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Perfect Days を再考する

先週『Perfect Days』(Wim Wenders監督)について雑感を述べました。

今回はもう少し掘り下げてみたいと思います。

この映画は、観る人の価値観と人生観を問う。
価値観とは、どのようなモノ・コトを大切だと考え、あるいはしょーもないと考えているかという、その人の好みである。
人生観とは、どのような生き方を大切だと考え、あるいはしょーもないと考えているかという、やっぱりその人の好みである。

観る人の価値観と人生観しだいで、平山の日々の生活に対する評価は大きく分かれる。
私は、平山の生活をタイトルどおり Perfect Days だと思った。
好きなモノ・コトをほぼすべて満たしているからだ。


平山の生活はみじめなのか?

平山の生活を「みじめだ」と感じた人とは価値観が合わない自信がある。
禁欲とか清貧とかミニマリズムといった捉え方も同根である。

「みじめ」と感じた人の理由を想像してみる。
1) 公衆トイレの清掃員という職業に就いているから
「職業に貴賤なし」の格言を持ち出すまでもなく、これは偏見でしかない。
平山は自らその職業を選び、自らの意思で続けている。
人と話さなくていい、自分のペースでやれる、気持ちがいいといった、平山なりの利点があるに違いない。みじめどころか天職と言える。

2) ボロくて狭いアパートでモノがない生活環境だから
一人ならあの部屋で十分だし、むしろラクでいい、と平山は考えているだろう。
好きなモノはすべてある。本、音楽カセット、植木、カメラ。それ以外のモノはあっても邪魔なだけだ。

3) 変化や刺激のない、単調な毎日だから
平山にとっては、新しい本、植木の成長、日々変わる空や木漏れ日が十分な変化なのだと思う。

4) 家族・友人・同僚などがいない、孤独な人生だから
家族・友人・同僚ばかりが人とのつながりではない。平山は、いろんな人とつながっていた。お昼の神社で。銭湯で。駅地下の食堂で。本屋で。フィルム屋で。居酒屋で。

より良く生きるヒントは情報の遮断にある

平山のアパートにはテレビもパソコンもない。
平山の電話機はスマートフォンではない、いわゆるガラケーというやつで、平山はそれを必要な連絡にしか使っていない。

現代人の多くは、テレビやインターネットを通して、様々な情報を取り入れている。それはなんのためだろう。
水難事故が多発している。ユーチューバーがこんなことを言った。株価がどうのこうの。アメリカ大統領選挙の動向。などなど。
普通に考えて、自分の人生にまったく関係のない情報ばかりだ。

私は、社会とのつながりを保つためにそれをしていると思う。
具体的に言えば、職場の同僚やたまに会う友人との話題に置いていかれないために情報をアップデイトしているのだ。

平山にはその必要がない。
同僚も友人もいないか、いたとしても会話する必要のない関係だからだ。
だから平山はトイレの清掃員という仕事を選んでいるのだろう。

私は平山の生活を Perfect Days だと感じる人間だが、同僚や友人をある程度必要とし、彼らと会って話す機会をゼロにする境地にまでは到っていない。
だから、メディアが垂れ流す情報をクソと知りながらも、つい追ってしまう。本当は、私もそれらのクソ情報から解放されたいと願う。
しかし、社会とかかわっているかぎり、あるいは社会とかかわることを少しでも欲しているかぎり、情報を遮断することはできない。

いつか仕事をやめて、日本のどこかに定住し、半径 600メートルほどのせまい世界で生きていくことができたら、平山のような生活に移行するのだと思っている。

過去と未来にどう向き合うか

「過去:今:未来」の比重というものがある。
その人の頭のなかで、過去:今:未来がそれぞれどれくらいの割合を占めているか。
それは年齢によって変わってくるものだろう。
例えば 10代の頃なら、10:80:10 くらいかもしれない。たいした過去がないだろうし、未来について考えるほどの知識や経験もない。
30代なら、20:40:40 くらいになるだろうか。過去がいくらか積み増され、未来に対する願望と不安が行き交う年頃。その分「今」がなおざりにされる。
50代の私は、30:60:10 だと思っている。
まず、今を考えたいし、今を生きたい。一方で、過去も大切にしたい。

過去とは記憶である。
記憶は宝物だと思う。
「忘れる」ことは、人間の貴重な能力であり薬でもあると言われるけれど、「憶えている」こともまた貴重である。

未来とは想像である。
想像は願望と不安を生む。
歳を重ねるほど未来の比重は小さくなる。
そもそも未来に残された時間が短いし、未来のことを考えるのはあまり愉快でないという知恵が具わるからだ。

平山は、0:100:0 で生きているように見えた。
だから、平山の生活は Perfect Days だと思えた。
でも、0:100:0 で生きるのは所詮ムリなんだよね。
平山は過去の記憶を忘れていない。心のどこかに仕舞ってあって、ときどき取り出していると思う。
美しい記憶よりも辛く苦しい記憶のが多いだろう。しかし、平山はその苦々しい記憶をも大切にしているのだと感じた。

なんでだろうね。
辛い記憶ほど忘れてはいけない、という価値観があるんじゃないかな。
忘れるほうがラクなんだろうけど、それは自分の人生に対する誠実さを欠くものだから。
辛い記憶も丸ごと抱きしめる強さが平山には具わっていると思うんだ。

未来についてはどうか。
平山は、未来に対して願望も不安ももっていないように見えた。
ひとりで孤独に死んでいくことに対しても、とっくに覚悟ができているし、それを悲観してもいないと思う。
ただ、ささやかながら生きるに値する何かが見えた。
居酒屋の女将との間に何かが始まるかもしれない。
価値観を共有できそうな姪といつか海を見るかもしれない。

ああ。これでいいんだね。
「これは残酷な映画です」と書いた前言を取り消します。
平山は、自分に心地良いものだけを選び、情報を遮断し、過去:今:未来のちょうどいいバランスに生きています。
これは最適解を見つけた男のお話です。

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