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『あかり。』 (第2部)#46 不機嫌な夜には美味しい中華で・相米慎二監督の思い出譚

都会的で洒落た場所でのロケは気が引ける。
浮ついた広告の匂いがする。
それに、相米監督に似合わない。

ウォーターフロントのどこかで撮影をした。
キャストは椎名桔平さんと常盤貴子さんだった。
商品が大人向けのポッキーということで、キャスティングされていた二人だった。
二人ともキャリアを積んだ上での相米監督だから、一丁勝負してやろうと
意気込みがあった。
相米監督も二人を大人の俳優扱いしていた。

こういう場合、すごく楽である。
プロ同士のセッションになるからで、撮影では俳優のアイデアも出るし、撮る側も計算が立つ。お互い技術のほんの先へ、行くだけだ。

その撮影は安定したライティングで撮影できるナイターだったので、光源に追われることもなく無事に終わった。
しかし、物足りなくもない。どこかに破綻がないと……などと期待してしまう自分もいた。

そして、それは編集しているときに別の形で、きた。

その日も編集室でエディターとあらゆるパターンを探りながら編集していると、監督がやってきた。

「できてんの?」
「あ、まだ途中ですが」

なんだか監督の声が少し尖っていた気がした。

できていた30秒を見せると、
「なんで30なんか繋いでんの」
と冷たく言われた。
「あ、すいません」
30秒から繋ぎ15秒にカッティングしていく。それは監督とのいつものやり方であった。
このシリーズには30秒がないので、使わない編集なのだが、使用テイクや切りどころを掴むのにいつもやっていたことだった。
この日だけは、なぜかそんなことを言われたのだ。
僕たちはあわてて、15秒の繋ぎにかかった。

監督は制作部に腰を揉ませたり、競馬新聞を眺めたりして時間を潰していた。

しばらくして、どうにも編集がうまくいかなくなった。いくつかはできたのだが、今の監督が乗るとも思えない編集だった。

僕は、あるカットを早回しにして、ちょっとふざけた感じのバージョンを作ってみた。
「こんなのどうですか?」
それを見ると監督は「おもしれ」と笑った。
それで調子に乗って、早回しを急に元のスピードに戻したりしたのを入れてみたりした。

その時、Hプロデューサーが仕上がりを覗きにきた。
「どうですか?」
「あ、今やってます」
と言って、その早回しバージョンを見せると、Hプロデューサーは笑いながら一言、
「そんなの大阪の人に怒られますよ、だめです」
とあっさり切った。
「どうしてよ」
と監督が言った。
「おもしろけれりゃいいんじゃないの」

僕はHプロデューサーに、目で合図をした。
すいません、なのか、監督機嫌悪いです、なのか、なんだかわからないけど、なんとなくの合図。

Hプロデューサーは勘がいいので、すぐに察してくれた。
「おい、H、今日は何食うの?」
と、監督が言った。
僕はまた目で合図した。すぐに手元の手帳をめくりながらHプロデューサーが店を決めた。その手帳には美味いもの店のリストがたくさん書かれている。
「中華にしますか。二の橋です」
「いいな」
「今日は終わりにしますか」
Hプロデューサーのその一言で仕切り直しとなった。

その後、みんなでタクシーで乗りつけた中華料理店は、今まで入ったこともない高級な店だった。店にはE社の副社長が待っていた。この方がグリコの担当を長らく勤めていて大阪に常に張っている人だった。

この店はコース料理のようで、次々に料理が運ばれてきて、テーブルの上はすぐに豪華になった。食卓は賑やかで、口当たりのいい古酒がそれぞれのグラスに注がれてた。
少し監督の表情も和んでいた。

そこでようやく気づいたのだが、E社にとってグリコの仕事は大切な看板商品なのだから、僕はあんな編集をするべきではなかったのだ。監督のその場の機嫌を取るだけのような編集を。

僕は深く恥いっていた。

たとえ監督の機嫌が悪かろうと、納得させるものをつなぎ、広告代理店を喜ばせる編集、クライアントに自信を持って見せられる編集、それが僕に与えられた仕事であり、役目なのだ。

美味しいはずの中華料理が、少しずつ味がわからなくなった。
HプロデューサーやE社の人たちは、それをやんわりとわからせるために、この席を用意してくれたのだった。

その時、奥の個室から賑やかな声が聞こえ、一人の派手ないでたちの女性がやってきた。
桃井かおりさんだった。
桃井さんは監督を見つけ、飛んできた。
「監督ーっ、何やってるの?」
「CMディレクターや」
と監督が、偽関西弁で応え、一同が笑った。
「だめよー、映画撮らなきゃー。じゃあ皆さん、監督をよろしくね」
桃井さんは、嵐のように去っていった。

この時は数ヶ月後に、桃井さんとセフィーロのCMの現場でお会いするとは露ほどにも思わなかった。(飲み屋ではお会いしたが……)

残された我々は、デザートまでしっかりとご馳走になり、和やかな感じで食事を終えた。それから通りでタクシーを拾い、監督を乗せ見送った。

Hプロデューサーと目が合った。
僕は「ごちそうさまでした」と小さく言った。
Hプロデューサーはニコニコして、「お疲れ様でした」と言った。
それ以上何も言わなかった。

後日のことだが、その日のことをTマネージャーにそれとなく話した。
彼女は申し訳なさそうに、監督の企画していた映画がうまくいかなくなったのよ……と言った。
そうだったのか……言ってくれればよかったのに。そう思ったが、そんなことを監督が僕に愚痴るはずもなかった。

監督が、編集室で機嫌が悪かったのは、数十本を一緒に仕上げてきたが、その時だけであった。

しかしながら。俳優たちがCMに出たり、つまらないドラマに出たりして金を稼ぐことはそれほど悪く言われないのに、映画監督がCMやドラマを撮ったりすると揶揄される傾向にあるのはどうしてなのだろう。
映画を一本撮ったって、時間とエネルギーが膨大にかかり、たいして収入にならないことくらい周知なのに。
わけのわからない幻想を捨ててもらわないと、映画監督が救われない。
全力で映画と向き合う人たちが救われない。

今は、そうでもないのかな。だといいけど。

映画監督だって仙人のように霞を食べて暮らせるわけじゃない。
爪先立ちで、そう見えるように必死で演じているだけなのだから。







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