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日本に “国家百年の計” はあるか

先月の記事に、日本の教育のあり方はおかしい、と書きました。

学校が悪い、企業が悪い、親が悪いなど、多様な視点があると思いますが、そもそも教育とは「国家百年の計」と言われるように、為政者が考えるべき長期計画=国家の戦略です。

日本のような大国にとっては、国の戦略を考える上でスイスやシンガポールのような小国はあまり参考になりません。世界第 3位の GDP を誇る日本は、2位の中国と 1位のアメリカから学ぶべきだと思います。

学習塾を禁止した中国政府の意図

昨年 (2021年)、中国政府が宿題と学習塾を事実上禁止する措置を発表しました。しかも、即日実施という中国共産党らしい強権発動です。
私はこれを当然の動きだと思いました。
むしろ、国民がこぞって高学歴を目指すような現状を、あのしたたかな中国政府がよく許しているな、と意外に思っていたので、「遅すぎる」と感じたくらいです。

中国は、いつ・どうやって、日本を抜いて世界第 2位の経済大国になったのでしょうか。
「いつ?」は調べればわかります。2010年です。
「どうやって?」は意見が分かれるところでしょう。
統計データを読む人は、公共投資と内需の拡大だ、と言います。
また、近年の BATH (Baidu, Alibaba, Tencent, Huawei) の急成長を知る人は、IT ジャイアントたちが牽引した、と言うかもしれません。
それらはどれも事実なのでしょうが、最も重要な点を見落としてはならない、と私は考えます。
それは、中国が “世界の工場” として数十年にわたって着実に磨き続けてきた工業生産力です。
世界の工場なんて、ひと昔前のフレーズだと思っていましたが、その言葉は 2020年代の現在でもそっくり当てはまることを、私は香港に移住してから知りました。

工業国としての中国の圧倒的な強さについては、以前の記事に書きました。
✅ 労働者の質。部品の組立等の手作業技能が高い。忍耐強い。よく働く
✅ 労働者の動員力。数百人単位を数週間で調達・戦力化できるスピード
✅ 圧倒的なサプライチェーンネットワーク。川上から川下まで中国企業

中国という国は、最初は低い製造コストを武器に、先進国の工業生産を引き受けていたのですが、いつのまにか、中国抜きではモノがつくれないモデルを築き上げてしまったのです。
中国の長期戦略の勝利、と言っていいでしょう。
この状況は途方もなく有利です。いくら産業の主役が 2次産業から 3次産業へシフトしていっても、モノづくりは絶対になくなりませんからね。

中国は、IT プラットフォーマーなどの新しい産業の成長に注力しながらも、世界の工場としての有利なポジションも維持していくでしょう。
そして、電子機器等の組立工場は多くの高学歴人材を必要としないのです。
工程を機械で自動化するより、手作業で組立てるほうがいい製品の工場は、直接労働者 8 : 間接労働者 2 くらいの直間比率です。

国民の 50% 以上が大学に進学するような社会になられては困るのです。
国民の高学歴化を放置すると、必ず労働需給のミスマッチが起こります。
大学を出ても就職口がない優秀人材は、仕事を求めて国外に出て行きます。
これこそ、中国共産党が最も恐れる事態でしょう。
中国を出て世界の情報に触れるようになると、とくに頭の良い人材は、中国共産党のウソや欺瞞に気づくでしょう。彼らが世界で知る自由・人権・民主といった価値観が愛国心を上回ることは、一党独裁国家の存亡の危機です。

国とは、人民を “つくる” 装置である。
強かな国は、百年の計をもって周到に ”すぐれた” 人民をつくり上げる。
その目的は、人民の幸福などではなく、国の存続である。

アメリカの失敗 vs 日本の失敗

日本経済の最盛期とアメリカ経済の停滞期をリアルタイムで見た、私どもの世代は忘れがちかもしれませんが、最初にアメリカを強くしたのも工業生産力でした。
とくに、自動車産業を中心とするクラスターである、ピッツバーグの鉄鋼やデトロイトの自動車が生産力を飛躍的に高めていた 20世紀半ば、アメリカの一つの黄金時代がありました。

その後、オイルショックや日独に負ける屈辱を経て、アメリカの産業の主役はシリコンバレーに移り変わります。
重工業から IT産業に舵を切ったわけです。
このとき、アメリカ政府は国家百年の計たる人の教育を変えたでしょうか。
たしかに、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのようなタレントを輩出してはいます。しかし、そういうごく稀な才能はさておき、国民全体(せめて中間層)に新たなスキルセットを付与する教育はできていません。
その結果が、ラストベルト (Rust Belt) の惨状です。

つまり、自動車産業などかつて花形だった製造業を半ば見捨てるような方向に舵を切っておきながら、それに従事してきた労働者たちの再教育を怠った結果、大量の失業者が発生した。
ドナルド・トランプ大統領の政権が誕生した背景はこれでした。

本稿の文脈で言えば、ホワイトカラー(知識労働者)を必要とする産業にシフトしておきながら、大量のブルーカラーを放置した。すると、労働需給にギャップが生じるため、知識労働者の “プライス”は高騰し、ブルーカラーは安く使われるか失業するしかなかったのです。

一方、日本は、これと逆の失敗をしているような気がします。
日本経済の主役は今でも製造業だと思います。そこに日本の強みがあるからなのか、それとも産業構造の再編が遅々として進まないからなのか、それはよくわかりませんが、問題はやはり労働需給のミスマッチにあります。
産業の中心が製造業なのに、国は高学歴志向でホワイトカラー候補生ばかり育てているからです。
その結果は、アメリカの失敗と逆方向の失敗です。つまり、ホワイトカラーは余っているのでプライスが低く、ブルーカラーは人手不足か、移民で補うしかない状況になっています。

さて、アメリカと日本の失敗を見た中国政府はどう考えるでしょうか。
まず、アメリカの現状を見て、製造業を手放してはならない、と学ぶでしょうね。
次に、日本の現状を見て、大量の高学歴化は危うい、と学ぶでしょう。

世界の工場の地位を維持し、国民の高学歴化に歯止めをかける中国政府は、アメリカの失敗と日本の失敗の両方から学んでいるのではないでしょうか。

平成・令和政府に構想力はあるのか?

教育の目的が国の存続でいいのか、という根本的な疑問はさておき。
国家百年の計である教育に求められるのは長期的な戦略、それを可能にする構想力(ビジョンを描く能力)であることは間違いないと考えます。

想像するに、幕末の志士や明治政府にはそれがあったのではないか。
欧米列強に伍するため、富国強兵の方針に則り、義務教育制度が導入され、教育勅語のようなものがつくられた。それが善だったかどうかはさておき、国家の方向性と国民の教育が整合していたことは確かでしょう。

昭和の時代はどうだったでしょうか。
大東亜共栄圏のビジョンのもとで、軍国化に突き進む中、軍国教育が徹底されたことは、やっぱりそれが善かどうかを度外視するならば、国家の戦略と教育が一致していたと思われます。
また、戦後の復興期や高度経済成長期において、学校教育が果たした役割は疑う余地がありません。学力の向上のみならず、勤勉・勤労・規律・努力・協調・忍耐といった教えが結実したのが、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた 1980年代だったのではないでしょうか。

1989年、昭和が終わり平成に改元。
まもなくバブルがはじけ、そこから、失われた 20年とか 30年とか呼ばれて現在に至る。
1990年代、バブルの後遺症に喘ぐ中、IT 革命があり、グローバル化が加速し、世界の産業構造が大変動を始めた。
そのころ平成の政府は、日本の教育のあり方を見直そうとしたのでしょうか。
国家百年の計を構想した政治家はいたのでしょうか。
行政改革やら、産業構造改革やら、お題目のごとく唱えていたような記憶がありますが、最も重要な教育改革には着手したのでしょうか。
ひょっとして、「ゆとり教育」がそれですか?

令和の政府も、チマチマと何かを変える努力をしているように見えます。
プログラミングの授業を導入、英語の授業を変える、大学入試の仕組みの変更・・・
あのね。それ “改革” って呼べる次元じゃないですから。

もう少し抽象度の高いところでキーワードを拾ってみましょう。
グローバル化、情報化社会に対応できる人材を育てる・・・
AI 時代で生きる力を身につける・・・

言いたいことはわかりますが、考え方から間違っています。
対症療法にしか聞こえないのです。
百年の計になっていないわけです。

世の中がこうなってきたから、こういう教育に変える。その考え方では遅いし、順序が逆なんですよ。
こういう国をつくっていきたい。そのために、こういう教育を行う、と考えるのが百年の計というものでしょう。

あまり認めたくはありませんが、中国政府を見習ったほうがいいかもしれません。
ちなみに、「国家百年の計」という言葉を最初に用いたのは、中国春秋時代のせいの政治家、かん夷吾いご(管仲)だそうです。

私がつくりたい国の教育のあり方

日本は、アメリカや中国のような覇権国家ではないし、そうなってほしいとも思いません。
かといって、現時点の国力からも、ポテンシャルからも、大国であることは否定しようがない。中小国を目指すのはさすがに無理があります。

金融に特化する、貿易・物流のハブになる、などは小国の得意技です。
大国である日本はオールラウンダーを目指すべきだと思います。

モノづくり(日本のお家芸です)
ハイテク(エレクトロニクス、ロボット、バイオなど今でも最先端技術国)
ファイナンス(世界最大の金融資産を有する国です)
サービス(世界でダントツのサービスクオリティを誇るお国柄)
コンテンツ(漫画、アニメ、ゲームなどは日本が世界をリードする文化)
ツーリズム(天然資源は乏しくとも、観光資源は豊富)
1次産業(日本人の食を支え、ひいては世界の食に貢献するポテンシャル)

これらすべてをバランス良くハイレベルで保有する、唯一無二の国になれるのが日本。
そういう国であるためには、人が多様かつ流動的でなければなりません。
金太郎飴よろしくホワイトカラーばかりつくるのではなく。
プログラミング? 英語?そんなのは国が決めることじゃない。別の金太郎飴をつくるだけじゃないか。
カリキュラムの内容なんかではなく、教育のシステムを含む社会のシステムを改革すべきなのです。
ブルーカラーは一生ブルーカラー、みたいな硬直的な社会の仕組みを改める必要があると思います。

失敗を恐れずにチャレンジできる、何度でもやり直しがきく寛容な国。
業種間・職種間の流動性が高い人材市場。ジョブチェンジが容易な国。
何度でも、何歳になっても学び直すことができる教育システム。

生後10年や20年で一生が決められてしまう社会で、10代までに一生分の勉強をする。そんなイビツな人生のあり方を改めたい。
人は自ら勉強したいと思うタイミングで勉強するべきだし、いくつになっても新しいことを始められる人生を生きたいと思うからです。