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「何の変哲もない」の「変哲」って?

あたりはまだ明るかったので、それは何の変哲もない黒い水辺の虫にしか見えなかったが、突撃隊はそれは間違いなく螢だと主張した。螢のことはよく知ってるんだ、と彼は言ったし、僕の方にはとくにそれを否定する理由も根拠もなかった。よろしい、それは螢なのだ。
――村上春樹『ノルウェイの森』

「変哲」の意味?

日本語の勉強をしている外国人に「何の変哲もない」という表現の意味を尋ねられたら、なんと答えるだろうか。自分の母語についてであっても、急に尋ねられるとなかなかうまく答えられないものだが、落ち着けば〈変わったところがない〉などと答えられるだろう。

では、「変哲」の意味を尋ねられたらどうだろうか。これは返答に困る。おそらく、そんな質問をされるまで、「変哲」の意味なんて考えたことがないという人が多いはずだ。人によっては、次のように考えるかもしれない。

(1) 「何の変哲もない」は、「何のXもない」+「変哲」(Xに「変哲」を入れる)という成り立ちをしている
(2) 「何のXもない」は〈Xがない〉ことを強調する表現である
(3) 「何の変哲もない」の意味〈変わったところがない〉から、「何のXもない」の意味〈Xがない〉を引き算すれば、「変哲」の意味〈変わったところ〉が導き出せる

『明鏡国語辞典』(初版)で「変哲」を引いてみても「普通と違っていること。変わっていること。」と書かれているので、そのような考え方は間違ってはいないのだろう。だが、「変哲」の意味を〈変わったところ〉と答えてよいのか戸惑う人もいるはずだ。たしかに、「何のXもない」という表現自体は他にたくさんあり、「何の変哲もない」もそのグループの一員であると言えそうだ。実際、(6) や (7) などは、意味も「何の変哲もない」にかなり近い。

(4) 何の違いもない
(5) 何の変化もない
(6) 何の特徴もない
(7) 何の面白味もない

しかし、これらと「何の変哲もない」には一つ大きな違いがある。「変哲」の場合は、ほとんど「何の変哲もない」という形でしか使わないという点である。(5) のように「変化」であれば、「何の変化もない」以外に「変化がある」「変化に気づく」など、他のことばとの組み合わせも可能であるが、「変哲」ではそのようなことがない。そのため、「変哲」単独の意味を知ることはあまり有意義ではなく、「何の変哲もない」全体の意味がわかればそれで十分であるとも言える。「変哲」の意味を尋ねてくる日本語学習者は、そうした事実を知らないかもしれないので、「変哲」の意味が何であるか以上に、「何の変哲もない」という決まった表現として用いることを伝える必要があるだろう。(外国語学習では、必ずしも実用的でないことまで聞いてみたくなるので、もし実際に聞かれることがあったら、「変哲」の意味なんて知らなくていいよ、などと学習意欲をそぐようなことは言わないつもりだが。)

英語の場合も

同じような例は英語にもある。英語のby dint of ... は、「...によって、...の力で」を意味する表現だが、dintは実質的にこの形でしか用いられない。Longman Dictionary of Contemporary English(第6版)では、dint単独の意味は載せておらず、by dint of ... の意味(by using a particular method)と (8) の例文のみを載せている。dint単独ではなく、by dint of ... という形でしっかり覚えるように、ということが示されていると言える。

(8) By dint of hard work and persistence, she had got the job of manager.

ただ、dintはこの形でしか使われなくても、[by X of ...] という表現は他にもある。

(9) by means of ...(...によって、...を使って)
(10) by virtue of ...(...によって、...のおかげで)
(11) by reason of ...(...のために、...の理由で)

(9) から (11) は意味の上でもby dint of ...に似ているし、(10) などはby dint of... の代わりに使うことも場合によってはできるだろう。そのため、by dint of ... も [by X of ...] のグループに属していると言えるのだが、dintが他のフレーズには現れない点が、(9) から (11) と異なる。英語話者に尋ねたことはないが、dintの意味は何か聞いてみれば、日本人が「変哲」の意味を聞かれるのと同じような反応になるのではないかと思う。

意味の基本単位としてのフレーズ

私たちは言語の意味を考えるとき、漠然と部分の意味を足し算すれば表現全体の意味が得られるように考えてしまう。しかし、本当にそうだろうか。今回取り上げた二つの表現は、「何のXもない」と [by X of ...] にそれぞれ「変哲」とdintを足した形をしているし、類似の成り立ちの表現と共通する意味があるのに、肝心のXの意味はわからないまま使われている。このことは、私たちは必ずしも部分の足し算をして表現をつくっているとは限らないこと、単独の語よりももっと大きいフレーズの方が意味の基本単位になりうることを示している。

「何の変哲もない」は、それこそ何の変哲もない表現だが、実は、言語にとって「単語の足し算をするというのはどういうことなのか」「意味のありかはどこか」を考えるきっかけにもなる。


[補足]本記事は2012年7月に筆者のブログ「大学芋」で公開した同名の記事に若干の修正を施したものです。冒頭部分は村上春樹『ノルウェイの森(上)』(講談社文庫、pp. 94-95)から引用しました(太字による強調を追加しています)。

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