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『あかり。』 #37 シリーズ最恐のキャスト!・相米慎二監督の思い出譚

数本の撮影の後、そろそろ夫婦もののアイデアやカップルも尽きたようで、新しくキャストされたのは、なんと桃井かおりさんと中山美穂さんであった。
お隣さん同士という設定だ。
結果的に言えば、シリーズ最恐のキャストだった……。

その前に、準備段階で、今までのスタッフがスケジュールが皆さん合わなくて、そちらも頭を悩ませた。
制作陣があらゆる人を当たり(と言っても、一流どころばかりをだ)、なんせ急なことで皆さん、たいがい忙しく、困り果てていた。
年の瀬が迫っていた頃だ。

こうなったら若手のカメラマンに……という風向きの中、珍しく相米監督が社内をうろつきながら
「Kちゃんを呼ぼう!」と突然言い出した。
皆、誰なのかわからず「監督、Kちゃんってどなたですか?」と聞いた。
「K。アメリカにいるじゃんか」
「え?あのKさんですか?」
「多分、シアトルあたりじゃないか」
「・・・・・・!」
Kさんは、監督の映画「お引っ越し」で撮影監督を務めた人で、アメリカ在住だ。というか、数少ない日本人のハリウッドで活躍する撮影監督だ。
プロデューサーが制作部に「すぐ電話しろ!」と怒鳴った。

しかし、こんな真夜中にどこに電話すればいいというのか。監督が電話番号を知っているわけでもないのだ。
遅くにも関わらずマネージャーのT女史から連絡先を聞き、取り急ぎすぐに連絡を取ってもらった。
僕たちスタッフは、かなりざわめいていた。監督は、僕らのそんな様子を楽しげに見ていた。

桃井かおりさん…Kさん…今までとは違う何かが始まりそうだった。
今思えば、いつかKさんをアメリカから呼ぼうと、監督はタイミングを図っていたのだと思う。映画『お引っ越し』から数年が経っていた。


KさんがスケジュールOKの連絡が来たときには、もう制作陣に選択肢がないのだから腹を括るしかない。

数日後、Kさんが日本にやってきた。
Kさんは大変なジェントルマンで、鬼太郎みたいな髪型で白髪の海外在住アーティストの風貌であった。僕たちは直立不動な感じでお迎えした。どこか、海外の要人を迎える感じであった。

T社のカメラマンMさんに頼み込んで、撮影部の助手さんや照明部のアレンジを引き受けてもらった。Mさんは仏のようにいい人なので、Kさんのために親身になって色々準備してくださり、T社の撮影部としても三願の礼を尽くす雰囲気を出してくれた。Kさんの存在は、日本の撮影部にとっても憧れであり、誇りなのだ。

あとは、僕たちだ。
桃井さんの出方もわからないが、Kさんがどんな撮り方をするのかわからない。それが不安であった。
打ち合わせで話していると穏やかなのだが、要求される一つ一つのことがなんだか重い。こちらもNOが言えない。
これは大変な撮影になりそうだ…と内心思っていた。

そして……撮影は想像以上に大変だった。
まずは時間である。まあ、かかる。 Kさんは撮影監督だから、照明も指示する。カメラもオペレートする(アメリカだとしないケースが多い)。ドリーを必ず使い、レールも敷く。短いカットにも動きを作る。まさにアメリカンスタイルだった。
久しぶりの日本での撮影ということもあり、我々日本人スタッフとコミュニケーションを取りながら…というところなんだろう。
しかし、拝見しているとフレーミングに品があって、レンズのミリ数の選び方なんかが特徴的で興味深い。ライティングもちょっと違う。

一方、裏では……僕は桃井さんに怒られてばかりいた。
いつまで待つのか、彼氏役の男の子はなんで漫画を読んでいて私の芝居をちゃんと見ていないのか、なぜさっき頼んだ小道具の紙袋を霧吹きで濡らしておかないのか……いただいた小言は数知れず。それも、ごもっともな話ばかりで、僕も言われたらすぐに制作部にパスを流して、やっているだろうと確認していなかったのが悪い。
もうひたすら謝る。

そのうちスタイリストのKMさんが、現場にいる僕のところにやってきて、「かおり、帰るって言ってるよ」と耳打ちする。
速攻で控室に駆け込む。

桃井さんの顔がかなり険しい……。タバコを吸う様が、また絵になる。そして、またお説教をたっぷり食らう。ひたすら謝る。

この状況は、監督には絶対言えない……。

「もう少しだけお待ちください!」
そう言い残して、ダッシュでスタジオ内に戻る。
途中、見つけた若手のキャストに「ジャンプなんか読んでるんじゃないよ!」と八つ当たりする。
彼は桃井さんのアイデアでなぜかリーゼントにされている。ぽかんとした顔をしてるので、「桃井さんが芝居してる時は、君も勉強になるんだからちゃんと見てろよな」と吐き捨てた。役者じゃなくてモデルを呼んだのが大間違いだった。つい、予算を削ったせいだ。役者なら、桃井さんの目に入るところで漫画なんか読むはずがないのだ。
しかし、彼の身になってみれば、桃井さんと気軽に話すなんてできなかっただろうし、居場所もなかったんだろうと、今は少し同情する。

「どうしたのよ?」
監督がセットで寝転んで、広告代理店の営業と、なんだかどうでもいいゲームをして遊んでいる。きっとなんかの賭け事なのだ。完全にライティング待ちに飽きている。
「もうすぐできますんで」と明らかな嘘を言って、セットに戻り、照明部をせっつくが、奴らも必死にKさんのリクエストに応えようとしてるのだからそうは責められない。

久々に板挟んでるなあ……。

黒澤スタジオには、でかいセットのせいで高さが足りなくてグリーンバックが張られている。それにしてもでかいセットだ…美術デザイナーもMさんなので容赦ない。ライトの量もすごい。

そんな感じで、裏では大騒ぎでバタバタしていたのだが、カメラ前で起きることは特に問題はなかった。
桃井さんは、監督との再会をすごく楽しんでアイデアを出していたし、(考えてみれば'70年代からの古い付き合いだ)監督も楽しそうに演出していた。少しかわいそうだったのは中山美穂さんで、相当、緊張していた。
桃井さんに相米慎二監督との組み合わせ。ビビらない方がおかしい。
とはいえ、トップアイドルを張った人だけに、そこは芝居になると堂々と返していたのが立派だった。

スタジオに家を二軒建てての大掛かりな撮影だった。なんだか歯止めがかからないくらい、全てにおいて大掛かりで、今までのシリーズの持つ世界観とは違った。
変化していくというのはそういうことも含めて…のことなのだろう。

だけど、勝手に変化したのは周囲であって、それに合わせて監督が、例の『何も言わず作戦』で、コントロールしたのである。だから、大掛かりになったのが監督のせいでもない。
企画は元々、そういうものだったし、それを制作会社として忠実にプロデュースしたら、こうなってしまっただけである。
その辺はT社の真面目さというか、物事を大きめに捉えるクオリティ・コントロールの成せる技でもあった。

確か、朝方…物撮りも含めて撮影は終わった。
マイクロで帰る時、少し朝の陽が差していたから。
川崎インターから首都高速へ上がるとき、制作部がくれた缶ビールを開けた。それを飲むと、僕はすぐに眠ってしまった。

この作品は、もうT社を辞めた後の仕事であったが、わざわざ呼んでもらえたのはありがたかった。それに応える動きができたかどうか。仕上げまで含めて、全力を尽くした。

これで、本当にT社を辞めた実感が持てたような気がしたのを今も思い出す。


そして、これが僕の関わった、T社での日産セフィーロのCMシリーズの記念すべき最後の作品になった。


(『あかり。』相米慎二監督の思い出譚 第一部・完)




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