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あの頃の仲間と再びつながる

今はむかし。
某新聞社の研究機関で働いていた時期がありましてね。
様々な経済指標を使って GDP予測を行うチームで、メンバーは 20人くらいいたでしょうか。いろんな企業から出向してきている人たちで、20代半ば~30歳の年齢層だったので、学生のようなノリで遊びまくっていました。

チーム解散後、私はロンドンに赴任し、当時の仲間たちとは徐々に連絡が途絶えていきました。金融機関からの出向者が多数を占めていたなかで、メーカー勤務の私は、彼らとはやや棲む世界が違ったこともあると思います。

そんなわけで、当時の記憶も一緒にはじけていた仲間たちのこともすっかり忘れていたのですが、ある日突然、「25周年記念同窓会」の招待メールが来たんですよ。
私の現在のメールアドレスをどうやって知ったのかはまったくの謎ですが。

そのメールを見て、私は即座に「うわー!行きてー!」と叫びました。
にしても、なぜ今さらそんな企画を?と思いながら、主催者である某新聞社のメールを読むと、こんなことが書いてありました。

あの頃、昼も夜も共に過ごした同志の皆さんも、次第にバラバラになってしまいました。さらに COVIDが追い討ちをかけ、ますます直接会う機会が失われました。皆さんは今、それぞれのフィールドでご活躍のことと思います。あれから四半世紀という節目を迎え、私はどうしても皆さんにお会いしたいのです。そして、皆さんが再びつながることを願わずにはいられませんでした。
1997年をプレイバックしましょう!

最高の企画ではないですか。
このメールの差出人のことは憶えています。
当時、研修担当の女性でした。
あの彼女が、今は新聞社の部長さんかぁ・・・

もちろん行きたい。
でも、スイスに住んでいる私は出席できません。
しかも今は中国各地を転々と出張中なので、Zoomでの参加も無理です。

昨日、残念ながら出席できない旨のメールを返しました。
今日、「〇〇さんには皆さん会いたがっているので誠に残念です。出席者の名簿を添付しますので、後日にでもぜひ連絡をとってください」と返ってきました。

出席者名簿には、当時 (1997年) の勤務先と現在 (2023年) の勤務先が記載されていました。
これがけっこう衝撃的でした。
ほとんどのメンバーの勤務先が変わっていないのです。
終身雇用は死んでいない!

1997年は、「金融ビッグバン」の真っ只中でした。
多くの金融機関が倒産したり合併したりした激動の時代。
かの山一証券が廃業したのもこの年です。
なので、当時の勤務先は今はもうないけれど、事業を引き継いだ会社に今も勤務している人がほとんどでした。

例えば(当時の勤務先 ⇒ 現在の勤務先)
あ●ひ銀行 ⇒ り●な銀行
●海銀行 ⇒ 三●U●J銀行
日●信託銀行 ⇒ 三●信託銀行
明●生命保険 ⇒ 明●安●生命保険
第一勧●銀行 ⇒ み●ほFG
日本興●銀行 ⇒ みず●FG

社名が変わっていない人もいました。
横●銀行 ⇒ ●浜銀行

さすが最強の地銀はビッグバンの影響を受けなかったのでしょうか。

こんなパターンも散見されました。
日本鋼● ⇒ 名古屋大学
イト●ヨ●カ堂 ⇒ 京都大学
日本総●研究所 ⇒ 東京大学

この人たちはどうしちゃったんだろう。
50過ぎて大学に通い始めたのでしょうか。

さて、この出席者名簿を見て、私は内心うれしかったんですよ。
なぜだかわかりますか?
みんな、変わってないんだろうなあ、と思えたからです。
かつての銀行マンが、今は怪しげな会社を立ち上げていたり、詐欺まがいのコンサルとかになっていたりしたら、私はがっかりしたでしょう。
大学に入学?転職?したメンバーの面々を見ても、ああわかるわーと納得しました。

彼らの勤務先だけ見ると、エリート集団のように感じられるかもしれませんが、全然そんな人たちじゃないんですよ。エリート意識なんて微塵もない、ただのいいやつらなんです。バブル~ポストバブル世代ですね。女性陣は、男女雇用機会均等法後の事実上の第一世代だったか。

再びつながる・・・かぁ。

このイベントは、当時の研修担当だった彼女(今は部長さん)が自ら発案したものだと感じました。あの頃の時間をプレイバック(再生)したいという彼女の切実な思いがヒシヒシ伝わってくるのです。
招待メールを見た OB・OGらも同じ思いだったに違いない。出席率 90%超えですから。

私は、ずっと海外に住んでいるせいで、出身校の同級会や同窓会に参加したことが一度もありません。
そのことはあきらめています。
でも、自分が 25,6歳だった、二度と来ない時間を再生し、あのときの仲間といまいちどつながることをあきらめてはいけない気がしました。
それは、死ぬまでにしたい 10のこととか言ってスカイダイビングするよりもずっと意味のあることなんじゃないかな。

今のことや将来のことを話せる仲間も大切だけど、過ぎ去った時間のことを話せる仲間は無二のものです。過去を共有していない人にむかし話をするのは野暮というもの。しかし、宝石箱のような記憶を共有する人たちとともに、あのキラキラした時間をプレイバックすることは、人生を折り返した者に与えられる特権ではないでしょうか。