LGBT問題について
LGBT法案が話題です。
理解増進法、さらに進んだ差別禁止法というのが法案で出ており、タイムラインを賑わせています。
さて、まずは最初に今更聞けないかもしれないLGBT問題についておさらいしましょう。
LGBTって何?
性的少数派を指し示す言葉として用いられています。個別に挙げていきます。
L(レズビアン)
【性自認】が女性であり、【性的指向】が女性である人のこと。
G(ゲイ)
【性自認】が男性であり、【性的指向】が男性である人のこと。
B(バイセクシュアル)
男性にも女性にも【性的指向】がある人のこと。
T(トランスジェンダー)
身体的性と【性自認】が一致しない人。
+(その他)
LGBT問題においてQとかAとか+とか様々な記号が付加されているのを見たことがあるのではないでしょうか。性のありようは非常に多様性を含んでおり、いくらでもあるのです。
※『+』に関してはその他色々、という表現です。
LGBTに対する差別や偏見
LGBTに対する差別や偏見というのがあります。
性的少数派というだけで理解されず何か気持ち悪いもの、危険性があるものと感じてしまうようなものです。差別や偏見というのは無理解から生じるものが多いですから、偏見を払拭するためにはLGBTの理解が必要になります。
例えばLやGにおいては「同性として一緒にいるだけで性的に見られている」という偏見を受けることがあげられます。……異性が横にいたら「性的に見られてる!」と直ちに感じることは普通はないと思われますので、これは間違った理解による偏見を受けていると思われます。誰もが常に人間を性的値踏みをしているわけではありません。
これがBにおいては特に顕著で「男性でも女性でも一緒にいるだけで誰も性的に見られている」というふうになってしまいます。あくまで【性的指向】の問題であって性的に見る相手、言い換えれば恋愛する相手というのは皆と同じ限られた特別な相手のみです。「性別関係なく性的対象になる」が転じて「誰とでも性行為する」のように誤解され、性に盛んな人間のようにレッテルを貼られることもあります。
Tは【性自認】が【身体的性】と異なるために苦しんでいるケースです。この問題を語る場合に切り離せないのが【性的規範】や【性役割】といった【ジェンダーバイアス】です。社会通念上の己の性役割に対してどうしても違和感が生じる場合、もう片方の性役割を担って生きていたいと思うのは自然な願いなのではないでしょうか。「男らしくない」「女らしくない」と侮蔑する行為は、"【性的規範】の押し付け"であり、特にこういった方々を苦しめることになります。(Tについての掘り下げた話は後述するため、文章に違和感は覚えた方は今はスルーしてください)
まとめ
差別や偏見はいけません。当たり前のことです。同姓を好きになってもいい、恋愛してもいい、異性用の洋服を着てもいい、仕草や口調がどんなだっていい。
多様性を認め、多くの人間が出きる限り幸せに過ごしていけるように、皆も理解を深めていきましょう。
終
で、終わって欲しいのですが……。
これで終わらないのがLGBT問題なのです。
LGBT問題の問題点
LGBT差別は許されているのか?
まず法的解釈として憲法第14条が存在します。
日本国民は法の下の平等であるから、差別されてはならない。
つまりLGBT法案などなくても差別は許されません。
ここに敢えて個別に法律を作ることはLGBTに「特権」を与えることになってしまうのではないか、というのが問題点となります。
しかしながらLGBTの無理解さによる偏見がある現状も否めません。特に日本人は人種差別などが強い国ではなかったために差別に対する法案、罰則というのは諸外国より整備されてないと思います(それは悪い面でもあり良い面でもあります)。LGBTに対する理解を深めていこうという姿勢には問題を感じませんので、現状すでに行われているような周知、広報活動には賛成しておりますし、国が"ある程度"公的に取り組んでいくことにも私は反対しません。
LGBとTって別物じゃない?
これを混同させること自体が無理解ではないか?という指摘があります。
前段の定義確認において分かるとおり、LGBは【性的指向】の問題であり、Tは【性自認】における問題です。つまり別問題なのです。
なんでこれが同列に語られるのか?という疑問を良く目にします。
上記記事から引用しますと、このよう理由が書かれています。
人によっては「そんな雑な理由かよ!」と一蹴するかもしれませんが、「あまりにも数が少なく個別には対処してもらえない」という理由であれば、近いものとくっつけて社会問題化してもらうのはある程度分かります。(雑な例えをするのであれば「会社の機械がちょっと壊れちゃった、でもこの程度では業者が来てくれない」という感じでしょうか?)
とはいえやはり人権問題として取り扱うのであれば、慎重に正確に区分けしたいところではあります。
また同列に語られるもう一つの理由としては「外から見たら分からない」ところです。TまたはBの人が見た目同じ性別の人を性的指向を向けた場合、外見上の判断はLGの人と変わらなく見えます。そういったところも同一に纏められる理由の一つのようです。
そもそもトランスジェンダーというのはどうして生まれてしまうのでしょうか。
Lは女性が男性を好きにならなきゃいけないという【性的規範】、
Gは男性が女性を好きにならなきゃいけないという【性的規範】、
Bも自分の性別で好きになる性別が決まっているという【性別規範】、
そういった"【性別規範】の押し付け"からは外れるが、自分達の多様性を認めてくれという思いがあります。
Tの方は段階にもよりますが、自身に押し付けられた様々な【性的規範】と自分の心が一致しない状態です。基本的には"【性的規範】を受け入れ"て自分の性別を決定させる(性転換手術を行ったりする)考えです。
『男性がこういうものならば、私は男性ではなく女性なのだ』
『女性がこういうものならば、私は女性ではなく男性なのだ』
誤解なきように言うと、私は【性的規範】によって自分のアイデンティティが影響を受けることに対して問題があるとは思いません。というか世の中は【女性らしさ】と【男性らしさ】というイメージがほとんどの人間に確立して存在しますから、完全に切り分けるのは不可能です。
男性が今現在の社会通念上の【女性らしく】なりたいと思うことも、女性が【男性らしく】なりたいと思うことも自由でしょう。しかし生物学的な性別の垣根を完全に越えることはできませんし限界はあります。例えば今現在の技術では身体的男性は子供を産むことはできないと思われます。(性器の手術はできても子宮手術はできない)
LGBは「既存の社会通念を変え、(無理の無い範囲で)多様性を認めてもらう」事で差別されなくなりますが、Tは「既存の社会通念(性的規範)に倣う」事で自己の違和感を解消したり、周りから差別されないようにするため、扱いとしてはLGBと異なるものです。
また多様性を認める社会が最終的なところまで到達した場合【性的規範】の押し付けはなくなりますから、差別がなくなればTという概念がなくなる可能性も考えられます。
(一部の国で行われるようなTを増やしていくような動きは、多様性を認める社会からは逆行した動きであると思うので反対です。男性でも女性らしくしてよい、女性でも男性らしくして良い、そういった思想が根付く方が私の理想です)
トランス女性問題
このような問題が囁かれています。
「痴漢行為に抵触することを望む男性が、性転換手術も行わず、心の性自認が女性であると主張し、女性が裸で過ごすスペースに入ってくる」という話題です。
身体的性で分けることは差別か?
トランスではない女性をシス女性と呼称しますが、シス女性にとって男性器がある人間が更衣室や大浴場に入ってくることには恐怖を覚えることでしょう。よって「身体的性が女性である人間でなければ女性用スペースに入ってこないで欲しい」という声が出るのは当然の感情であると思いますし、私もそのように思い支持します。
これに対して「トランス女性差別だ、特にその恐怖感は無理解による差別、レッテルに他ならない、トランス女性も女性用スペースに入れることを認めるべきだ」という意見があります。
私は女性用スペースに入れるべきではないと感じますし、差別であるとも思っておりません。なぜならそもそもこれは「トランス女性」という言葉の認識がズレていると思っています。
「女性用スペースに入ってこないで欲しい」というのは「トランス女性」全体ではなく「男性器を付けた自称トランス女性」です。
そもそもトランスジェンダーの当事者の方々は「自分と身体的性別が違う大浴場に入りたがる」のでしょうか。トランスジェンダーの成り立ちから考えるにあまりそういった要望自体が出てこないように思われます(社会通念上妥当であるように行動したい、また自身の性別を否定されないためにそもそもバレたくない、反感を買って差別されたくない)。
つまり、私は「男性器を付けた状態で、トランスジェンダーでいる方が、シス女性と裸のスペースを共有したくなる合理的な理由や要望(そうしなければ生活に支障を来たす理由、デメリットの有無)」が想定されないように感じます。それと同時に「性を偽る男性と見分けが付かないため排除できない」事を問題視するため反対しています。(本人の意思関係なく凶器の携帯が許されない場があるのと同じ事ではないでしょうか)
ちなみに性を偽り女湯に入る男性の問題についてはこちら。
すでにこういう人達がいて、排除できても刑罰も大したことがありません。さらに今後は「性自認は女性だから差別するな!」という言い訳がLGBT差別禁止法により許されてしまうのではないか、という懸念は大きいでしょう。
性別は何で決まる?
また、そもそも性別はどうやって自認しているのでしょうか。
身体的性が男性である場合の「心の性別が女です」という主張は何を持って女性としているのでしょうか。
「料理が得意です、髪が長いです、女性用の服を着ています、声が高いです、女性ホルモン量が高いです」そのような事を並べても意味が無いですよね、男性だってできますし、仮に女性がそれらに当てはまらなかったら男性になってしまうのでしょうか?
そういった、個人が認識する【性的規範】などを根拠にトランス認定してしまうと無尽蔵にトランスは増えてしまい社会は大混乱します。
ですから「性別」は【身体的性】を指すのであり、女性スペースを【身体的女性スペース】であると解釈することが社会通念上既に妥当であり、性器の差で区別することが不当な差別ではないと主張します。
身体的性によって【男性】と【女性】で区別することは【公平】です。
体のつくりが違うのですから、様々な問題が違います。医療的な分野でもそうです、身体的な性による区別が存在しなければ正しい処置を公平に行うことができません。生命保険に入るときも心の性別で加入できてしまえば保険料を決める【公平性の原則】が成り立たなくなります。
浴場、更衣室、トイレなどの身体的性による区別を設けてる場所はそのまま身体的性による区別を続ける事に問題はありません。
区別がどちらの人権も守る
不正のトライアングルというものがあります。
犯罪が起こるには【動機】【機会】【正当化】が揃うことであり、それらを与えないことが防犯であり人を守るという事でもあるという考えです。
例えばトランスは精神的問題が大きく、心の問題は揺れ動くものです。心の性別が一定でないときもあるでしょう(心の性別を決めないクエスチョニング=Qという概念もあります)。
トランス女性にもしシス女性と裸のスペースを共有させて、もしたまたま【性自認】が男性に揺れ動いてしまった、変わってしまったとします。そのような時にトランス女性は「性加害者になってしまった!」と思い、罪悪感を覚えるかもしれません。
不正のトライアングルは企業において「機会を与えてしまうことで、善良な人間も心のちょっとした隙で不正に加担してしまう可能性を作ってしまうから、機会も与えないことで社員を守る」という概念ですから、トランス女性に対しても慎重に扱い、【性自認】を理由に安易にスペース利用を許し、性犯罪の機会を与えてしまうことは、トランス女性の人権が保護されていない状態であるのです。だから区別することがトランスの人権を守ることなのです。
このように、既存の(差別ではない)社会通念上の判断を論旨とし、身体的性が男性である人間の女性スペースの立ち入りに反対します。
過剰に煽らないよう
このようなツイート(マンガ)がバズっていました。
私はこの漫画には半分くらい反対です。主旨は理解するのですが、文章が不適切に感じます。
一番引っかかりを覚えたのは「今ある男性と女性の権利を侵害するのはどう考えてもダメでしょ」という部分です。
好意的に解釈するのであれば「作者は冒頭の通りLGBT当事者なので、『一般の人々』に迷惑をかけたくないという思いで謙虚な立場から述べた言葉」というものだと思いますが、これをタイムラインでパッと見た人間が「マイノリティの人権を保護するために、マジョリティ者の既得権益を侵害する行為はダメ」または「マジョリティを守るならマイノリティ差別を容認する」と読めるとも思います。
また、もし誰もが差別されることなく法の下の平等にあるべきなのであれば、誰かの人権のために誰かが我慢する事も必要ですので「どう考えてもダメ」は不適切な断定に思います。(公共の福祉による調整の概念など)
「特定の誰かが得をするような法は作っちゃダメ」というのも問題を感じます。これを差別問題として捉えているならば、差別の解消を得と表現するのは不適切でしょう。
誤解なきように
そもそも当然のように漫画に書かれていますが、LGBT法案は身体的性の垣根を越える法案なのか、といえばそのように確定はしていません。また、トランス女性の全てが身体的性を越えて性自認を認めるように主張しているわけでもありません。そこは誤解しないようにしましょう。
確かに、海外の事例がしょっちゅう話題になり、明らかに見た目も男性のトランス女性が女性スペースに入り、排除を訴えた女性が裁判で負けるという話は流れてきたりしていますね。
まず、日本では今現在「性転換手術を終えていなければ性別を変えられない」事になっています。
少なくとも今現在は「男性器があるトランス女性」は「法的に男性」なので、女性スペースに入ってくることは全て違法であると排除することができます。
不安ばかり増幅されてしまいますが、過剰に不安を刺激して差別や対立を煽ってしまうのも良くありませんね。
ただもちろん、世界では「手術」の条件を外す方向性に動いているため、そういった国々では未手術の法的にも女性であるトランス女性が出てきています。(ただし、施行した後に失敗に気づき再度手術要件を見直している国もあります)
今後のことを考えると充分懸念される事態ですから、法案にはやはり反対です。
上記マンガと同じく、"誰にとってもより良い未来になるように心から願います"。
未解決のLGBT問題
同性婚(LGB)
基本的には「誰かの人権を侵害するわけじゃないから、まあ認めていいんじゃないの」とざっくり認識されていますが、割と複雑な話です。
公に祝福されたい、結婚式を挙げたい、くらいなら今でも充分できます。ここでいう結婚したいというのは「戸籍上」の話で、法的に認められるか否かです。
主に「相続」や「子供の親権」などに関わってきます。戸籍に入れさえすればここらへんは一挙に解決できるので、愛する人が困らないようにするために結婚できると確かに助かりますね。
また外国の人が日本で居住権を得るのには結婚が手っ取り早いのですが、国際的な同性愛カップルであればそこも助かりますね。
ただ逆に言うとそこらへんを容易にしてしまう(外国人の入国のしやすさ)ことのリスク、子供の環境の問題(親の性別による子供を取り巻く社会的環境が、現在果たして差別無く整備されているか)などがありますから、「誰かの人権を侵害しない」とはいえ簡単な問題ではありません。
本人確認(T)
Tの人は主に見た目と身体的性を変えて過ごしていることが多いですから、本人確認にやたら手間取ります。出外国における審査や、性別を含めた確認による問題で、詰んでしまうようなことがあります。
手術費用が高額であり、手術が終わらないと偏見の目や法的な制度を受けられない苦しみに負われてしまうという問題です。先のトランス女性問題がありますから非常に悩ましいです。女性スペースの共有等は関与しませんから、個別にこういった方々が苦しまないような調整というのはされて欲しいとは思います。
どちらかというと性別を変える用件を緩和するよりは、性別に関わらない本人確認や福祉を整備するところだと思いますが……。
まとめ
【身体的性】による区別は、男性と女性の身体に埋められない差があり、それを理由としてそもそも必要な区別です。もしトランスを身体的性で区別するのが差別であるならば、既存の男女の区別も全て差別になってしまいます。(それらにも踏み込む平等論もありますが)
【身体的性】には、差別にならない、区別するべき違いがそこにはあり、【公平性】という言葉で、社会は回っています。
同時に【身体的性差】に関わらない【心】の【性的規範】は差別となりえてしまうものであり、そこに【LGBT問題】の核心があると思われます。
どんな性的指向も、性自認があっても良い。多様性を認める社会において、それらは差別されること無く【法の下の平等】に許されるべきでしょう。
心の性自認で公共の場で受けられるサービスが変わってしまえば、社会における性差ある医療、福祉は混乱してしまいます。法は【身体的性】の概念をきっちりと持っていることが平等であり、重要に感じます。
これが私の、LGBT問題、トランス女性問題における現時点での考えです。
終
2023年3月9日
DNF@P_drenreb