見出し画像

その後、2人目、3人目出産

私の病気③

まだ「シェーグレン症候」と分かっていなかった1人目の出産は、働いていた事もあり土曜日も診察している近くの個人院でした。入院中のご飯が美味しいと評判の産院で、1月2日の出産は大当たり!お正月特別メニューで、鯛のお頭付き!!
毎年のお正月より、豪華だわぁ。お正月休みの旦那さんは夕食の時間に合わせて面会に来て、2人部屋のカーテンを閉めて「1食助かるわ」とこっそり一緒に食べていました。

2人目の出産は、病気も分かった後で、何かあった時に連携できるようにリウマチ科で診てもらっている大きな病院で、という事になりました。
「何かあった時に?」
出産が引き金になり、悪化する場合がある事、
(1人目出産後に、唾液が出なくなる事件はそういう事だったのかも)
ほんの僅かな確率で、房室ブロックなど子供への影響がある事を説明されましたが、リウマチの先生も、産科の先生も、安心して出産できるように励まし、バックアップしてくれました。

今思うと、何より若かった。この頃シェーグレン症候は難病に指定されていませんでした。今ほど解明されていない病気だった気がします。スマホも無い時代、ネットで調べるという習慣も無く、病院の先生の言う事のみ信じて、実際は鈍感でおバカだったのかもしれません。過度に悩んだり、考えたりすること無く、目の前の事でいっぱいいっぱいの日々を過ごしながら出産に挑みました。

1999年。無事元気に次女が産まれました。2人目だった事、赤ちゃんの頭が小さかった事もあり、病院に着いて1時間もせず、つるんと産まれました。
2人目出産後は、唾液腺が詰まって唾液が出なくなる事も無くなりました。特に何の症状も無く、今まで通り投薬も無し。3ヶ月ごとの定期検診は続いていましたが、ただ血液検査が引っかかるだけで、病気という意識はだんだん薄くなっていきました。何事もなく母子共に元気に過ごしていました。

3人目の出産はそれから6年後。高齢出産で、初の男の子だったせいか、妊娠中はつわりも酷くてアップアップ状態でしたが、9歳、6歳のお姉ちゃん達はそんな母を見て、それぞれ頑張ってくれていたように思います。
無事3人目も出産した後は、バタバタ生活が始まりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?