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カーテンコールに花束を

1.

  終業のチャイムがなってから三十分、細々とした仕事のメールを整理してオフィスビルを後にした。クリスマスや大晦日などではなく、年末進行の忙しさで季節を感じるようになってからもう何年だろう。すっかり日も短くなり、スーツの隙間に忍び込んでくる夜風の冷たさに首をすぼめる。今夜は何か温かいものを食べよう。そう決意しながら、少し寄り道をするべく目的地へと歩き出す。まっすぐ家路につくのも悪くはないが、いつもより軽い足は、四年近く習慣となっている街へと向かっていた。

  この街は、最初は一つの小劇場から始まったらしい。それから数年のうちに、様々な人が寄り集まって、今ではニュースや各種メディアで連日取り上げられるほどに大きな街へと成長していった。その変わりように、当時を知る身としては嬉しくもある反面、少しばかり寂しさがあるのも本音だ。色とりどりのネオンや呼び込みの声を横目に、ふと、子供時代によく遊んだ空き地の景色が蘇った。

  私が小学生の頃、自転車で少し行ったところに大きな空き地があった。学校帰りに駄菓子屋に寄ってから、近所の友達に借りたボールでドッジボールをしたり、ランドセルに忍ばせた携帯ゲームを持ち寄って、日が暮れるまで遊んでいた。時が経つにつれて、その場所は立ち入り禁止となり、一年後には駐車場となり、十年以上が経った今では、タワーマンションと巨大な商業施設のひしめき合う繁華街へとなった。帽子付きのどんぐりを探し回った場所には街路樹が整然と立ち並び、泥遊びで汚れた手を洗えた唯一の水道はイルミネーション付きの豪華な噴水になった。沢山の人がやってきて、街は大きくなった。有名ブランドの服も、テレビで話題になった輸入食材も、おしゃれな居酒屋もカラオケも、自転車で少し行けば全てが揃うようになった。
  女性のマネキンがずらりと並ぶショーウィンドウを眺めながら、ここはもう自分の場所ではないんだな、と感じた。それでも、タワーマンションの下にある、安全で整備された公園では、子供たちが毎日笑顔で走り回っている。彼らもいつか大人になり、この整備された公園の風景を懐かしむのだろう。そこにはきっと、今の私と同じだけの感傷があるはずだ。寄せては返す波が、誰も知らない足跡をゆっくり覆い隠すように。

そんなことをぼんやり考えながら、最初の小劇場の前で少し足を止める。街のシンボルとも言えるその劇場の入口にポスターが貼ってあり、来年から無期限の休館となる旨が書かれていた。大型改装のためとのことだが、街全体をいつも優しく照らしていた劇場の明かりが見えなくなってしまうのは、やはり一抹の寂しさを覚えてしまう。この気持ちもまた、私のエゴなのだろうか。ポケットに手を突っ込みながら、劇場の看板を見上げる。白いため息が、冬の空に滲んで消えていった。

2.

  小劇場を後にして、目抜き通りを進んでいく。ここ数年、足繁く通っている劇場がある。そこで演じる人の名を冠し、『富士葵』という劇場だ。この街が出来た頃からある、十数あるうちの劇場のひとつだ。街では近頃、路上ライブや屋台などのほか、『箱』と呼ばれる巨大な複合施設もあるが、私が通うこの劇場は、幾度かの改装を経てもなお、昔ながらの温かさがあって好きだ。

  入口には、色とりどりのフラワースタンドが飾ってある。特別公演や劇場の周年祝いの時などは、劇場の前を埋め尽くすほどの、大小様々なスタンドが置かれることとなる。ロビーにはグッズ売り場やプレゼントボックス、ファンクラブの会員登録ブースなどが常設されている。併設された資料コーナーには、過去に行なった公演の映像なども無料で見放題なので、ふとした折に見返したりもする。久しぶりに見る映像だと、一緒に置かれた感想ノートに驚くほど書き込みがあったりして、それを眺めるのも密かな楽しみの一つだ。

  ロビーが少しざわめく。どうやら富士葵本人が出てきて、今夜の公演の告知をしているようだ。そこに居合わせた人たちは思い思いに拍手をしたり、声援を送ったりしている。中には劇場の外で公演のビラ配りをしたり、今夜公演があることを裏通りまで行き宣伝しだす人もいる。そういった行動や拍手の音の大きさを聞きつけて、たまたま通りがかった人が劇場にやって来ることを、私は何度も目にしてきた。その中には、大劇場の支配人や遠い大都市の偉い人も紛れてくることがあるので、風の噂というのもなかなか侮れないな、と思う。

  今日は火曜日。この日は観客席に居る私たちを巻き込んで、様々な演目を行うのが恒例となっている。演目は多岐に渡り、トークショーはもちろんのこと、ゲームや料理のほか、スポーツなどで様々な挑戦をする彼女を一緒に眺めることもある。時には他の劇場からゲストを呼んだり、気心の知れた名物裏方が顔を出したりすることもある。特に人気なのは、他の劇場では見られないヘンテコな演目をやる日と、彼女が歌う日だ。

3.

  メイン会場へと繋がる扉をくぐる。会場内は、人の気配こそするものの、最初は何も見えずに真っ暗だ。足元の誘導灯を頼りに自分の席を目指して会場を進むと、客席から今夜の公演を心待ちにする声が聞こえてくる。振り向くと、真っ暗な会場のそこだけが、ぽうっと淡い光に包まれた。不思議なことに、この会場では喋ることで自分の席が明るくなる仕組みなのだ。逆に言えば、人の気配がしても、言葉を発さない限りは、舞台からは顔も名前も見えないようになっている。

  不思議なことはもう一つある。それは、自分が座る席だ。この劇場では全席自由席な上に、誰かと席が被っても問題ないのだ。私はいつもの席――最前列の中央を目指す。そこには既に大勢の仲間が座っていて、同じように私もクッションに腰掛ける。人それぞれ見やすい位置や心地よい距離感というものは存在するが、私はこの、舞台から一番見つけやすく、声を届けやすい場所が好きだ。もちろん、忙しい日や気分や体調が落ち込んでる時は、無理せず後ろの席で大人しくしていることもある。それでも「誰かが見てくれている」気配だけでも伝えられればと思い、真っ暗な座席で拍手だけする日もある。今日は気分も体調も問題ない。というより、毎週の公演が楽しみだからこそ元気になった、という方が正しいのかもしれない。

  そうこうする内に開演ブザーが鳴り、拍手と共に幕が上がる。今夜はトークショーがメインのようだ。何気ない日常の話から、ちょっとしたお悩み相談などの中で、客席からの声に反応しつつ楽しい時間が過ぎていく。たまに凄く良いタイミングで上がる声に彼女が笑いながら反応すると、センスの良さに少し羨ましい気持ちになる。でも、自分がなんとなく発した一言が彼女のツボに入ったりしても特別に優越感があるといったこともないので、隣の芝生は青い、というやつなのだろう。なので、基本的には「数打ちゃ当たる」の精神で賑やかしをしつつ、仲間と一緒に相槌やツッコミを入れていく。

  演目の最中、舞台に花が投げ入れられることがある。花には投げ入れた人の名前と、一言メッセージが書かれた紙が括りつけてある。花の多くは終演間際に感想を添えたものや、盛り上がった箇所で熱いメッセージと共に舞台上へと届けられていく。私自身も、一輪だけではあるけれど、公演の度に花を投げ入れている。中には毎回、特大の花束を投げる人たちがいて、その熱の入り様に感嘆しつつも、手元にある一輪の花が、ひどくちっぽけに見えてしまうこともある。それでも、カーテンコールで花束を抱えながら登場する彼女の手元が、一輪分でも華やかになるなら意味はあるのかな、と思うようになった。

4.

  公演が終わると、ロビーにはそれぞれが思い思いのまま感想を言い合ったり、早速新しいフラワースタンドの制作に取り掛かる人の姿が見える。私も友人と語り合いながら、土曜の演目に思いを馳せる。土曜は舞台の上だけで完結する、演劇や実験、コントのような演目が主なものとなっている。劇場が建った当初からある催しで、ここ数年は街でも下火になっているが、代わりに今でも根強いファンが多い印象だ。かく言う私もその一人で、彼女らのことをもっと知りたいと思い、舞台演出や照明、効果音などを学ぶうちに、その苦労が身に染みて分かり、余計に楽しみになっている。

  友人と別れてから、ふと、一年ほど前に劇場内に増築された紫陽花(あじさい)色の部屋を眺める。この増築よりも少し前、劇場は存続の危機に立たされていた。「存続の危機」と言ったが、これは私の憶測に過ぎない。実際にはもっと明るい話だったのかもしれないし、もっと困難な状況だったのかもしれない。 真実は当事者しか知らないが、彼女はそれを話さないし、私もそれでいい。

  彼女に苦しい時を救われた身としては、もし同じような時には力になりたいと思う。でもそのために、控え室のドアに聞き耳を立てたり、劇場の裏口で出待ちをするようなことは、きっと望んではいないはずだ。そして彼女が舞台に立ち続けるのは、誰かに慰めてもらうためでは決してないはずだ。ならば私にできることは『富士葵』という舞台の上で、彼女が見せたいと思っているものを、真正面から受け止めることなのだと思う。私が受け取った尊い感情をそのまま返すことはできないけれど、観客席の最前列で拍手と喝采を贈ることはできる。それはきっと、彼女が求めて止まないものの一つだ。そしてそれは、舞台袖に居る裏方や、関係者席に居る家族や同業者には成しえない、観客席だけの特権だ。

  ロビー中央にある、素朴な木の柱にそっと触れる。丁寧な文字で『キミの心の応援団長』と書かれたそれは、この劇場が建った時の支柱の一つだ。資料コーナーには、色褪せて、うっすら埃を被っているものも多くある。

思い出なんてものは一つも無い。今も全てが、ここにある。

  いつだったか、彼女と一対一で話したことがある。その時に私は「いつか最後の公演があるときも、最前列で胸を張って拍手できるよう、これからも頑張るよ」と笑顔で伝えた。彼女はそれに、笑顔で応えてくれた。約束と呼べるほどのものではない、私の一方的な宣誓だ。思い出ができるのは、きっと、その後だ。

  外に出ると、冬の空気で鼻がツンとなる。街は眠ることを許さず、今夜もそこかしこでお祭り騒ぎの音がひしめき合っている。街が大きくなるにつれて、沢山の人が来て、モノが来て、あっという間に去ってゆく。鮮烈な感動や笑顔の影に、悲しい物語が横たわる。それすらも飲み込みながら、街はどんどん、どんどん、渦を巻いて大きくなる。

どうか、沈まないようにと願う。

  そういえば、劇場はまもなく四周年になるはずだ。友人から「記念に本でも作らないか」と誘いを受けていることを思い出す。何を書いたものかと考えを巡らせながら、来た道を引き返して劇場に戻る。温かい空気に頬が緩む。きっと、良いものが完成するはずだ。


あとがき

  最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

  私たちが普段YouTubeやTwitterなどで行っているアレコレを、現実世界に置き換えてみたらどんな感じだろう、というのをテーマに考えてみました。葵ちゃんに関して言えば、私は一番最初に葵ちゃんの記事をnoteに書いた2018年頃から「劇場で見るお芝居っぽい」と思っていたので、割とすんなり書くことができました。

  私から見た葵ちゃんは、舞台の上で『富士葵』を演じるひたむきな女の子という印象です。また、人によっては同じ教室の同級生という印象かもしれませんし、はたまた遥か宇宙のその先にいる神様のような存在かもしれません。どのように捉えるかは自由ですし、もっとシンプルに「葵ちゃんは、葵ちゃんだ」というのが一番しっくりくる方も多いと思います。

  本文では話の都合上、いわゆる「スパチャ」を花に見立てて書きましたが、私自身はYouTubeのコメントやTwitterのいいね等も、全て一輪の花を贈るつもりで応援しています。理由は、何となくポチって押すよりも、その方がロマンあるよねってだけです。

  そんな自己満足を重ねて、もう四年近くになりました。葵ちゃんや私たちを取り巻く環境も、大小様々な変化がありました。変わらないものを探すことの方が難しい世界で、こうしてまた、変わらない思いを伝えられることを幸せに思います。


※本記事は富士葵ちゃんの四周年を記念したファン主催企画『拝啓、富士葵様』の書籍版および特設サイトのエッセイとして寄稿したものに加筆修正をし、別のファン主催企画『富士葵ちゃんと振り返る Advent Calendar 2021』向けに編集したものです。どちらの企画も葵ちゃんたちへの温かい応援に溢れたものですので、良ければぜひご覧になってください。

※『拝啓、富士葵様』の特設サイトは、12月31日までの期間限定公開です。

2021.12.17

文責:どぅー

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