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サインに気付く
転職プレウィーク5日目を終えた今日。
19時~ひとのことアカデミー探究クラスがあった。というか受講中だ。
探究クラスは毎回テーマを設けて参画者同士の対話やファシリテーターあっこのファシリテートという協力を得ながら、自分について理解を深める時間だ。
今夜のテーマは「欲求」について。
自然とある情景が浮かぶ=欲求、らしい。
欲求とは、遠い未来の欲求もあれば、今日、今、各実に叶えられる欲求もある。
今日、今、私の欲求、、、何だろうか。
ぐっすり眠りたい、かな。
それってどういうことか?
ぐっすり眠るだけだったらホテルを予約して1人で寝ればいい。
それは違う感じがするなぁ。
朝まで起きることなく寝たとしても寝起きが眠かったとしたら?
それも違う感じがするなぁ。
活力に満ちて朝を始めたいのか。
それは欲求ではなく、理由というらしい。
うーむ難しいなぁ。
そう言えば、今の私は随分と青春しているなぁとふと思い出す。
・片道40分自転車で通勤
・部活ばりの肉体運動(労働)
・切磋琢磨し合う仲間の存在(歳の近い上司)
中高と不登校・引きこもりだった私からすると遅れた青春なのだ。
そこから思いつくのは、
自分1人で楽しむのではなく、人と一緒に楽しみたい!という欲求。
「自分1人で楽しむのではなく」という前置きには、懺悔の念が含まれている。その懺悔を自分自身が許すならば・・・?
そもそも懺悔する様な行いとは何か?
自分がうまくいかなかった時に、自分へ悪態をついたり、批難したりする。
同じ様に人の欠点や失敗に対しても心の中で悪態をついたり批難したりする(漏れていることもあった)
人がうまくいかないことを自分がうまくできた時には、それが優越感となり自惚れとなる。
自惚れていたことを失敗した時には途端に消えてなくなりたい位、恥だと感じる。死にたくなる。
ああ、私はこうして中高でつまづき、自殺願望に至ったのかと納得がいった。
では、
自分へ悪態つく時間を他人に感謝したらどうか?
そう思うと途端に思い出が変わる。私の至らなさよりも、人の優しさに気付く。その優しさへの感謝を伝える様子を思い浮かべると、相手も私も活力が湧いている様子が見える。
そう言えば、ここ数日、舌が浮腫み、浮腫んだ舌が歯にあたり口内炎一歩手前になっていた。
リズ・ブルボーで調べると、舌のトラブルは
「自分が誤った発言をしない様に監視すること、ミスを許さないこと」から起きるという様なことが書いてあった。
正しくドンピシャ。随分と正直な身体を私は持っている様だ。
ああ〜、明日、早速今日受けた優しさへの感謝を彼に伝えていると想像し、楽しみだなあ。
これが欲求ってやつらしい。そして、これが協力ってやつらしい。
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