見出し画像

とにかく明るい安村さんのI'm wearingから日英語について考える

Don't worry, I'm wearing.

先日、お笑い芸人のとにかく明るい安村さんがイギリスのオーディション番組Britain's Got Talentに出演し、話題になっていました。

安村さんは、水着一枚でさまざまなポーズを取り、裸に見えそうな姿を見せたところで「安心してください、はいてますよ」と言う芸でおなじみですね。今回はその英語版を披露して人気を博していました。出演部分は以下から見ることができます。

安村さんは「安心してください、はいてますよ」に当たる英語として "Don't worry, I'm wearing." と言っています。この表現について、同僚の先生(数学がご専門)から質問をもらったので回答したところ、とても興味深いと言っていただけたので、せっかくなので記事として書いておくことにしました。言語学の研究をしていると、こんなことを考えたりするという1つのサンプルとして見ていただければと思います。

Pants!

安村さんの動画はウェブ上で大きな反響を呼んでいましたが、特に関心が集まった点として、安村さんが "Don't worry, I'm wearing." と言うと、審査員の女性がそれに続いて "Pants!" と叫んでいたことが挙げられるかと思います。この部分についてのTwitter上の反応は以下にまとめられています。

Twitterなどで指摘されているように、英語のwearは他動詞、つまり目的語を必要とする動詞なので、I'm wearingで止められると文が不完全のように感じられ、目的語を補う形で審査員が "Pants!" と叫んだ、とまとめることができるでしょう。安村さんと審査員の間で掛け合いが成立しているような状況がとてもおもしろく感じられます。読売新聞オンラインに掲載されていた以下のインタビューを見ると、安村さん本人はこのような掛け合いを狙っていたわけではないことがわかります(Aが安村さんの発言)。

Q ”Wear“が他動詞だから、あのコール&レスポンスのような盛り上がりが生まれた気がしますが、それも狙ったわけではなく?
A 日本語と英語の感覚の違いは全然知りませんでした。でも、あそこで審査員が叫んでくれたことで、会場の空気はすごく良くなりましたね。

世界でバズった、とにかく明るい安村「目的は日本で注目されること」…英語のコツは「超ゆっくり」 : 読売新聞オンライン

私は安村さんがイギリスでネタを披露したというのは知っていたのですが、動画は見ていなかったため、このような掛け合いがあったことは同僚の先生から聞いてはじめて知りました。そして、次のような質問をもらいます。英語では目的語が省略できないのは知っているが、いちいち言わなければならないのはなぜなのか。状況から言って目的語に当たるものが何かはわかるはずなのに、本当に目的語がなくて困るのだろうか。英語話者は一体どういう感覚になるのだろうか。

この質問を聞いて、なるほどなあ、それは考えてみるとおもしろそうだと思いました。直接的な答えを言うのは難しくても、日本語で似たようなことがないのか探してみることはできそうです。

質問の整理

まず、英語で自由に目的語の省略ができないのはなぜか、についてですが、これは本気で答えようと思ったら、簡単に扱うことはできない質問です。そもそも英語でまったく目的語の省略が起きないかというと、そういうわけではなく、省略可能な場合もあります。そのため、目的語省略がどんなときに起こるのかを整理するのがまず大変です(興味のある方はこの記事の「おまけ」をご覧ください)。とりあえず、日本語で目的語に当たるものを言わないことはとても多いのに、英語で目的語省略が起こる範囲は極めて限定的であるのは確かで、その上でそれが「なぜか」という問いに答えるのは難しいため、質問の残りの部分に移ることにします。

目的語を言わなくても状況からわかるだろう、というのはその通りだと思います。安村さんが "I'm wearing." と言うとき、水着を指でさしていますから、この点は明らかでしょう。したがって、目的語に当たるものが何かは理解できるが、それでも目的語がないと英語話者は不足を感じているようだ、と言えます。でも、本当に英語話者はそんな感覚になるのだろうかと疑問にもなります。日本語でも似たようなことが起きていることがわかれば、その感覚について納得できる部分があるかもしれません。

日本語で不足を感じる場合

ここでふと思いついたのが、次のような表現です。英語で "What time do you usually go to bed?" などと聞かれたら、"At twelve." のような回答が考えられます。何も難しいところがなさそうに見えますが、ここにヒントがあるような気がしました。

日本語だとどのように言うか考えてみます。「ふだん何時に寝ますか?」と聞かれた場合、ちゃんと答えるなら「12時に寝ます」など、もうちょっと簡単に答えるなら「12時です」、あるいは単に「12時」あたりかと思います。しかし、「12時に」だったらどうでしょうか。「12時に」まで言われたら、次に「寝る(寝ます)」が続くのが明らかであったとしても、そこで止めずに最後まで言ってほしい気がします。「何を食べたの?」に対して「カレーを」で止められる場合も、私は同じように感じました。どうやら、日本語の場合は、「に」や「を」などの格助詞で止めて、それに続くはずの動詞を省略してしまうと、たとえどんな動詞が続くのか文脈上明らかであったとしても、少しばかり不完全な言い方だと感じてしまうことがありそうです

このあたりの感じ方は個人差もあるようです。実は、この記事を書くにあたって、5人ほどに「ふだん何時に寝ますか?」に「12時に」と答えた場合に物足りなさを感じるかどうか聞いてみたところ、4人は物足りなさを感じる、1人はそんなに悪くない、という答えでした。

そして、このような表現の自然さは、文体や使用場面なども関わっているのではないかと思います。戦国武将のセリフなんかを思い浮かべると、「いざ戦場へ!」のような言い方はいかにもありそうです。また、会社の飲み会で上司がビールを注文した後に、部下が「それじゃあ、私もビールを」のように言う場面は自然に想像できます。この場合、「私もビール」だとまるでため口のように聞こえますが、「を」まで言うと少し丁寧に感じられます。「ふだん何時に寝ますか?」に対して「12時に」と答える場合も、誰と誰の会話を想定するかによって印象が変わってくることもあるかもしれません(たとえば、医者が睡眠時間を聞いて患者が答えるような場面だと「ええと、12時に」のような答えはありそうです)。英語では "At twelve." がごく普通であることもあって、映画の吹き替え・字幕、あるいは翻訳調の文体で書かれた小説などでは見る機会があると思います。個人差がどれぐらいあるのか、どのような文体や場面なら格助詞で止めてもおかしくならないのかなど、調べてみるとおもしろそうだと思いました。

さらに、格助詞によっても自然さは異なりそうです。たとえば「何時から試合が始まったの?」に対して「11時から」と答えたり、「だれと一緒にごはんを食べたの?」に対して「太郎と」と答えたりするのは、動詞が続いていませんが、おかしくないように感じました。

こういった点には注意が必要ですが、「ふだん何時に寝ますか?」に対する返答として「12時に」などと言う場合には、やや物足りないという感覚になる人が多いのではないかと思います。

というわけで、英語においてI'm wearingで止める(目的語を言わない)場合の不足感と、日本語において「12時に」で止める(動詞を言わない)場合の不足感はある程度似ているのではないか、と思いました。両者がまったく同じタイプの現象だと言ってよいかはわかりませんし、個人差も見られそうですが、省略現象について考える上で一歩前進できた気がします。

日本語で似たような掛け合いを考えてみる

安村さんの "I'm wearing." に対して審査員が "Pants!" と応じるというのは、
他動詞に対して目的語を補う形で成立していた掛け合いだと言えます。ここまでの話を踏まえると、日本語の場合は、格助詞まで言って止めて、動詞部分を相手に言わせる、という掛け合いを考えることができますね

ちょっと思いついたのが以下のようなものです。以前「アメリカ横断ウルトラクイズ」という番組(出場者たちがクイズに挑戦しながらアメリカ大陸を横断し、ニューヨークを目指す)が放送されていて、司会者が「ニューヨークに行きたいか!」と言うと、出場者たちが「おー!」と言う場面が有名だったように思います。もし仮に司会者が「ニューヨークに~」と言ったところで止めたら、きっと出場者たちは「行きたーい!」のように応じたのではないでしょうか。実際に番組でそういうやりとりがあったかどうかはわかりませんが、自然な状況として想像することができました。ステージ上でパフォーマンスをするような方は、もしかしたら、どんな表現を使うと観客とうまく掛け合いができるのかを自然と考えることができているかもしれませんね。

おわりに

以上が、私が回答した内容です(記事にするにあたって少し付け加えた部分もあります)。質問をもらってその場で回答することはできなかったので、「後で答えます」と言って2、3時間後に回答したのですが、考えている時間も楽しかったです。同僚の先生方から英語・日本語について質問をもらうことがけっこうあり、そのたびに有意義なやりとりができています。今回はこうやって記事に残しておくことができてよかったなと思います。

[追記]
「日本語で不足を感じる場合」のセクションに個人差の話を加えました。もともと個人差がある程度あることを想定した書き方をしていたつもりですが、もっと明示的に個人差について書いておくことにしました。また、使用場面や文体についての話を少し詳しくしました。(2023年5月14日)

おまけ×5

【おまけ1】
今回の番組では下着のパンツを指してpantsという表現が用いられていましたが、アメリカ英語だとpantsはズボンを指すことが多く、下着のほうはunderpantsなどの言い方がなされるように思います。

【おまけ2】
英語の目的語がいつ省略されるかについては、言語学で研究がなされています。目的語省略についてざっと概観したい方には、影山太郎編『日英対照 名詞の意味と構文』(大修館書店)の第4章「目的語の省略」が便利かと思います。

【おまけ3】
月刊誌『英語教育』の2022年1月号に書いた記事で、レシピの目的語省略に触れたことがあります。レシピは、英語にしては珍しく、目的語の省略が頻繁に起こるジャンルです。レシピの目的語省略についても、言語学の研究があります(私自身も研究しています)。以下のツイートも見ていただければ幸いです。

【おまけ4】
先ほど述べた通り、英語では "What time do you usually go to bed?" に対して "At twelve." のような回答が可能ですが、日本語で同じような質問に「12時に」と答えると物足りない感覚になります(単に「12時」だけなら、丁寧な答え方ではないですが、物足りない感覚にはならないでしょう)。そう考えると、"At twelve." のような表現がサッと口から出てくるようにするというのは、日本語話者にとっては意外と大変なことなのかもしれません。こういった日英差を意識しながら英語を教える必要があるなと感じました。

【おまけ5】
安村さんの "I'm wearing." に対して審査員が "Pants!" と応じたことで、安村さんと審査員が共同で1つの他動詞文を作った、と見ることができます。このように、2人以上の発話者によって1つの表現が作られる現象についても研究が行われています。英語だとco-construction、日本語だと「共同発話」や「共話」などの用語が用いられていますので、興味のある方はそういった用語で検索してみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?