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『あかり。』⑤初めての相米演出・相米慎二監督の思い出譚

後年、たまに北海道をたびたび一人で訪れた。
そんな時は旧知のロケコーディネーターに頼んで宿を押さえてもらう。
彼に頼むと、自分の懐具合より少しいい宿に泊まれるのだ。
時間が合えば、食事をしたりする。話は尽きない。
「ずいぶん変わっちゃったよね」
と彼は北海道弁のトーンで言う。最近の仕事事情のあれこれのことだ。
そして、まるでつい最近のように相米監督とロケした時の撮影を懐かしそうに話す。この人は仕事も丁寧な上に実に大らかな人で、東京のスタッフに愛されているのだが、同郷の相米監督のことが人一倍好きだ。
少し、思い出話をする。あの時、何を食べたか、なんていうのが大抵の話題だ。
監督の好きだったアオツブ貝があれば、それを頼む。彼は監督の食の好みを熟知している。
山わさびをたっぷり添えたイカの刺身も頼んでくれる。
二人とも酒が飲めないから、烏龍茶でそれらをひたすら食べる。
「監督に食べてもらいたいね」などと言いながら、僕たちはしばらく時を過ごす。

相米慎二監督に初めて出会った頃、監督は時間だけはたっぷりあったので、ずいぶん一緒に酒席を共にした。


北海道のロケハンの時など、多ければ5軒はハシゴするので驚いた。日が暮れれば飲み始め、それが真夜中まで続いた。監督は酒呑みでありながら健啖家でもあったので、いく店いく店で「なんか美味いものないの?」と常連のように店の人に言い、店もなぜか言われるままにメニューにないものを出してしまう。なんとも不思議なやりとりだった。


その時間の中で、僕はなんていうか無邪気にいろんな質問をして、(まあ、それに素直に答えてくれるような人ではないのだが…)ヒントめいた言葉をいただき、自分なりに咀嚼していた。それは今まで得られなかった貴重な時間だった。

自分の欲しい……ずっと探していたものが、もしかしたら見つかるのかもしれないと、いつも監督と話していると思えた。
監督の滞在時間はきっと短いだろう。すぐに映画の世界に戻ってしまう。せめて、この仕事の間だけでもやれることを全てやり、監督を見ていよう。僕は、そう決めていた。

その時は、監督との日々があれほど長く続くとも思わなかったし、結果的にあれほどあっけなく終わってしまうとも思っていなかった。

すぐに撮影がやってきた。初めての相米演出。それは自分の中で衝撃的だった。
まず、何も役者に説明しない。スタッフにも説明しない。
「どうすんの?」
それだけだ。
その時のカメラマンは広告界の大御所で(僕も何度も仕事をして胃の痛い思いをしているが、素晴らしい絵を撮る)監督がそう言ったからなのか、勝手に準備を始め、いつも以上に大声で現場を仕切り始めた。照明部は二、三キロはある森林公園の道路の緑のなかに何箇所も迷彩のシートをかけて大型のライトを仕込んでいる。
そして、役者は……キャストは竹中直人さんと山口智子さんだった…監督の問いかけに戸惑いながらも笑顔でやってみます、と答えていた。
そもそも、今回は相米慎二監督だから、自然と前向きになって現場に入っている。

これは大人の役者に限ったことかもしれないが、相米さんが監督をするとわかった時点で、その仕事に前向きになり、現場に入るときにはすでに出来上がっていることが多い。


たびたび感じたことだが、それはずいぶん監督する側に取って楽なことだ。演出で役者を上げることが一番エネルギーが要るのに、すでにエンジンが温まっている精神状態の役者は扱いやすい。その逆はものすごく大変だ(CMの場合なぜかすごく多い)。
ある程度プロとしてやってきた腕に覚えのある役者であれば、尚更、人を見る。つまり監督を見る。相米監督はそれに合わせてカードを切るのだ。

CMだからセリフは短い。頭に入っているのだろう。車に乗り込むと、その場で二人はセリフ合わせを始めた。それを監督がニヤニヤしながら見ている。
「もっと面白いことやってみろよ」
監督が適当に言葉を投げかけると、役者が反応する。芝居を変える。
そんなやりとりが何度も続く。


早朝の日差しは短いし、この場所を借りている時間は短い。
カメラマンがイライラして僕を呼びつける。
芝居のたびにストップウオッチを押すが、全く秒数に入っていない。CMは15・30秒だ。このやりとりにかけられる秒数は、あらかじめ決まっている。
リハのたびに、役者の芝居が変化する。セリフの前のノリ白が増え、合間の余韻が増える。ニュアンスが増える。それは演技として見ればすごく面白くなっているのだが、秒数に収まらなくては使えないテイクになってしまう。
どうしたらいいんだ……。僕はひんやりしていた。あれだけ綿密に繰り返した秒割も無惨に砕かれていく。
しかし、監督に秒数に入っていないですよ、なんて初めてなのにとても言えなかった。


やがて本番が来て、カメラは回り始めた。
カメラは移動車に乗っているし、役者は劇車に乗っている。一旦カメラが回り始めれば、カットをかけても役者は遥か数百メートル先に行ってしまう。
テイクが重ねられて、監督のOKは、なかなか出ない。
「村本くん、なんか言ってきて」
「はい…あの、なんて…」
「もっと他にないのかって、言ってこいよ」
「はあ……」
僕はダッシュで劇車に向かう。しかし、どう考えても、そのまま伝えるわけにはいかない、といって他の言葉に翻訳する能力もない。
結局、丁寧な言葉でそのまま伝えるしかなかった。


役者は、それじゃわかんないと言う。まあ、当たり前だ。また、走って戻る。監督に伝えると「そうなの?仕方ねえなあ…」と、制作部があらかじめエキストラ用に用意してくれていた自転車に乗って役者の元に行く。僕は後ろから走ってついていく。これが結構きつい。なんていうか精神的に。
役者にしてみれば、相米慎二監督の言葉が聞きたいわけで、僕の伝言などどうでもいいのだから仕方ないのだけれど。


そんなわけで、監督が役者に伝える言葉を必死になって聞き取りながら、僕はまた本番になればストップウオッチを押し、秒数に入っていない芝居に心の中でため息をつく。それがひたすら続いた。
いつしか監督のOKは出たのだけれど「まあ、いいことにしよう」と笑いながら言う感じだったので、なんだか拍子抜けしたことを覚えている。
その後も、車の走りのシーンをいくつか撮影した。走行シーンの演出には、相米監督は興味を示さず「やっといて」と言い残し、なんていうか遊んでいる風だった。しかし、監督なしに進めるわけにもいかない。僕たちはスタッフと撮影を重ねた。

車のCMにとって、劇車の走行シーンはとても大切なので時間帯や日の回りなどいくつもの留意点がある。監督は音声で役者の車内のやりとりをヘッドフォンで聞いて笑ったり、ぶつぶつ言ったりしていた。

カットをかけないから、用意したエキストラが車の抜けにいるところを本当は使って欲しいのに、役者も監督もそんなこと全くお構いなしだった。いずれにしろ、用意した人数では、その距離を埋めることなど出来はしなかったのだから仕方なかった。
そんなふうにして初日の撮影が終わった。


あの日はとにかく長かった。

ひとつだけわかったことは、相米慎二という監督は役者にだけ伝わる特別な言語を持っているということだけだった。それを理解でき、自らの肉体で実践できることは役者にとってもきっと特別なことなのだ。

それは僕が獲得したくても、決して手の届かない素敵な言語だった。

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