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『あかり。』第2部 #64 『オレはソーマイの通訳やってんだ』 相米慎二監督の思い出譚

深夜。ジャックが次に起きるのは何時だろう……と、ぼんやりスマホを見ていたら、俳優の寺田農さんの訃報を目にした。
本当なのだろうか……きっと本当なのだろう。
悲しい。

最後に会ったのは一昨年の監督の命日だった。
西荻窪の路地裏の台湾料理屋で豚足を一緒に齧った。寺田さんは相変わらず話が面白くて、酒のピッチも早い。
監督と親しい人たちが集い、小さな心温まる会だった。

「オレはさ、通訳やってんだ」
「通訳、ですか……?」
「だいたいソーマイの言ってることはよくわかんないんだからさ、それをわかるようにH子とかに話してやるんだよ。それはお前こういうことじゃないのか?ってさ」
「へえ……」
寺田さんは相米監督の現場での出来事を面白おかしく話す名人だった。最初に僕の撮影現場であったとき、昔の話をいろいろ話してくれた。相手役には白川和子さんをお呼びしていたので、二人とも相米監督の若い頃の話を懐かしそうに話していた。
それを僕は内心勝手に『巡礼』と称していた。(監督と縁のあった俳優さんたちを自分が撮ること)
「あいつはさ、ずるいから自分で言わないんだよな。みんな周りに言わすんだよ」
「確かにそういうところありましたよね」
僕が苦笑いして相槌を打つと、
「あいつは観念的だからさ。それを若い奴(役者)に噛み砕いて説明するのがオレの役目なんだよ」
と、寺田さんの盃は話すほどにすぐに空く。
酒の好きな話好きな人だった。
寺田さんは相米組の常連俳優でもあったのだ。

いつも何かしら分厚い本を持ち、新しい知識を入れるのを怠らずインテリの側面を持っていたが、女好きで男の色気を忘れない人でもあった。
僕が寺田さんと数年間ハウスメーカーのCMをご一緒したときは、いつも現場では主役の振る舞いであった。
クライアント陣からも信頼が厚く、いつしか皆さん寺田さんのファンになっていた。そういう公式の場でも品のいい振る舞いで、話が上手で相手を飽きさせない人だった。
俳優が周囲からどう見られるかを常に意識し、立ち振る舞いや所作が美しい人であった。
人前でそうそう油断しないのだ。しかし、垣根は作らない。

そう、昔の撮影所での流儀や作法をいろいろ教えていただいた。
寺田さんも監督と同じで、来るもの拒まずの人で、なんでも教えてくれたし、何かと達筆なお手紙をいただいた。

監督と同じ肺がんとは、なんとも最後まで仲のいいことだと思う。
もう、監督とあちらでタバコを片手に誰かの悪口でも言って笑っているだろうか。

日本映画を支えた俳優が、また一人いなくなる。
少しばかり悲しい。悲しいが、寺田さんと会えてよかった。
寺田さん、いろいろ教えてくださり、ありがとうございました。

合掌。

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