デレマスのために叔父の葬式を開いた
時は2010年代、デレマス全盛期。アニメも放送され世はデレマス熱に満ちていた。
地方の芋オタク高校生の私も漏れることなくデレマスに両足で浸かっていた。
アニメをラジオ感覚で常に流して数十周し、高校から帰れば全ての時間をデレステに注ぎ込む私。
お小遣いは全て新譜に。CDて高い。
私はみくにゃん推しだ。星野源と同じ。
「恋」をみくにゃんがカバーしたらしい。羨ましい。
そんな私を含む、多くのプロデューサーにとっての最大のイベントはライブだ。
もちろん、しっかり現実で開催される。
キャラを担当する声優がキャラの衣装を着て歌って踊るのだ。
これについては様々な意見があるが、2010年代にはもう女性声優はあらかたアイドルくらい可愛いので私は正直これはこれでありだと思っていた。
ライブの抽選は高倍率で、CD1枚につき1口応募できるシステムになっているが、100枚以上購入したPでも普通に落ちるような世界であった。
そのため、当時の私のような被扶養者の学生には到底参加が難しいイベントなのである。
しかし、私はなけなしのお小遣いを数枚の抽選券に変換し、夢を見ては落ち込む日々を送っていた。わずかな可能性に賭けて決して諦めることなく応募をし続けた。
チャーリーもそうやって工場ツアーへの参加を勝ち取ったのだ。
そして、ある日なんと私にも金のチケットが奇跡的に舞い降りた。
ありがとうチャーリー。
ひとり部屋でみくにゃんのフィギュアと手を繋ぎ、マイムマイムをしていたところで、一点の問題に気がついた。
ライブの日、練習試合だ。
当時の私は運動部の方がモテると信じて、やりたくもない、無駄に体育会系の部活に入っていた。
しかし、どんなに陽キャ度の強い運動部でもオタクすぎる事実はひっくり返せず、うんともすんとも言わない日々を過ごしていた。
正直こんな部活に思い入れはないので、嘘ついて休めばいいのだが、日常から体調不良でズル休みをしていた私は顧問に目をつけられていた。
次体調不良を使えば、まだ都会の一軒家の庭くらいあった私の立場もそろそろなくなる。
なんとかして休むため、脳内会議を重ねた結果、叔父の葬儀のため練習試合を休むことに決めた。
葬儀なら仕方ないよな。
ライブ会場は埼玉で私の叔父も埼玉住みなので、移動の計算とかアリバイの帳尻を合わせやすいと考えたためだ。策士である。
まずはしっかりアリバイを作っていくために葬儀の流れを確認した。
〈1日目(叔父の命日)〉
【➀逝去】家族や葬儀会社に連絡する
【②安置】遺体を搬送して安置する
【③打ち合わせ】葬儀の日程や内容を決める
〈2日目〉
【④通夜】通夜式を執り行う
〈3日目〉
【⑤葬儀】告別式を執り行う
【⑥火葬】近親者で骨上げする
【⑧換骨法要・初七日法要】故人を供養する
以上を踏まえて、
練習試合の前日に叔父が亡くなり、練習試合の日に、通夜や翌日の葬儀に参加するため、練習試合を途中抜けする
というストーリーを仕立て上げた。
ちょっとだけ参加はすることでサボった感を減らそうとした私、策士である。
しかも翌日も葬儀で練習を休める。
一般的な通夜とライブの時間帯が被っていることが非常にアリバイ作りに役だった。
私は意気揚々と練習試合の前日に顧問の元を訪ね、叔父が亡くなったため、練習試合を途中で抜けることを伝えた。
顧問がサボり魔の私を疑うと考え、抜かりなく叔父の死亡〜葬儀の流れをまとめたカンペを持ち込んだが————
「そうか、分かった。遠方だし余裕持って抜けていいらな」
拍子抜けだ。私の作った葬儀のしおりは無用に終わる。
流石に鬼と呼ばれる顧問にも人の心はあった。
人の心が欠落していたのは私である。
叔父の葬儀はさいたまスーパーアリーナにて盛大に行われた。
田舎住みの私にとっては、初めての都会での大規模な葬儀。終始、興奮を抑えられずに全力でサイリウムを振った。
ゲストに大人気キャラの声優が登場するなど、演出面でも結構当たりの式だった。
周りのPと名刺交換なども滞りなく行い、十二分に葬儀を楽しむことができた。
叔父は今でも元気に暮らしている。
ありがとう叔父。
本当の葬儀の時はめいっぱい包んだるからね。
私が途中抜けした練習試合はどうやらレギュラーの選考を兼ねていたようだ。
しっかりレギュラー落ちした。
ベンチでみくにゃんのハンドタオルで水筒の水滴を拭いていたら私の夏は終わった。
悔いはない。。。
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