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【考察】富士葵ちゃんの2ndアルバム『シンビジウム』に隠されたメッセージが楽しみ過ぎてヤバい

 2021年3月24日にリリースが決定した富士葵のセカンドアルバム『シンビジウム』。この記事では、先日お披露目された新衣装と、一部だけ先行公開された新曲およびそのMVにどのようなメッセージが込められているのかを、自分なりの視点で考察&妄想していきます。(所要時間:10~15分)

【速報】1月26日(火)の生放送内の告知にて、リード曲『シンビジウム』が2月1日に先行シングルカットで配信されることになりました!

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 また、1月31日(日)の『Vtuber Fes Japan 2021』にて、葵ちゃんは新衣装で登場することが判明しました。ライブで初披露した歌がその日の夜に聴けるとは、とてもプレミア感のある体験になりそうです。現地観覧チケットも配信チケットもまだ受付中なので、ぜひ下記サイトもご覧下さい。

ここから本編。

  まず最初にお伝えしたいことは、これはあくまで一ファンの考察だということです。ずばり正解を導き出す「解説」でもなければ、「ネタバレ」でもありません。例えるのなら、みんなでワイワイしているところに、葵ちゃんが対面式のカウンターキッチンから顔を出して「今夜はごちそうだから期待してね」とドヤ顔をしていたとします。手元は見えないけれどキッチンからは良い匂いが立ち込めていて、その匂いを嗅いで「わー、今日は肉じゃがかな。めっちゃ楽しみ!」って小躍りしながらアレコレ会話しているようなイメージです。

  もしかしたらシチューかもしれないしカレーかもしれないけれど、作っている途中の人に「出来上がるのが楽しみ!」という気持ちを伝えるのは、きっと今しかできないことです。もちろん人によっては食卓に料理が並ぶまでは静かにして、完成したものをじっくりと味わう人もいるでしょう。それも立派な楽しみ方のひとつです。それぞれが思い思いのやり方で、葵ちゃんが腕によりをかけた料理が完成するまでの、このまたとない時間を過ごせればいいなと思います。

 拙い考察・突飛な妄想も多々あるかとは思いますが、適当にツッコミを入れてもらったり「そういえば自分はこんな風に感じたなぁ」と振り返って頂ければ幸いです。そして、普段なんとなく見たり聴いているものでも、少し視点を変えたり目を凝らしてみたりすることで、意外な発見があって面白いよ、ということがお伝えできれば幸いです。

※「そもそも富士葵って?」という方は、公式HPや私が以前書いたnoteなどを読んでみましょう!


■年末の重大発表

  昨年の12月29日に、葵ちゃんの重大発表ということで生放送が行われました。そこでは新衣装のお披露目のほか、新たなオリジナル曲『シンビジウム』のショートMVの公開と、更に念願の2ndアルバムが3月24日にリリースされることが発表されました。アルバムのタイトルは新曲と同じく『シンビジウム』とのことです。収録予定の10曲、その全てがオリジナルかつ葵ちゃんも作詞・作曲に携わったものもあるらしいということで、今から発売が待ち遠しいです。

■『シンビジウム』に込められた想い

  まず初めに、結論というか、核心のところからお話ししようと思います。私自身、いわゆる「〇〇を調べてみました(大して調べてない)→いかがでした?」みたいなサイトに辟易しているので、大事な所は先にお伝えします。

それはずばり「シンビジウムって、何?」というところです。

  葵ちゃん渾身の2ndアルバム、そのタイトルであり表題曲でもある「シンビジウム」。現時点では10曲あるうちの半数がタイトル未定というのにも関わらず、アルバム名に関しては既にこの名前で決定しています。葵ちゃん自身「今回のアルバムは、自分が表現したい世界観やアーティスト像を詰め込んだ」と意気込んでいます。その看板となる表題曲の「シンビジウム」という名前は、現在の富士葵と、未来の富士葵を示す、非常に大きな意味を持っているのではないかと推測できます。

  そんなシンビジウムですが、まずは「そのままの意味としてのシンビジウム」を探っていきます。辞書やWikipediaなどで調べてみるというアプローチで、簡単にまとめました。

・シンビジウムは花の中では珍しい、冬に花をつける洋ラン科の植物です。
・寒さに強く丈夫で、花の色はそれぞれの種によって千差万別です。
・主な花言葉は、華やかな恋、高貴な美人、誠実な愛情、飾らない心、素朴などです。

  シンビジウムは、咲く時期で見ると孤独な花ということが分かります。桜満開の穏やかな気候に、淡い芽吹きを感じられる春も、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、向日葵が咲き誇る夏も、鮮やかな紅葉と一緒に、金木犀の甘い香りが漂う秋も、シンビジウムはひとり、地中でその時を待ちます。そうして、栄養になるものも無く、太陽も照らさない厳しい寒さの中、ようやくシンビジウムは色とりどりの美しい花をつけます。

  それでは「富士葵にとってのシンビジウム」とは、一体どういう意味なのでしょうか。葵ちゃんは何を思い、自分の半身とも言えるアルバムと、その表題曲に「シンビジウム」の名を付けたのか。葵ちゃんにとってのシンビジウム、それは、葵ちゃんが歌を届けたい「あなた」であると同時に、今までと、そしてこれからの「葵ちゃん自身」でもあるんじゃないかなと私は思います。

  前述の植物としてのシンビジウムには、周囲との成長度のズレ・劣悪な生育環境・その中でも咲く気高さや美しさといったイメージを持ちました。これを人間に置き換えてみた場合、周囲の大成功や急成長に対して、ひとり打ちのめされながらも、じっと花開くその瞬間を信じて、前に進み続ける人物像が浮かび上がります。そしてそれは、私が今まで見てきた葵ちゃんの姿そのものと重なります。

  そんな葵ちゃんは、年末の重大発表において「作詞のテーマ出しの段階で、みんなが何に悩んでるのか、応援って何なのかをとことん考えた」「みんなのツイートとかを見て、どんなことに悩んでいるのかメモったり、逆に共感したりもした」「フルで聴けば多くの人に手を差し伸べられる歌詞になったと思う」と、新曲の制作過程を振り返っていました。その過程で葵ちゃんは、立場や境遇は違えど、自身と同じような、沢山の痛みや焦燥感や孤独を抱えた人たちの姿を見たのでしょう。これまで様々な形で人を励まし応援してきた葵ちゃんだからこそ、「頑張ろー!」だけでは届かない部分があるのを、改めて感じたのかもしれません。

  「孤独なわたし」と「孤独なあなた」。直接手を差し伸べることはできないけれど、あなたの孤独や痛みを分かち合うことはできる。それはつまり、あなたはもう孤独ではない。だから、どうか、沈まないように――。
「富士葵にとってのシンビジウム」には、そんな孤独で美しい花に自身を重ねた、想いやメッセージが込められているのかもしれません。

  ここから先は、これまで述べた私なりの「シンビジウム」の解釈に基づいて、先日公開された『シンビジウム』の曲・MV・メインイラストについても考察していきます。

■考察①:歌詞について
  今回は葵ちゃん自身が『シンビジウム』の作詞を全て担当したそうです。1月17日現在で公開されている部分を書き起こしてみました。漢字の変換や聞き間違いなどあるかもしれませんがご容赦ください。

どうか沈まないように
ひとのように輝けなくても
不安の波間ではらに(はらり?)舞う
光が教えている
君らしく咲けばいいよと

  初めてこの歌詞を目の当たりにした第一印象は「葵ちゃんやべぇな……」でした。様々な比喩や詩的な表現が随所に散りばめられており、目に見える文字数以上の情景が浮かんできます。私は特に「不安の波間にはらに(はらり)舞う 光が教えている」の部分が好きです。

  後述のMVにも関連してきますが、「不安」という暗く底なしの感情を「海」に喩えて、その黒い波に呑まれ沈んでしまうような恐ろしさを強調しています。しかしながら、水面で儚く揺れる月の光が映し出す模様は、まるで花びらが舞っているような、美しく幻想的なイメージを抱かせてくれます。
  一つの歌詞の中に花や月や海といった自然のモチーフを入れることは、欲張りすぎれば伝えたいことを妨げてしまう可能性があります。しかしながら葵ちゃんが作詞をした『シンビジウム』の歌詞は、それらを非常に高い次元でまとめ上げているように感じました。一つ一つの言葉や表現に葵ちゃんの魂が込められているようで、早く全ての歌詞を味わってみたいですね。

  このほかにも「ひとのように輝けなくても」「君らしく咲けばいい」という歌詞で、おそらく「君」という一人の人間を「シンビジウム」という花に喩えて歌っていることが推測できます。

  また、「沈む」という言葉には、物体が液体の中に下降していくという意味と「気が沈む」や「意気消沈」といった表現があるように、気分が落ち込むという意味もあります。今回は「不安」を「海」に喩えることで、「波にさらわれて海に沈んでゆく花」の情景がそのまま「不安に呑まれて希望を失ってしまう人」と、二重の意味に解釈することができます。ここでも葵ちゃんの作詞(もはや作詩)のこだわりが存分に発揮されていますね。

  ここまで言っておいてアレですが、冒頭で述べた通りあくまで一個人の「考察」なので、もしも葵ちゃんから「ちゃうで」と言われたら速攻で土下座しますね……。

■考察②:衣装・キービジュアルについて

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  今回の葵ちゃんの新衣装は「デザイナーさん・イラストレーターさんに歌(シンビジウム)を聴いて頂き、色や衣装のディティールを一緒に決めた」そうです。まず始めに歌があったんですね。衣装そのものは大物アイドルの衣装を手がける有名デザイナーさん、キービジュアルはイラストレーター兼漫画家として活躍されている海島千本さんによるものです。

  キービジュアルが公開される少し前に、背景とシルエットのみのイラストが投稿されました。その時まず私が感じたのは「なんか地面、ひび割れてね?」と「たぶん今回のキービジュアルは笑顔じゃないな」という2点でした。新衣装制作中という情報が初公開された昨年の事務所独立のムービーでは、葵ちゃんは荒廃した街並みでひとり、独立することを口にしました。

  また、キービジュアルのシルエットでは、周囲に色とりどりの花が咲いているにも関わらず、葵ちゃんの立つ場所だけが、乾いてひび割れた地面なのです。そんな場所に立つ人間の表情はきっと「歓喜」や「祝福」ではなく、「決意」や「覚悟」や「挑戦」といった言葉が似合うんじゃないかなと思っていました。何となく「シャフ度の戦場ヶ原ひたぎ(化物語)」っぽい表情かなぁと予想してました。

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  結果的にシャフ度ではなかったですが、私が予想するよりも遥かにカッコイイ表情の葵ちゃんだったので舌を巻きました。海島千本さん、素敵なイラストを本当にありがとうございました。

  さて、改めてキービジュアルをじっくり見てみましょう。今回、衣装の大部分を占める色は、藤の花を思わせる薄紫色です。この時点で、人によっては「おや?」となったかもしれません。というのも、葵ちゃんのイメージカラーといえば、大多数の人が「青」と答えるからです。それは、これまでの衣装や葵ちゃん自身の内面が持つ、快活さや爽やかな印象から連想されるのでしょう。しかしながら、今回のキービジュアルの中で青色を探してみると、唯一、瞳の中にだけ見慣れた色がありました。瞳は指紋と同じように、その人を特徴づける唯一無二のものです。見慣れた青色成分が少なくて、少ししょんぼりしてしまった方も居たかもしれません。ですがこれは逆説的に、どれほど外見が変わったとしても、瞳に宿る青色だけは色濃く残っている(残す)と言い換えることできるのではないでしょうか。

  以上のことから、私は葵ちゃんの新衣装の配色から二つの大きなメッセージを受け取りました。一つは「今までにない、全く新しい富士葵です」という覚悟を、もう一つは「でも、大事な部分はちゃんと地続きだよ」という、これまでの葵ちゃん自身に対するリスペクトのようなものです。
  「キミの心の応援団長」として爽やかな衣装にハチマキを身につけてきた葵ちゃんが、今度は大人っぽい衣装を身にまとい、左手にはマイクスタンドを、まるで自慢の武器のように携えています。今回の新衣装を纏ったキービジュアルは「アーティスト富士葵」として、その力を存分に発揮してくれる、そんな期待に満ち溢れています。

  ここからはキービジュアルの背景にも焦点を当ててみましょう。背景は大きく分けて「無数の花々」と「ひび割れた地面」が描かれています。これらには、一体どういった意味があるのでしょうか。沢山の花に囲まれているのに、葵ちゃんの立っている場所だけが何も無い(それどころかひび割れている)。一見すると物寂しさや不穏な印象がありますが、ここで冒頭の『富士葵にとってのシンビジウムは、葵ちゃん自身でもある』という考えに立ち戻ってみましょう。

  そうしてみると、この新衣装の葵ちゃんこそが、シンビジウムの花そのものなのだという推察が導かれます。周囲の花は、成功や成長を遂げて「開花」した人々を、ひび割れた地面は、シンビジウムの咲く冬の乾いた大地、つまりは周囲の評価や喝采などが乏しい環境をイメージしたのではないでしょうか。そして何より大事なのは、この固く乾いた大地にあっても、葵ちゃんは自らの足で堂々と立って、前を見据えているということです。寄り添いながら咲く花畑は、人を幸せな気分にさせますが、荒野に咲く一輪の花は、ただそこに存在するだけで、私たちの心を打ちます。今回のキービジュアルからは、そんな気高い美しさと力強さを感じ取ることができました。

  そうして新衣装のスカートを見てみると、ベルトと二重のフリルと外側の透けた布地が、まるで折り重なった花弁のようにも見えてきます。また、葵ちゃんの被っている特徴的な形をした帽子(ギャリソンキャップ)は舟形帽とも呼ばれ、シンビジウムの語源となったギリシャ語の【cymbe(舟)+eidos(形):ラン科の植物に見られる唇弁という花びらの形】とも符号します。ちょっと強引な解釈なので、もしも海島千本さんから「ちゃうで」と言われたら速攻で土下座しますね……。


■考察③:MVについて ~月のみる夢と2人の富士葵~
  映像を手がけた森田と純平さん曰く「彼女からの想いと楽曲を聞いて、僕なりに映像演出してみました。ただ美しいだけじゃないメッセージとか、色々と語りポイントも!」とのことです。

  MVの舞台は静かな森の湖畔でもなく、大勢がサイリウムを振るライブ会場でもありません。遠くの建物に人々の生活の明かりが見える海辺のような場所です。そこで葵ちゃんはひとり、大きな月を背に「どうか、沈まないように」と歌い出します。また、MVには海辺で歌うシーンの他に、葵ちゃんが誰もいない夜の街角を彷徨うシーンが数カットあります。海辺と街、それぞれの場所に葵ちゃんが登場するのですが、せっかくなので思い切った疑問を提示してみようと思います。

  ずばり、海辺の葵ちゃんと街角の葵ちゃん、この二つのシーンに登場する葵ちゃんは、果たして同一人物なのでしょうか。

  もちろん私は「同一人物ではないのではないか」と考えています。
それではMVの進行に合わせて、それぞれのカットを見ていきましょう。

①最初は海辺で葵ちゃんが月を背にして歌うシーン。

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②街角の葵ちゃんは俯きがちで、悲しそうな顔をしています。

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③サビの前半分が終わるとき、海辺で全身を使って必死に歌う葵ちゃんの表情がアップになります。それはまるで、歌に強い思いを込めて、誰かに届けようとしているようにも見えます。

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④次のカットでは、街角の葵ちゃんが何かに呼ばれたかのように振り返ります。

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⑤再び海辺の葵ちゃん。歌詞の「はらり(はらに?)」と一緒に右手もはらはらと動いています。超きれい。

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⑥月に手を伸ばす葵ちゃん。遠景→全身→指先とクローズアップしていきます。それでも月には届かない。

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⑦再び月を背負って歌う葵ちゃん。

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⑧揺れる水面を見ながら瞳を閉じ、曲の終わりと共に海へと歩み出す葵ちゃん。

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⑨その背中を写したまま一瞬画面がブレて消える葵ちゃん。後には月だけが残っている。

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  まだ歌詞の全貌は明らかではありませんが、公開された部分だけを見てみると、誰かに向けて語りかけるような言葉で紡がれています。この歌で伝えたいメッセージや想いそのものが、海辺で歌う葵ちゃんなのではないでしょうか。

  海辺の葵ちゃんは現実には手を伸ばしても触れられない概念的なもので、現実世界を生きる街角の葵ちゃんに必死に語りかけます。実際にはその声すらも聞こえないけれど、何かを感じ取った街角の葵ちゃんが海辺へ向かいます。そこには漆黒の海を静かに照らす、大きな月が浮かんでいました。月は何も語らない。けれど、水面を揺れる光からは、近くて遠い誰かからの「大丈夫だよ」という声が聞こえたような気がしました。歌が終わった海辺の葵ちゃんは、どうかこの声が「あなた」に届くことを祈りながら、幻のように消えていきます。

  このMVは、葵ちゃんが見ている世界そのものなのかもしれません。
夜道を照らす月光は、迷える旅人の救いとなります。しかし、どれほど旅人が手を伸ばしても、月に触れることは叶いません。同じように、いつも様々な形で応援してくれる葵ちゃんに、僕らは直接ハイタッチで喜びを分かち合ったり、握手で感謝を伝えたりすることはできません。それは葵ちゃんも同様で、どれほど思い悩んでうなだれている人が居ても、直接その手を肩に置いたり、ポンと背中を押してあげたり、黙って傍に寄り添うことはできません。それを歌や言葉や生き様で表現してくれるのが葵ちゃんの素敵な所ですが、もしかしたら、見えない壁にどうしようもない無力さを覚えた日もあったかもしれません。

  見上げればいつも在るのに決して手は届かない、そんな想いや距離感を、MVでは自身を月に見立てて投影したのかもしれません。そうして改めてMVを見てみると、水面に反射する光が2色であることに気が付きます。一つは月の青白い光、そしてもう一つは、葵ちゃんの衣装と同じ、薄紫色の光です。

   MVの月を葵ちゃん自身の投影した姿だと仮定するならば、反射した月の光は、葵ちゃんの一部とも言えます。月そのものには手が届かないけれど、波間に揺れる薄紫の光は、あなたの目の前で「君らしく、咲けばいいよ」と、声もなく語りかけます。街角でうなだれる「あなた」を見つけた月が「どうか、沈まないように」と強く願いました。その願いがひとかけらの薄紫色の月光となり輪郭を持った姿こそが、海辺で歌う葵ちゃんなのかもしれません。彼女は必死に、歌で願いを届けます。それを感じ取った「あなた」は海辺に行き、なぜかは分からないけれど月に手を伸ばす。歌が終わったことで自身の役割を果たし、海辺の葵ちゃんは再び水面に浮かぶ月の光へと、誰に知られることもなく還ってゆきます。この声が、願いが、「あなた」に届いたのかは分からない。それでも「あなた」のことを想いながら静かに目を閉じ、彼女は海へと消えてゆきました。月は変わらずただそこにあり、世界を白く照らしているのでした。

  私はこの30秒間という短いMVに、儚くも美しい、ひとかけらの願いの物語を感じ取りました。私のMVの解釈は以上です。
森田と純平さんから「ちゃうで」と言われたら速攻で土下座しますね……。

■『シンビジウム』まとめ

  1stアルバム表題曲の『MY ONLY GRADATION』が、葵ちゃんの今までとこれからを描く「私のための、私の歌」だとするならば、2ndアルバム表題曲の『シンビジウム』は、これまで葵ちゃんが見てきた人々に向けて、葵ちゃん自身が想いを込めた「あなたのための、私の歌」なのかもしれません。
『はじまりの音』『君のミライ』『エールアンドエール』などが、真っ直ぐ明るい太陽のような応援歌だとしたら、この『シンビジウム』は、優しく寄り添う、月のような応援歌と言えるかもしれません。伝え方は異なるかもしれませんが、コインの裏表のように、どちらにも葵ちゃんの想いがたくさん詰まっていることは疑うべくもありません。

  まとめと書いてはいますが、自分の解釈をつらつらと書き出しただけなので、特に山やオチがあるわけではないです。強いて言うなら『シンビジウム』にはたくさんの葵ちゃんと「あなた」が隠れているはずだから、自分なりの解釈で味わってみるときっと面白いよ、ということが伝われば幸いです。もちろんこれは、今回の『シンビジウム』に限らず、他の収録曲や今まで葵ちゃんが生み出してきた全ての物事に当てはまることです。

  葵ちゃん自身も「フルを楽しみにしててね!」と言っています。きっとフルが公開されたら、きっと私はまた新しい発見をして、自分に都合のいい解釈をし、勝手に感動し、救われていると思います。

  たとえそれが葵ちゃんの意図したものとは違う味わい方だったとしても、葵ちゃんなら「美味しいって言いながらお腹いっぱいで笑顔になって、幸せな気分になったならそれでいいよ」と言ってくれると思います。違ってたら速攻で土下座しますね……。

最後まで強めの幻覚にお付き合い頂きありがとうございました。これから一人でも多くの人に、葵ちゃんの歌が届きますように。

■おまけ&あとがき

以下は考察というか思いつきレベルの諸々です。

・これまでのカバー曲が与えた影響
  今回のMVの考察では「月光」をクローズアップしました。葵ちゃんで月光というと、鬼束ちひろさんの人気カバー『月光』が思い浮かびます。葵ちゃんのカバーアルバムにも収録され、ファン投票でも上位に食い込んだ『月光』は、痛む心とその共感、抱きしめてはくれないけれど、部屋の隅で膝を抱えている人に、そっと薄いベールをかけてくれるような雰囲気が『シンビジウム』にも通じているような気がします。

  また、葵ちゃんのカバー動画の中で、頑張る人を見守り、そっと寄り添う応援歌のひとつにSEKAI NO OWARIの『サザンカ』が挙げられます。この曲は活動初期にカバーされたほか、葵ちゃんの記念すべき1stソロライブの中で『NIPPON』『小さきもの』『なんでもないや』 を含め、4曲だけ歌われたカバーソングのひとつです。どうしてこの曲たちがソロライブに選ばれたのかは明言されてはいませんが、おそらく葵ちゃんを構成する中の「そっと寄り添う応援」の部分を表現したかったのかなと私は思っています。

  当時は葵ちゃんのオリジナル曲の中にその要素を満たせる曲が無かったため、ピンチヒッターとして選ばれたのが『サザンカ』だったのかもしれません。そして今回、ついに葵ちゃんのオリジナル曲をでその要素を満たせる曲ができたのでしょう。2ndライブで聴ける日を楽しみにしています。余談ではありますが『シンビジウム』も『サザンカ』も、冬に花をつける植物という共通点があります。葵ちゃんがこれを意識したのかは定かではありませんが、もしかしたら、頭の片隅にはあったのかもしれません。

・『シンビジウム』以外の収録曲

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  現時点では、『シンビジウム』の他にあと4曲、タイトルと曲順が公表されています。簡単ですが触れていきます。

02『Eidos』
  1曲目の『シンビジウム』で曲の世界観に心を持っていかれて、余韻に浸りまくっている状態であろうところからの2曲目です。どんな歌詞で曲調になるのか、全く予想がつきません。「Eidos」という単語は前述のシンビジウムの語源である「形」という意味の他にも「パッと見の外見」「種子」のほか、哲学的な意味では「イデア(理想)」など多岐に渡ります。個人的な予想として言うと「外見とか、〇〇らしいとかじゃない、本当の私」のようなテーマで、葵ちゃんの内面をより深く歌うのかなぁと思っています。

08『秘密を聞いてよ』
  アルバムは全10曲の予定で、これは終盤の曲ですね。全く予想がつきません。このタイトルも、修学旅行の消灯後にヒソヒソ話をするような楽しげな雰囲気なのか、沈痛な面持ちで重い話を打ち明ける雰囲気なのか、ドッキリを仕掛ける時のようなイタズラっぽい雰囲気なのか、何も分かりません。『秘密を聞いてよ』の「よ」の一文字で考察が捗ります。はよ聴かせてくれ。

09『8分19秒』
  最初はなんのこっちゃと思いましたが、Googleで調べてみたところ「太陽から地球までの距離」のことでした。別の言い方をすると「太陽の光が地球に届くまで8分19秒かかる」「我々が見ている太陽は、8分19秒前のものだ」といった感じです。だからと言って、これがどういう曲なのかは全く予想がつきません。太陽と地球が何を表しているのか、光の速さならふたつの星もあっという間という意味なのか、光の速さをもってしても一瞬ではない距離の隔たりを歌っているのか、目に見えるものが本当はそうではない的なことを言いたいのか、色々と捗るタイトルですね。

10『紫陽花が泣いた』
  アルバムの最後を飾る曲です。最初と最後に花の名前を持ってくる辺り、何か明確な意図を感じます。「泣いた」という言葉だけを取り上げると、パッと見では悲しい印象を持ってしまいます。しかしながら、先に挙げた『サザンカ』と『なんでもないや』では、泣くのはいつも、嬉しいときです。更に、葵ちゃんが『シンビジウム』の作詞で発揮した詩的な表現のスキルも考慮すると、「泣く」という言葉が単純に「目から涙がこぼれる」という意味だけではない可能性が浮かんできます。紫陽花はご存知の通り、梅雨に咲く花です。雨に打たれた紫陽花から水雫がこぼれ落ちる様子を、「紫陽花が泣く」と表現することもできるのではないでしょうか。こんなイメージです。

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  もちろん前述の悲しい意味・目から涙がこぼれるという意味かもしれません。ですが私は、雨上がりの雲間から差す陽の光を受けた紫陽花の花びらから、一滴の雫がキラリとこぼれ落ちるような、まるで映画のラストシーンを思わせるイメージを持っています。なんというか「梅雨の優しい雨が色んなものを洗い流して、もうすぐ陽が射すよ」という、新しいスタートをそっと報せてくれるようなイメージです。あとはちょうど葵ちゃんの誕生日の時期ですし、新衣装お披露目ムービーのタイトル『Re:emergence(羽化、再び)』の通り、新しい葵ちゃんとしての始まりみたいな意味も含んでいそうです。

  現時点では、10曲あるうちの始まりの2曲と、終わりの3曲のタイトルが決まっています。物語でいえば、オープニングとエンディングは既に出来上がっているということです。葵ちゃんがこのアルバムで伝えたいことをより明確に、効果的にするため、曲順にも最大限のこだわりがあると思います。これまで書いてきた通り、葵ちゃんの思いの丈を込めた『シンビジウム』のタイトルを冠したアルバムです。その終わりには、きっと希望が溢れる優しい歌が用意されていると、ある種の確信をもってここに書き記しておきます。

  勝手な言い分ではありますが、葵ちゃんが私たちに「どうか、沈まないように」と願いを込めたのと同じくらい、私自身も葵ちゃんに、いつまでも笑顔でいてほしいと願っています。

  私は今回のアルバムへの「楽しみ!」という気持ちを、拙いながら文章にしました。他にも、新衣装のイラストや手作りコスチュームや様々な創作物などで「楽しみ!」「応援してるよ!」という気持ちを、心いっぱいに表現している方々を知っています。「楽しみだし応援する気持ちもあるし何かしたいけど、何をすればいいか分からない」という方も居るかもしれません。そんな時は改めて「#富士葵シンビジウム」のハッシュタグで呟いてみるのも、今の大変な時期にアルバム制作を頑張る葵ちゃん達へのエールになるかもしれません。

  アルバム発売の3月24日まで、本日時点で残り約2ヶ月です。このワクワク感を味わえるのも、なんとあと2ヶ月しかありません。私は料理もお祭りも、準備の段階から楽しい時間が始まっていると思っています。手洗いうがいに消毒をしっかり行い、当日はみんなで一緒に葵ちゃんをお祝いし、笑って泣いて限界化ましょう。この記事や皆さんそれぞれの応援が、葵ちゃんがこれから進む道に、シンビジウムのような沢山の彩りを与えることができれば幸いです。

2021.1.17   文責:どぅー

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