故郷から1万キロ、異国語の飛び交う歯医者にて
治療室にいた。これからどんな治療が行われるかわからないまま、施術椅子に座らされていた。
ドイツに移り住んで早1年と少しが経ち、日常会話はほとんど問題なくできるようになった。
生活の中でドイツ語がわからなくて困ることはなくなり、友だちともかなりたくさんのことを話せるようになった。
だから、医者に来るとこんなにも不便することに驚いた。日常の中で使う言葉はわかっても、歯医者で使われる言葉は全然わからないということにそこで初めて気がついた。
「虫歯」や「親知らず」などの基本的な単語さえも知らない。
診察室に入ったとき、そこにはムキムキに鍛え上がった白人の医師がいた。彼は最初に「ドイツ語か英語、どちらの方がいい?」と僕に聞いてきた。
外国人として異国に生活していると、会話において相手から英語という選択肢を提示されることは割とよくある。先方はおそらくなんの他意もなく親切で聞いてくれているのだろう。
しかし、こちらの身からすると、自分のドイツ語の能力が低いことを指摘されたようで不安になってしまう。弱気な自分は、「下手くそやのにイキってドイツ語しゃべってすみません。その上こっちが悪いのにそちらに気使わせて選択肢まで提示させてもうて恐縮です。」というような気持ちになってしまうのだ。
今回も例に漏れずそんな気持ちを抱いた僕は、「どちらでも大丈夫です。どっちにしろ大して話せないので(笑)」といったニュアンスの返答をし、自虐して見せることで、相手の気遣いに応えようと試みた。
そんなこんなで診察が始まり、色々なことを聞かれ始める。徐々に自分が歯医者で使われるドイツ語単語を全然知らないことに気づき始めるのだが、途中で「やっぱり英語で話してくれますか?」とは聞けず、曖昧に頷いたり首を振ったりする。
何か問題があるようだということはわかったが、それがどんな症状なのかは自分にはわからなかった。
そして今、治療室の施術椅子に座っている。
歯の治療なんて、日本語で丁寧な説明を受けた後であっても怖い。
今、わからない言葉で説明されて、何をされるかわかっていない状態でそれを経験するのだ。
医師はマスクを付けたことにより声が曇り、先ほど以上に何を言っているかわからなくなった。
ムキムキの医師は僕を仰向きに寝かせ、口を開かせ、パンパンな腕で左奥歯の歯茎に注射を打つ。麻酔を打ったのだろう。
麻酔を打つということは痛い治療なのだろうか?歯を抜かれでもしたらどうしよう。明日の晩御飯の予定が台無しになってしまう。
怖いので目を瞑ってされるがままになっていると、何やら歯を削っているような感触がしばらく続いた。
あまりに長い間削っている感触が続くので、最初のうちは、「このまま歯無くなってもうたらどうしよ」などと心配になっていたが、10分ほど経つと、状況にも慣れ始め、ムキムキの彼を信頼し始めていた。
最初は怖さや不安ばかりが脳の容積を占めていたが、それらに慣れた頃には、むしろ口をずっと開いていることによる顎の疲れや、助手がずっと僕の唾液を機械で吸引し続けていることの滑稽さなどに気が向くようになった。
助手の彼女は、吸引機を私の口から引き抜く際に誤ってノズル(?)を床に落としてしまったようだったが、その後すぐにそれを拾い、また私の口に差し込んだ。「いや洗わへんのかい」と心の中でつっこんだりしているうちに、今度は笑いを堪えるのに必死になった。
その後も、されるがままに口を開いているだけの時間は続く。時折ムキムキの彼がモゴモゴとマスク越しにドイツ語で何か聞いてくるが、吸引機の音のせいもあって何を言っているか聞き取れないし、そもそも口を開き放しの僕はろくに答えることができないので、「アー」と適当に返事をするだけだ。彼もおそらくそれ以外の返答を想定しているということはないだろう。ひとつ頷き、黙々と治療を続けてくれる。
刻々と何もできない時間が続き、色々な思考が頭をめぐる。口をかっぴろげ、今日初めて会った知らない人二人に指を突っ込まれているという自分の状況をふと俯瞰したりする。
鷲田清一は、『モードの迷宮』の中で「性行為とは、男性にとっては自己の輪郭を相手に押し付けることであるのに対し、女性は自己の輪郭を突き破られ、他者によるその内側への侵入を許すことなのである」的なことを言っていたのを思い出し、「自己の輪郭の内側への他者による侵入を許すこと」って、今の自分の状況と一緒やな〜と、ムキムキの腕の医師の指先が口の中に突っ込まれていることに思いを馳せたりする。
気がつくと「なるほど、もしかすると、女性はこんな感覚なのだろうか」などと極めてキショいことを思っていた。
歯医者に対する感想が、図らずもクリープハイプの歌詞と被ってしまった。
こうしてバカみたいに歯医者で口開けてると尾崎世界観の気持ちがわかるよ。
一通り治療が終わったようで、ムキムキの医師は僕に「噛んでみて」と言ってきた。麻酔のかかった口をゆっくり閉じると、「そうじゃない、klack klackだ」と指示する。なるほど、一度噛むのではなく、複数回噛んで、歯の噛み合わせを確かめるよう言っているのだろうと思うと同時に、またもや最近読んだ本のことを思う。今井むつみによる『言語の本質』で、「まだ言葉を習得できていない幼児に対して、大人は自然とオノマトペを多用する傾向にあり、実際にオノマトペを多用すると幼児に伝わりやすい」というような内容が書いてあったのだ。僕に意図が伝わっていないことを察した医師は、自然とオノマトペを使って説明をし、実際に、そのことにより僕に正確に意思が伝わったのだ。
著書に書いてあった実験の内容を、自分で実際に追体験できたことに少し感動している僕を脇に、医師は席を立ちマスクを取り始めていた。
治療が全て終わったようだった。
舌で左奥歯を確認すると、確かに歯は生えている。歯が抜かれることはなかったようだ。
しかし、何かザラザラとした感触がある。削った上に、何か詰め物をされたのだろう。何が詰められたのだろうかと少し不思議に感じながら、治療室を出た。
ドイツは基本的な治療は100%保険負担になっているので、窓口で何か支払いをするような必要はなく、そのまま出口を出る。
窓口での会話が無いということに慣れていないせいだろうか、治療室の延長線上にずっといるようで、終わった感じがしない。
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