所だった。剥き出しの便器が床にあって、ドアには鉄の扉、反対側には鉄格子が嵌まっていた。また閉じ込められていたわけだ。
 記憶が飛んでいて曖昧なので、詳細な記述ができないのだが、僕は叫んだり、鉄の扉に体当たりしたり、暴れた記憶痕跡が残っている。
 時計などないから、時間の感覚がない。
 鉄の扉の小さな引き戸から、食べ物が乗ったトレイが一度部屋に入れられて、僕は出してもらおうとしたが、すぐに閉まった。
 やがて、男性看護師数名が鉄格子の向こう側に現れて、水の入ったコップを見せた。コップに手を伸ばしたら、看護師は手を動かして避けて、右か左か、と訊いたので、僕は返事をしたのだが、何を言っても上下左右に適当に動かすので、混乱した。
 最後にこの薬を飲むか、注射がいいか、と訊いてきたので、注射がいい、と答えた。
 男性看護師らは鉄格子を開けて、部屋に入ってくると、再び力ずくで僕を押さえ付け、尻に何かを注射した。記憶が飛ぶ。


 今度はまたベッドの上だったが、状況が多少違っていた。男性看護師と女性看護師一名ずつが傍らに立っていた。僕はやはり縛られていて、動けない。
 男性看護師が勝手に僕の履いていたジーパンを下ろそうとする。抵抗したが、身動きが取れないので、下半身を裸にされてしまった。女性がいるにも関わらず、だ。
 そして、これから管を入れるから動くな、と言ってきて、尿道にカテーテルを入れてくる。
 屈辱もいいところだ。人権なんかありはしない。
 女性看護師が水分を取りたかったら、頷くよう言ったので、仕方なくその通りにするしかなかった。
 カテーテルの先には吸引機が付けられているようで、強制的に搾尿された。
 ただの水分補給で、これほど人を馬鹿にした処置をする神経が理解できない。奴隷人形扱いも良い所だ。もう、この時点で僕の存在価値は否定されたようなもの。そして、将来の人生をも否定する暴挙だ。
 君には人権がないし、これから先もないという宣告だ。死刑判決よりもある意味酷い話だ。何の咎も、落ち度もないのだから。
 こんな馬鹿げた方法で、体内の水分を調整されたのだが、他にも方法はあったはずだ。どう考えても、故意に「人間失格」の烙印を押し付けようとする主治医の悪意ある嫌がらせか、社会からの脱落者として通過儀礼を施されたとしか思えない。
 また記憶が飛ぶ。


 突然、平手打ちをされた。
 目の前に白衣を着た男が座っている。その周囲には男性看護師数名が取り囲んでいる。男は訊ねた。
「私が誰だか、分かるかね?」
 僕は友人の名を挙げた。
「ああ、ダメだな、こりゃ」
 男はそう言った。
 実はこの男は僕の主治医で、医療保護入院をさせた精神保健指定医なのだが、人物の判別がつかなかった。それほど混乱していたのだ。
 また記憶が飛んだ。


 気が付くと。
 僕はまた部屋の中だった。相変わらずベッドに縛り付けられていたが、違うのは周りの壁が病院のそれであること、周囲のベッドにも患者たちがいることだった。
 僕の隣には、頭部をクッションで保護された老人が車椅子に座っていた。
 酷く混乱していたので、自分の父親かと錯覚してしまった。
 他にも患者たちが寝かされていて、時計の秒針がカチコチと鳴っていて、酷く神経に障った。精神状態は最悪で苦しかった。
 そして、馬鹿みたいに、助けてください、と言うしかなかった。
 部屋のガラス越しにどういう集団なのか、よく分からない人々がナースステーションの窓口に押し寄せていて、各々訳の分からない説明をして、ここから出してくれと懇願していた。
 僕はただ助けてください、と呼びかけるしかなかった。
 どのくらいその状態で放っておかれたかは分からない。
 ただ、苦しくて、身動きの取れない状態で拘束され続けていた。

閉鎖病棟(或いは、金の成る木)

 しばらくして、男性看護師が部屋に入ってきて、僕の拘束帯を外して、部屋の外に連れ出した。看護師は鍵の束を腰につけて、チャリチャリと鳴らしていた。さながら刑務官のようだ。
 そこは部屋の外ではあるが、建物の内部であることに変わりはない。
 廊下は窓が一切ない不自然な内部構造だった。天井照明しか光源がないので、朝か昼か、夜なのかも分からない。
 リノリウムの床が伸びていて、一定の間隔を置いて、壁面に接して部屋が設けられている。見知らぬ場所だ。僕は相変わらず訳が分からなくて、頭が混乱していた。
 奇妙な連中たちが徘徊している。つまり、患者たちだ。
 僕はナースステーション(とは実際には明記されていない窓口)の女性看護師にここから出してくれと懇願した。
「ここは病院ですよ」
 そう返事が返ってくる。そんなことは訊いてない。とにかくこの場所から出してほしいと再び願い出る。
「ここは病院です」
 僕が何を言おうが、同じ言葉を繰り返すだけだ。そして、窓口の小窓は閉ざされてしまった。
 おかしいのだ。
 普通なら、彼女はこう説明するべきなのだ。
 あなたは街中で錯乱状態になって保護されました。あなたは街から救急車でこの病院に搬送されて、医療保護入院をなさっております。ここは〇〇病院の閉鎖病棟です。精神状態が安定なさるまで、この場所で治療に専念してください。そう告げるべきなのだ。
 だが、そんな説明は一切しない。
 ここは病院です、なんて言葉を返しても仕方ないのだ。それは的外れでしかない。
 とにかく出してくれ、と頼まれたのなら、せめて、あなたは精神状態が不安定ですので、今は無理です、くらい言えばよいのだ。できれば、入院なさっております、くらいの説明があって、然るべきなのだ。
 混乱して戸惑っている患者に、説明も何もしない。これは保護でも、入院でもない。悪くいえば、医療ですらない。誘拐して監禁しているのと変わらない。しかも、カネは後日取り立てる手筈なのだ。こんな悪徳制度が平成当時に残っていていいわけがない。
 精神科医療の闇だ。
 ちなみに拘束帯で監禁中に、この病院は死者も出しているのを、後に知ることになる。
 外来では善人面して、3分間診察して、治しもしなければ、こちらの要望も聞く耳を持たず、処方箋の変更もしないで、旧態依然とした古臭くて副作用だけが強くて時代遅れの薬を処方しては、違法に診療報酬を得る、という小細工を弄した悪行だけではなく。
 閉鎖病棟、つまり裏では家畜のように精神科患者を飼い慣らし、未だに「健全で良心的に」営業を続け、病院の規模を拡張して、院長兼理事長は自己満足に浸っている。
 意味のない集金工作のためだけに、薬で患者を支配して、奴隷のように手荒に扱う。死なせなければ問題ない。悪くいえば、殺さなければ問題ない。その程度の認識で、医療という名ばかりの暴政を強いているのだ。
 医は仁術なんて、嘘っぱちで。
 患者を救うなんて気持ちは微塵もなく、カネを集めるだけのシステムを組み立て上げ、札束で出来た病棟を大きくするしか能のない下衆な馬鹿が権力を握っている。
 さすがにそれは少々言い過ぎだろうとお叱りをうけるかもしれないが、精神科患者は死と隣り合わせで、日常生活で極端な選択をして、この世を去る方も多いが、入院という急性期においては、死亡率は更に跳ね上げってしまうのが実情で、亡くなった患者を看護師たち数名で運んでいる光景も稀に散見されるくらいだ。
 本来なら、患者の命を救うための大切な資金に手を付けるのは、経営哲学がご立派すぎるからなのか。天国への切符もカネを出せば買えると錯覚しているからなのか。
 中立的な立場で記述すれば、精神科患者は精神病院の養分としての役割を担っているが、一人一人の命の値段が安いので(自分で命を捨てる人もいるくらい安っぽい命なので)、養分として沢山飼わないといけない、くらいの記述が中庸だろうか。
 そして令和の時代にも、カネを集めるシステムは拡大し続けている。ユーチューブで近代的で真新しい病棟を、得意げに紳士面して紹介しては県外からも患者を募っている。
 これがフィクションだったら良かったのに。だが、残念ながら、現実だ。
 そして、そんな精神科医療を黙認している社会も問題だし、問題視すらしない時点で、大問題なのだ。
 テレビ番組でNHKが障害者バラエティ番組を制作していたりする現状や、愛は地球を救うなどの特番で、障害者を無理矢理担ぎ出して、感動させようと民放が躍起になっているのも愚の骨頂だが、犯罪に近い行為を日常的に生業としていても、精神科医療や病棟には何のお咎めもないのは厚生労働省の監督不行届以外の何物でもない。
 だが、力なき精神科患者など相手にしなくても、日本社会は平和で明るく機能しているので問題ないらしい。
 世の中は結局、弱肉強食なのだ。医療や福祉の世界はイメージだけは良くて、大抵中身は腐っているのが筆者の感覚である。健常者は爽やかなイメージを疑うことも必要性もないから気づかないだけで、医療や福祉の現場はやりたい放題で、監査が入るかどうかだけ気をつければ私腹を肥すことができるのが実情だ。
 いつか天罰が下ることを願ってやまないが、ここら辺りで閑話休題して、ノンフィクションとしての記述に戻る。

閉鎖病棟(キ〇ガイ患者の懲りない面々)

 アメリカが人種の「るつぼ」と表現されるなら、閉鎖病棟は偏った人間の「るつぼ」であり、その日常生活はカオスと言ってよい。つまりは混沌だ。
 僕は幸か不幸か性格が温厚、悪くいえば、気が弱いので、粗暴な男性患者、特に病識のない重度の統合失調症患者に悩まされることになった。
 ここで病感とは、自分は何かの病気ではないか、という感覚であり、病識とは更に自分の病気を強く自覚できる能力を指す。病識があれば、自分のしていることを、ある程度冷静に見つめることができて、こんな言動を普通はしないから用心して避けようと努めて「普通」に行動できる。
 だが、病識という「タガ」が外れると困ったことになる。
 重度の統合失調症患者は、マトモな自分がマトモな行動をするだけとしか認識しない。だから、凶悪犯罪を起こしても、マトモに行動しているのに、何故非難されてしまうのさえ理解していないし、理解できない。
 急性期(症状が急激に悪化している状態)の患者を閉鎖病棟に閉じ込めるのは、外界と隔離して患者をストレスと引き離すため、ということもあるが、自分はもちろん、他者に危害を加えるのを避けるためでもある。
 例外はあるらしく、僕は主治医のお気に入りだったので、ここでも可愛がられて、虐待されることになるのだが…。
 僕は医師にとっては、医学部に入る知能もないくせに、理屈っぽくて女々しいので格好のオモチャみたいなものだったし、看護師からすれば、実務能力もないくせに、ブランド大学だけは卒業している嫌味な野郎と映ったらしく、それはとても優しく「保護」してもらえた。
 なので、僕は自己紹介すら不要だった。
 何故か患者たちが、僕が哲学科を卒業している小利口な大卒者と最初から知っていたのである。学校の転校生でもないのだから、普通の病院なら新しい患者の経歴なんか教えたりはしない。
 男性看護師(男性看護師は今日でも珍しい存在だが、大抵精神科病棟で患者を屈服させる業務に従事することが多い)たちは、学歴だけは立派だね、と最初の暗室から去っていくときに噂話をしていたし、ホール兼食堂の大部屋でも、患者の一人に「お前、格言を100個作ってみろ」と意味不明の挨拶をいただくことができた。
 ちなみに重度のキ〇ガイ、もとい、精神病患者の学歴は低い。
 これは彼らが学校教育から病のため、外れていることが多いからだ。
 だからデフォルトでいえば、通信制の高卒くらいが平均で、大抵は中卒だった。無論、たまに東大卒、京大卒の強者がいたりするのだが、本当に例外だし、まあ東大を卒業できるなら、閉鎖病棟も卒業見込みくらいは出て内定もいただけるというものである。 
 このホールにはちゃんとした窓があって、外の様子も見えたので、昼か夜かくらいは把握できるようになっていた。もちろん、鉄格子は付いているけれど。
 明らかに常軌を逸したキ〇ガイ爺さんが窓の外で作業している土木関係者に奇声を発して挑発していたり、ガタイのいいキ〇ガイ男が互いにメンチを切って大喧嘩を始めたり、したり顔で僕に偉そうに、わしは足が悪いから肩を貸せと要求してくるキ〇ガイ身障者もいたり、股間を露出してケラケラ笑っている見込みあるキ〇ガイ青年もいたりして、それはとても穏やかで、まるで陽だまりでしたよ。まさにカオス。
 世の中で普通に生活するなら、絶対に集団を形成しない個性の塊を寄せ集めた意味不明の集団で、共通項は「みんな狂っている」だけで、世間ではあり得ないグループ。もちろん、僕も狂っていたから眼鏡を付けたり、外したりして挨拶というか信号を送っていた。
 ここのキ〇ガイ、じゃなかった、精神科患者の一番の問題点は、自分だけはマトモだと信じていることだ。理解を超えた言動をしながら、理解できない矜持だけは一人前で、したり顔で人生について語る輩もいる。
 もちろん、僕なんか人生について悟ったようなつもりになってないよ。だってマトモだもん。noteにも、オシャレで小粋なエモい文章しか投稿してないでしょ? 人生哲学とかダサいし、変人しかやらないもん。
 僕は医療保護入院だったが、正確には商業物品管理に供された。つまり器物として「管理」された。商品が破損しないように、言い換えれば、できるだけ殺さないようにモノとして扱われることになる。閉鎖病棟では医師免許も、看護師免許も大して重要ではない。危険物管理責任者の資格だけが必要らしい。そして、この場所では試験も免許も責任も必要ない。
 管理するだけあって、一日のスケジュールは正確だ。
 朝は6時に起床させられてラジオ体操させられるし、洗面や食事(餌やり)、レクリエーション(お遊戯)、二日に一度は清潔な大浴場(よく患者たちは放尿もする)で体を洗い、就寝は夜21時にブレーカーを落とすように照明の電力供給が停止する。
 看護師は15分ごとに各部屋を巡回してきて、懐中電灯で患者たちが就寝しているか確認する。もちろん、治安も良すぎるから、部屋に鍵などない。
 刑務所同様、禁欲的で理想の生活スタイルだから、健康管理はとても良い。囚人よろしく長生きできて、病院の収入も増えるし、いいこと尽くめだねっ!
 もちろん、男女関係も厳格に管理されるから、看護師の厳しいチェックをかいくぐって、患者同士がトイレでパコるなんてことは、たまにしかない。
 ホール中央にライターが吊るしてあるので、喫煙を通して歓談に花も咲くというものだし、防災意識高い系なので、火事なんか起こらない。
 タバコを手に入れるのは、調達係の患者から闇ルートで流れてくるので、大目にチップをはずめば、手に入れることも容易いし、銘柄の細かい注文も聞いてもらえるし、持ちつ持たれつの暗黙のルールで便宜を図りあう。
 理想の共同生活であり、院長兼理事長「将軍様」の臣民として忠誠を誓うなら、ある意味地上の楽園である。脱走など試みる必要もないから、懲罰として保護室(ある意味刑務所の独居房)での禁固刑なんか日常茶飯事くらいしか実施されないし、死者も少ない。お互いの不可解な行動を見ているだけで、アタマが余計におかしくなって、入院拘束期間も伸びて、病院の養分として貢献もできる。
 院長兼理事長先生の優しい配慮でスマホは禁止だったので、ブルーライトで視力が低下はしないし、外部から遮断されているので、多少の事件も闇に葬ることができるし、家族との面会室には盗聴器が仕掛けられていて、こっそり話した会話も、看護師たちスタッフはもちろんのこと、患者にもスピーカーで流してくださるから、機密保持はバッチリだ。
 だから、閉鎖病棟での本来あってはならない人権蹂躙はすべて、人権をある程度制限させていただくことにより、効果的に治療させていただいております、と家族には説明(言い訳)できるし、うちの息子や娘が、面会室に盗聴器が仕掛けられていると相談してくるという定番の苦情には、まだまだ治療に時間がかかりそうですね、で済んでしまうし、あとで余計な口を叩いた反体制主義の家畜には保護室で体罰を施せば、大人しく従うようになるから支配、もとい、医療体制は盤石だし、完璧ですねっ!
 こんなにも素晴らしい快適な環境で欲を言ったらバチが当たるし、実際に生かすも殺すも病院のご意向次第で、長期入院者やリピーターも多くて讃辞に事欠かないわ、クソが。

閉鎖病棟(入院による虐待。医師免許=殺害許可証)

 死んでしまう前にこの世に生きた証を残さなくてはいけない。
 ペンは剣よりも強い、という言葉はたしか英語の例文で学んだ文章だが、成熟した社会では社会的に非力であっても、言論の自由を行使出来て非常に助かる。
 僕が閉鎖病棟で欲しかったものは、メモと鉛筆だったし、入院という名の監禁生活ではどうしても出来なかったこと(閉鎖病棟への糾弾)が出来る喜びは大きい。
 生還者の言葉には一定の重みがあるだろうし、随分と可愛がってもらったのでお礼参りとして記しておく。こんなことをしても、腐敗した札束病棟には傷一つつかないのは承知の上だが。
 入院は本来治療の効率を上げるものだが、精神科病棟に強制的に入院させられ、医療的虐待を受けて、人間扱いされなかった辛い記憶(トラウマ)を植え付けられて、入院料金とセットで患者に負担させられるのは如何なものか。
 合法的に殺人が認められるのは、戦争と死刑制度だけとはいうが、医師の誤診や怠慢、傲慢もその一つに数えるべきだと本当に思うよ。医師免許は殺害許可証(マーダーライセンス)みたいなものだといつも思っている。
 医師による患者の虐待は、拳で行われるのではなく、治療的ネグレクトで行うのがスタンダードだ。つまり、治療しないこと自体が加害行為である。
 放っておけば、勝手に苦しみだす患者にわざわざ手を下して、傷害事件等に問われてしまうダサい方法なんか洗練された医師はしない。スマートに治療しているふりをして、何もしないのが患者への虐待行為の定番である。
 僕の場合、医師による虐待は、今まで処方していた薬を削る方法で行われた。
 つまり勝手に減薬されたのである。
 というか、最初の頃は薬を処方されなかった記憶がある。
 ヘビースモーカーから、無警告でタバコを奪い去ったらどうなるか考えていただけると分かりやすいだろう。苦しくて仕方なくなるのは喫煙家や、過去にタバコを吸っておられた方ならお分かりいただけると思う。つまり禁断症状だ。
 向精神薬は薬剤師の間では、隠語で麻薬とか合法麻薬とか呼ばれているらしいが、その通りで、薬が切れると余計狂う人もいれば、余計辛く苦しくなる人もいる。
 根治治療は現代の精神医学では無理なので、対処療法として症状を軽くする方法が取られている。ごく普通の人間、つまり健常者がお酒を飲むと酔っぱらって、少しおかしくなるが、翌朝には酔いが醒めるのを連想してほしい。
 向精神薬も効果を発揮する薬剤が、血液中で一定の濃度を保っている間は効いている、つまり効果があるが、数時間もすればどうしても体外に排出されて、効果が弱まり、いずれは消失する。
 向精神薬を使って治療するとは、薬を常に効いた状態を維持させることにより、疑似的に正常に近い生体反応を示させる行為とも言い換えられる。
 薬が切れる前に、薬を服用すれば、理屈の上では半永久的に薬効がある状態を維持できて、正常に近い生活が送れることになる。
 簡単に言えば、薬の力で健常者と同じ状態を維持させるのが、精神科医療の定番であり、セオリーである。まあ、当たり前の話なのだが、この業界以外の人は知らないかもしれないので、解説しておいた。
 僕の場合は勝手に薬を、僕の意思とは無関係に調整されて、随分と苦しんだ記憶がある。医師による虐待とは、治療しないだけで成立してしまう。
 医療は怖いのだ。
 だから医師免許は殺害許可証(マーダーライセンス)と同じくらい実用的で危険だ。

怖ろしい光景・精神病院に捨てられた認知症患者たちの末路

 閉鎖病棟で見てはいけないものを見てしまった。
 それは「将軍様」の支配する閉鎖病棟で入浴待ちをしていた時のことだ。
 閉鎖にお決まりの鍵付きの扉の向こうで、老人たちがウロウロしている様子が鉄格子越しに見えた。
 何故こんなところに老人が徘徊してるのだろうか――。閉鎖病棟より更に隔離された場所で。
 答えは簡単で。彼らは認知症患者である蓋然性が高い。
 ごくごく普通の家庭であったら、社会福祉法人の運営する有料老人ホームに入所させるであろう、認知症の高齢者たち。しかし、家族から見限られてしまったら、邪魔でしかないと思われてしまったのなら?
 捨てればいい。
 そう、家族に愛されるどころか、望まれもせず、厄介な病に罹患した人は捨てればいいのだ。
 人間とはどこまでも残酷で。
 昔の日本に「姥捨て山」という悪習があったように、必要のないゴミ人間など捨てればいいだけ。
 僕も学生時代、とある大都市の駅構内で、捨てられた人間と接した経験がある。もちろん、最初はそんなことが世の中にあるとは知らなかった。
 彼は若者で、僕にこう話しかけてきた。
「家族とはぐれたから、帰りの電車賃をください」
 見ず知らずの僕にいきなり金銭を要求してきたのだ。
 普通なら相手にしないだろう。断る、と言うか、無視して去っていけばいいのだ。だが、残念なことに、僕は困っている人にそう言われてしまうと無下に断れない性格だった。
 彼の望んだ金額は数百円程度。デフォルトで、大学で遊んでる連中と同じく捻出できない金額ではなかった。
 仕方ないな。
 僕は構内の売店で両替を申し出て、千円を崩してきて、彼に手渡した。
 その青年は、ありがとうも言わずに、渡された小銭を必要な金額かどうかチェックし始めた。
 さすがに、イライラしてきた。
 どうして恵んだ硬貨を調べられなくてはならないのか。検査されなくてはいけないのか。足らなかったら、更に要求する気か。
 ちょうどあるな、と彼はつぶやいて去っていく。
 僕はポカンとするしかなかった。いったい何だったんだ。礼も言わずに、立ち去るとは。どういうつもりなんだ? 何を考えているのか?
 しかし、無言で去っていく彼を追いかけるほど気が強いわけでもなかったので、仕方なく僕も電車に乗るしかなかった。
 あとで考えて気づく。彼はおそらく知的な障害があったのだ。
 推測でしかないが、家族とはぐれたのではなく、置き去りにされたのだ。
 ある愛情のない家族が厄介でしかない一員のひとりを捨てただけ、だ。
 日本に限ったことではないが、ホームレスは学校へ行ったり、仕事をしたくないからホームレスをやっているわけではない。その前に、家族たちから見限られたから家なしになり、路上生活を送っているだけだ。
 たまにテレビでホームレスが空き缶を拾って気楽な身の上を楽しんでいる映像が流れたりするが、そんなエンジョイ勢など、ごく僅か。
 家も財産も仕事もない人間が路上で生活をしなくてはいけないわけだが、そんな「仕事」が楽なわけがなくて。
 もう家族や友人たちから見放されたから、そんな人生を送らなくてはいけなくなってしまったのだ。
 実際、ホームレスの半数以上は知的か精神の障害者であることが統計上知られている。ちゃんと調べれば分かることである。
 生活に困窮したなら、生活保護を申請すればいい。いわゆる、ナマポだ。
 何故、ホームレスたちはそんな手段を選ばず、夏なら熱中症で倒れたり、冬なら凍死するような野垂れ死に必至の人生を送っているのか。
 知恵がないのだ。
 家族に捨てられた不運な星のもとに生まれただけではなく、更に残念なことに、知恵が回らないのだ。
 だから、死んだように駅の近辺でベンチの上で寝ていたり、段ボールを集めては「家」を作って寝ているのだ。
 そんな実態をテレビが放送しても仕方ないから、視聴率が取れないから映像にされもしなければ、問題視すらしないのだ。
 社会からも捨てられた。
 時折、悪徳な連中が生活能力のない人たちの生活保護申請の代行サービスを行っては、大金をピンハネして儲けている事件が摘発されている。
 知恵がない人間など、飯のタネにすればいい。
 遥か昔から知的障害をもっている女性たちに売春をさせてピンハネするのが定番であったように、ホームレスの人たちを使えば利益が出るのだ。そして、それを生業としてラクして生きていくことも可能で、もう商売として成立しているのが、素晴らしい人類の歴史でもある。
 疎ましい家族の一員が認知症になったのなら。
 カネのかかる老人ホームになど入所させる必要などない。精神が崩壊した患者として、障害基礎年金の「代行申請」の手続きをして、ついでに障害者手帳や「重度」福祉医療費受給者証なども親切に手配してあげて、精神病院に放り込んでしまえばいい。家族には負担など一円も発生しない。
 あとは知ったことか。
 そんなわけで閉鎖病棟から更に丁重におもてなしをしてくださる精神病院の特区に、ご入所なさった認知症の高齢者たちがおそらく何のケアもされず、食事だけは与えて院長兼理事長の養分となり、人生最後のご奉仕をさせられているのだろう。
 人間の業とは、かくも根深いのである。


(以下、執筆中です。お待ちくださいね。)

/人◕‿‿  ◕人\

やあ、ボクはキュウべぇ!
ボクと契約して あたおか になって入院してよ!
あをゐは いつもそうだ 原稿に落書きなんかして わけがわからないよ!



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