見出し画像

『あかり。』 #29 チベット巡礼 / 高山病にやられて・相米慎二監督の思い出譚

チベットのラサは、高度が4.200メートルだ。

富士山より高いところにある街である。
そこに飛行機は着陸した。
朝まだき空港に降り立つと、息が苦しく、酸素が体内に入ってこないのが実感できた。深く深く、ゆっくりと深呼吸を繰り返すが、どうにもならない。

飛行機を降りた瞬間に、きた。
唇が紫色だよ、とツアー同行者に言われたが、それはお互い様であった。

徐々に頭痛が始まる。身体が重くなる。
荷物はなかなか出てこない。
身の回りには聞きなれない言語が飛び交っていた。

相米監督はみんなから少し離れたところに立ち、ぼんやりとみんなの荷物が出てくるのを待っていた。
「監督、大丈夫ですか?」と声をかけると
「オレは大丈夫だな、今のところな」と言った。
監督は荷物を預けることなく肩にリュックを背負っているだけだ。

高山病の典型的な症状は、呼吸困難と頭痛、身体の倦怠感である。
それはこの後で全て味わった。この場所に馴染まない限り、それは治らない。
うまくすれば数日で慣れ、下手するとずっとそのままだそう。
命を落とすこともある。
それこそ、今風にいえば、旅なのだから自己責任だ。

誰かの荷物が、どこかに行ってしまい、誰かの荷物はベコベコになって出てきた。我々は乱雑に積まれていく荷物を黙って見ていた。口を利くのも億劫だった。

いきなり高地へ入るのは危険なことらしい。しかし、時間にたっぷり余裕がある旅でない限り、陸路でラサに入る人はいないだろう。小説の主人公たちのようには…。

やがて、ボロボロのバスが来て、僕たちはラサの街に向かった。

少しずつ陽が差してくる。空が高い。青い。風景の全てが新鮮だった。

バスが着いたのは街の外れにあるホリディ・インだった。何でチベットにアメリカ資本の宿があるのか不思議だった。外国人向け対策なのだろうか。もちろん、アメリカ的なサービスはない。ただホリデイ・インというだけのことである。名前だけなのかもしれない。

僕たちはぐったりしていた。ロビーでは、誰も余計な口を開かなかった。息をするだけで精一杯だったのだ。

部屋からは、荒地が見えた。遠くに山々も見えた。空が広がり、雲が広がっていた。ありきたりな感想だが、とにかく広かった。

空気が薄い、と感じたのは生まれて初めての感覚だ。とにかく息を吸おうにも酸素が体に入っていかないのだ。
監督はベッドに横になり、じっとしていた。

とにかく、動けない。
明日からどうなるのだろう……何だかとても不安が押し寄せてきた。

高山病の対策のひとつに、ゆっくり歩くことがあると聞いていた。
とにかく、この地に慣れない限り治らないのだから、無理しない程度には動かないとならない。
「ちょっと周囲を歩いてきます」
「おう」
僕は一人で、宿の外に出て、周辺を散策した。
一歩一歩確かめるように歩く。
高山病に負けない、高山病に負けない……繰り返しつぶやいた(バカみたいだ)。
実際、この地で走ったりできなければ、映画に参加する資格がないのだ。
そのためには、高山病になど負けていられない。内心、気が張っていた。

宿の周辺は人もまばらで、漠然としていた。
本当に漠然とした場所だった。
すぐに息が切れた。道端に座り休み休みしか歩けない。
チベットは僕を簡単に受け入れてくれる場所ではなかった。

部屋に戻ると、監督が「どうだ?」と聞いてきたので「何とか歩けました」と答えた。
「酒はやめておくか」と珍しく言ったので、監督もそれなりに高地滞在を気にしていたのだと思う。
「そうですね。慣れるまではやめておきますか」
と、僕ももちろん従った。
息をするだけでも精一杯で、煙草も吸う気にもなれない。

監督は例の中国煙草を吸っていた。
「どうですか? その煙草」
「まあな。悪くないけどな」
「そうですか。僕はまだやめておきます」
監督がうなずいた。
きっと、ひどい顔をしていたのだろう。

……と、ちょうど書いている最中に、一緒に旅をしたNさんからメールが届いた。(しかし何という偶然なんだろう)
Nさんはドキュメンタリー畑の会社をやっている物腰のすごく柔らかい女性プロデューサーである。
「読んでるわよ、ちゃんと書きなさいね!」との叱咤をいただき、身が引き締まる思いがした。
「なんか相米監督とチベット行くの面白そうね」と、一緒に参加したお二人のうちの一人。
二人ともドキュメンタリー系のプロデューサーである。北京でお会いした映画プロデューサーも女性。
女だらけである。きっと、それも監督がモテるからだろう。

確か…Nさんが、このツアーを探してきたのじゃなかったっけ? 違うかな。まあ、今となってはどうでもいいことかもしれないけど。

しばらくしてから、監督と僕は、大きなバスタブに湯を張り、足湯することにした。お湯が出たのが助かった。水圧はよくなかったような記憶がある。
チベットの気候は乾燥している。
だから、少しでも喉や肺に湿気を……と考えた訳だが。
今考えると滑稽な姿だ。

バスタブに並んで腰掛け、地球の歩き方を回し読みしながら、明日はどこに行くのだろう…と考えた。
湯気の奥で、ラサの地図を見ながら中国煙草をふかしている監督がいた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?