見出し画像

『あかり。』#67 タクシー・相米慎二監督の思い出譚

タクシーを停めて監督を見送るとき、いつも寂しいようなホッとしたような気持ちになった。あれはどういう感情なのか……。

その頃は、懐具合がよかったようで、監督は飲むとたいてい帰りはタクシーだった。

あまり電車で帰る監督を見たことがない。

僕らが監督を見送り、監督が窓越しに軽く手を上げる。
あの景色はいつまでも映像となって記憶に残っている。

タクシーが去るのを待ってから、僕らは飲みに行ったり、あるいは電車があれば電車で、なければタクシーでそれぞれの家路に着いた。

なぜかよく覚えているのが銀座の外れで飲んだ帰りだ。

「タクシー停めますね」
「……今日はいいや。たまには電車で帰ろうじゃないか」
「あ。はい」
僕は上げかけた手を引っ込めて、
「じゃあ、銀座まで歩きますか」
と、言った。
「おお」
監督は下駄を鳴らして街を歩き始めた。

銀座駅から地下鉄に乗って新宿方面へ。
確か僕は新宿駅で降りた。
「じゃあ、お先に失礼します。お疲れ様でした」
「じゃあな、また明日」
「あ。はい」
僕は監督の乗る丸の内線を見送ってから、小田急線のほうへ向かった。

あの夜は、懐具合が悪かったのだろうか。それともどこかに寄るつもりだったのか……。
理由を尋ねたことはないのでわからない。

でも、そんなにあることじゃなかったので、よく覚えているのだ。

「今日はたまには電車で帰ろうじゃないか」

妙に照れたような声色だった。

最近、タクシーに乗ることは滅多になくなった。
ロンドン型に変わった都内のタクシーとすれ違うと、あの夜のことをいつも思い出す。




この記事が参加している募集

映画が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?