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「家業から企業へ」が主流な世の中で逆をやって売上も減らしたのに楽しく生きている会社の話し

「家業から企業」、「拡大志向」
が主流な世の中で、
「企業から家業」、「縮小志向」
と真逆をやったのに倒産するどころか、
今日も楽しく生きている不思議な会社の話しです。

どうも!皆さん、こんにちは。
不思議な会社「ひとのこと」のだいすけです。

<この記事はこんな方におススメです>
・新しい組織の形に興味がある
・拡大志向→ちょうどいい志向
・事業づくりと組織づくりの両立
・自分にとってちょうどいい生き方をしたい
・売上至上主義に疲れた
・ライフシフトってどういうこと?

倒産するばかりか、今日も楽しく生きている不思議な会社「ひとのこと」
そこには一体何があるのか?!
それでは早速いってみよう!

拡大する新しい教育

2019年3月 福岡県福岡市で「4つのQがバランスよく育つ」をコンセプトにした学校を展開していた一般社団法人クラウドナイン・エデュケーション(後にひとのことと名乗ります)
この時は「企業としての成長」、「世のスタンダードになる」を目指すよくある企業でした。

<当時の主な特徴>
・自分の人生を生きるために大人が学び実践する「おとなの学校」を開校
子育て中のママを始め述べ342名が受講
・本来生まれ持った子どもの力がそのまま育つ「こどもの学校」を開校
1歳半~中学生まで36名が在校(保育園・放課後学童)
・親の通学が子の入学条件とした家族単位で育つことを重視した教育を行う
・そうした厳しい入学条件のある学校としては異例の年商2000万

そのはじまりは小さな英会話教室からでした

2010年11月~英語を教えない英会話教室

6畳ひと間の和室で、英会話教室として開校
他所の習い事を断われた生徒さんが生き生きと過ごしたり、授業の入れ替わり10分間での育児相談が定番になったりと、「英語を教えない英会話教室」として、口コミで少しずつ広がっていきます。

2011年12月~親のための勉強会が始まる・法人設立

英会話教室の生徒数増加に加え、未来の人財を育てる教育者・親のための勉強会開講後、拠点の福岡から佐賀や大分へと広がり、
一般社団法人クラウドナイン・エデュケーションを設立。
その後も起業経営講座を開催するなど勉強会は広がりを見せます。

2014年5月~事業規模の拡大・事務所移転・東京校開校

おとなの学校・こどもの学校を開校、
同年10月には東京校を新設し、事業規模を拡大していきます。

2017年11月~ユヌス・ソーシャルビジネスカンパニー登録

ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスの提唱する経営方針に賛同し、ユヌス・ソーシャルビジネスカンパニーに登録

2018年2月~日本財団職親プロジェクト参画・雇入

刑務所から出所した人の更生を支援する日本財団職親プロジェクトに参画
同年10月 職親企業として1名雇用
その傍ら、新たに岐阜県にて講座の開講、福岡県直方市にて”仮想未来区役所 直方出張所囲炉裏”のプロデュースを始めました。

ライフシフトは突然に。順調に見えた企業の成長は令和の乱によって終焉した。

2019年5月13日令和の乱

この日、従業員は12名→2名、売上は1/3に減少、おとなの学校・こどもの学校は閉所するという出来事が起こる。
ちなみに令和の乱の由来は、令和元年に起こった社内紛争から、歴史好きな僕だいすけが面白がって命名したから。

それまで順調に成長していると見えた企業の裏側で潜在的にあった様々な問題は、2019年の年明け頃から顕在化し始めていた。
・社内で派閥が生まれ社員間に不信感が生まれていたこと
・毎月の売上目標未達が続き、高まる緊張感と低まる勤労意欲
・顧客離れと育たぬ現場(自分も含め)

当時、主任職にいた僕は、何か社内で起こっている、このままではヤバいという不安感はあれど、一番伝えたい相手(上司)に伝える勇気を出さないまま、月日は流れていった。

そんな日々に内心「あー何か起こらんかな~」と変化を願う自分がムクムクと育っていた。

決め手は代表あっこが「自分を生きるをはじめた」こと

これは代表あっこ本人の言葉を引用したい。

2018年夏に出張先の岐阜で出会った20歳年下の青年。
私は当時運営していた「おとなの学校・こどもの学校」のスタッフ(男性・20代・教員免許あり・海外渡航経験あり)を探していました。
だから希望通りの青年が目の前にいたことに驚いた。彼はこれからも全国、海外を転々とし、見聞を広げたいと話していました。
でもその時、この青年と3回出会ったら「福岡で一緒に働かない?」とオファーしようとふとそんな思いがよぎっていました。

話の流れで出会った翌々日、彼は知人と岐阜から福岡へやってきました。
私は彼の知人と(同じくフリースクールを運営していた)交流することが主だったため、彼との会話はほとんどなく時間は過ぎました。
それなのに、その後、驚くほど偶然にそして必然的に出会い、3か月後には私の思い通りに彼はうちの会社で働くことになりました。

その5か月後、
準備中のフリースクール改装のため、休日出勤。彼以外は予定があり、わたしと彼ですることになりました。
この数か月多忙だった私は作業中、ふと窓の外を眺め、小鳥のさえずりを聴いた瞬間、何とも言えない空しさがこみ上げてきて、涙がとまらなくなりました。

「なにやってるんだろう」

そんなつぶやきに驚いた彼は手をとめて「しんどかったね」と言いました。

「だってヒロキが私にやれっていったんじゃん」

つい口から洩れたその言葉にわたしも彼も唖然としました。

その後、ふてくされて作業にならず、寝転がって目を閉じました。
それから先、まさかお互いが同時に過去生をみることになるとは思ってもいませんでした。

そして、彼、ヒロキの魂との出会いは私にとって精神的な進化を促す機会となります。
これまでなんとなく「感じる」「わかる」は霊視ということに気づいたのはもう少し先のことです。

あっこ@ひとのこと
過去生・未来生リーディング ~はじまりのはじまり
https://note.com/kotono84acco/n/neb4a9c16b0af

組織はトップ以上にはならない

という名言通り、代表あっこの意識の変化に、社員それぞれ
潜在的だった「生きる目的の違い」が明らかになった日が5月13日でした。

そこからは、
理事の退任、緊急の社員会議、社員の退職、事業の廃止、緊急の保護者説明会、学校の閉校と目まぐるしく進んでいった。
なんなんだ一体?!

そうした令和の乱の後に残ったのは
代表あっこ、ひろき、だいすけの3人。

実は僕だいすけと代表あっこは義理の親子。
↓気になる方はこちらを読んでね

そして、代表あっこと社員ひろきの間に起こった
「お互いが同時に過去生をみる」は、後に事実婚という形で落ち着くことになる。
↓気になる方はこちらを読んでね

そう、気付けば謎の家族経営が始まっていた(企業→家業の瞬間)

人に初めて説明する時は、組織図よりも家族図の必要性を感じる日々があるとは到底思いもしなかったよ。

そんなこんなで令和の乱をきっかけにして、
僕たちは、それまで8年続けてきた「おとな学校」「こどもの学校」
という主力事業をあっさり辞めることを決めた。

「事業は人がつくるもの。集う人達がやりたいことでなければ持続不可能」
という代表あっこに僕たち2人も賛同したからだった。
(退任した理事や離職した社員の想いも入っていたので仕切り直しの必要性を感じた)

「真っ新で始めよう。さぁ、何をやりたい?」

という言葉を皮切りに3人それぞれが叶えたいことを語り合い、
誕生したのが「自分を生きるをはじめる会社ひとのこと」

コンセプトは、
「誰かが決めたこれがいいから、自分の決めるちょうどいいへ」
シェアスペース、シェアハウスを運営したり、
・岐阜や大阪、静岡へコミュニティプロデュースのため出張に行ったりと、
それまで親子が通うスクールからガラっと事業転換した。

2次創業。

これがまぁ中々お金にならんかった。博多駅からバスで20分ほどの立地とは言え、家賃や駐車場代もバカにならない。今思えば1人雇える地代家賃をどうやって毎月払っていたのか不思議だ。

毎月末は経費削減を理由に事務所移転を訴える僕とお金を理由に移転はないと却下する代表あっことでケンカになることもしばしば。誰かが会社を辞める辞めないなんてのは日常茶飯事、1度は警察のお世話にもなるなど、最早、家業だから許される?自己開示の日々でした。(3人それぞれとにかく必死に自分と、相手と向き合う日々だった)

事業転換してから2年目の春、ある日、代表あっこにお告げがくる。
「搾取→循環」と。
それを機に、あれだけ反対していた移転話があれよあれよと言う間に動き出した。
なんなんだ一体?!(デジャヴか)

僕たちに訪れた次のライフシフト

ライフシフトと言うのは、想いもよらぬ形で忍び寄ってくるクセに始まったら怒涛の速さで進んでいく。
あれほど移転に反対していた代表あっこにお告げがきてから僅か3か月後には事務所移転が完了していた。

2021年8月
10年事務所を構えた博多から、程よい田舎と言われる福岡県直方市へ移転した。詳しくはこちら☟

代表あっこに降りてきたお告げ「搾取→循環」と言うのは、1人雇える地代家賃を払い続けるのではなく、その分を人や機会に投資したい、それが循環を生むはずだというものだった。

僕が言っていた「払えないから移転」という恐れからの理由とは大違いで、
「持続可能な社会づくり」を見据えた希望ある選択だった。
行動は同じでも動機が恐れか希望かで得るものが変わると、この時知った。

自分達にちょうどいいサイズで事業をはじめる(ちょうどいい志向)

「誰かが決めたこれがいいから、自分の決めるちょうどいいへ」というコンセプト通り、僕たちもまた自分達にとってちょうどいいを実践・探究してきた。
売上のためにこれしなさい→自分は何がしたいの?
8時出社17時退社しなさい→自分はどうしたいの?
給与○○万円です→自分はいくら欲しいの?

自分で決めるという自由な世界では、誰のせいにもできない。
人の焚火で暖を取ることに慣れた僕には、自分の焚火で暖を取りなさいという世界観は初めとても孤独に感じられた。

与えなければ、得られないという言葉に出会った時、自分が動かず人を動かそうとしていたことを知り、だいぶ恥ずかしかった。

自分の焚火で自分を温める僕たち3人が目指すのは、
誰かを温めることではなく、自らの焚火で温まる人と共に生きる社会だ。
だから、毎年売上を伸ばし続ける拡大志向ではなく、自分にとってちょうどいい志向が経営の指針になっている。(正直、依存される方がお金にはなる)

事業も売上を上げるためではなく、自分がわくわくするか?が企画の基準。
これまでに大きく6つのメニューが誕生した。
1.オンラインサロン ひっそり世界を救うつもりの会
2.リーディングセッション
3.今日から幸せになる 祈りのことば講座
4.共感力を高めるワークショップ
5.雑貨屋 星に願いをみんなに愛を
6.Culgoa works

結論・・・そこには何がありましたか?

倒産するばかりか、今日も楽しく生きている不思議な会社「ひとのこと」、
そこには何がありましたか?


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