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ちいかわはコミックスで読むべき理由【ネタバレ有】

最近、ちいかわにハマっている。ちいかわとはイラストレーターのナガノ氏がtwitterにて不定期連載している漫画で、”なんか小さくてかわいいやつ”の略だ。

自分はもういい年をしたおっさんなのだが、こんなに可愛い絵面の絵本のような漫画にハマるとは思っていなかった。初めはLINEのスタンプで知り、なんか使いやすいなと思って使っていただけだったが、後に連載漫画があることを知り、ネット上で読んだのだった。

…が、読むにつれて自分の中で何か違和感が生じ、ネットリサーチすると違和感は自分だけではなかったと知り、ちいかわを読むのが怖くなり、しかし目が離せず、たまらずに書籍を買ったところ、心の中のモヤモヤがスーッと晴れる感覚を覚えたので、今こうして文字にしているという次第だ。ちいかわが好きだけど、ちいかわが可哀想で読む気になれない、という人はぜひ読んでいただきたい記事となっている。

ちいかわとは?

泣いても笑ってもいちいち可愛いちいかわ

ちいかわは元々ナガノさんの”こんな風になって暮らしたい。なんか小さくてかわいいやつ”という発想が元になって生まれたキャラクターで、ほとんど言葉を発さず、序盤の描写を見るに幼稚園児のような純粋な心を持っている感じがするキャラクターだ。泣き虫で、怖いことや辛いこと、悲しいことがあるとすぐに泣いてしまうが、嬉しい時や楽しい時はキャァーハハハッと弾けるように笑ったり、フ!と破顔したりする。臆病で引っ込み思案だが、逆にこれは生物としての利点でもあり、いち早く身の危険を察知したりして、うさぎや後述のハチワレの危機を救ったりしている。勉強は苦手なのか本番に弱いのか、資格試験に2回落ちているが、それでも諦めないガッツがある。反面すぐにパニックになったり、突発的な出来事に対して即座に対応できなかったりする。しかし、時に窮地には思わぬ機転を発揮したりする。また、ヨーグルトの景品で家を当てたり、ガチャガチャで劇強のキラカードを当てたりする豪運の持ち主でもある。

ちいかわの特徴は、何と言っても可愛いこと、これに尽きる。泣いたり笑ったり、釈然としない顔をしたり、難しい顔をしたり、ボーッとしたり、どれもこれもいちいち可愛いのだ。自分に子供ができたらこんな感じなのかしら…と枯れかけの独身男性が思うくらいに可愛い。筆者はちいかわに出会って「あ、可愛いは正義ってこういうことかぁ」と実感した次第だ。

読むと心が抉られる気がする「ちいかわ」

草むしり検定編でメンタルブレイクした人は多いはず

始めの方のちいかわは、ストーリーがあってないようなものだった。ちいかわは当初の相方だったうさぎ共々ほとんど言葉を発せず、ご飯を食べたり眠ったり、ファンタジーな日常風景を描いた漫画だったように思う。外敵がいることは何となく示されていたが、お菓子が沸くスポットなどもあり、あくまでもほのぼのとしたちいかわと周辺キャラクターの交流を描いていたように思う。

毛色が変わったのは”ハチワレ”というキャラクターが登場してからだ。ハチワレはちいかわたちの仲間内で唯一人語を喋ることができる。このハチワレが登場してから、ちいかわたちの世界にも労働という概念があることや、また外敵との対立もより明確に、ストーリー仕立てで読者に伝えられることとなった。

ハチワレ登場以降のちいかわには、苦難と挫折が定期的に訪れることとなる。
例えばちいかわはハチワレとお揃いの刺股を買うために、草むしりや(外敵)討伐する”労働”をこなす。一回でいくら貰えるのか定かではないが、それなりの苦労をしてハチワレとお揃いで色違いの刺股をゲットする。意気揚々のちいかわは、ハチワレと一緒に刺股を素振りしてご機嫌だ。しかし、いざ野良の外敵が来た時、ちいかわは何もできない。家に住んでいるちいかわは、洞窟暮らしのハチワレと違って外敵に免疫が少ない。オロオロして、震えるばかりだ。ハチワレの奮闘によって何とか難は逃れたが、ちいかわは大きな挫折を味わう。ちいかわの理想では、自分とハチワレが協力して敵を撃退する姿を想像していたのだった。理想と現実のギャップ、自身の非力さにちいかわは打ちのめされる。

また、”郎”というラーメン屋(多分二郎インスパイア系)にハチワレと行った際も、「ニンニク入れますか?」と聞かれ、予習までしたのに答えられず、オロオロするばかりだった。この時もハチワレの機転によって救われている。ポーチを買う際にも、購入した商品に穴が空いていることに気がつくが、店員に言い出せずにいたところをまたもやハチワレに救われる。(というより、言葉が喋れないため、コミュニケーションを必要とする場面に出くわすと、ちいかわは大体テンパる)

決定的だったのは、”草むしり検定編”だ。ちいかわは友達に人形をプレゼントしたいと考え、報酬をアップさせようと草むしり検定5級を受けるべく、日夜勉強に励む。ちいかわが勉強していることを知り、後から追いかけるようにしてハチワレも勉強するが、合格したのはハチワレだけだった。ハチワレよりも長い時間勉強したにも関わらず、ちいかわは落ちてしまったのだ…。後にいつもふざけた口調のうさぎが3級に合格しているのを知って、余計にやりきれなくなった(ハチワレは5級)。これは何とも世知辛い。しかもちいかわは2回も落ちているのだ。

ここら辺まで読んで、筆者はある違和感に囚われた。後のちいかわ論争とも関係することだが、要するに、”ちいかわって将来幸せになれないんじゃないのか…?”という漠然とした思いがそれである。勉強ができない、臆病ですぐ泣く。要領が悪い。自分の意見を言わない。仲間想いではあるが、主体性がない。資格試験も自分の報酬を上げたいという野心ではなく、仲間にプレゼントを買いたいという他人マターの欲求なのだ。『闇金ウシジマくん』の世界だったら、間違いなく他人に利用されて一度は地獄を見るキャラクターだ。

人のいい、優しい無能なんて将来幸せになれるわけがない、誰かに都合よく搾取されて、それでも良い人・優しい人をやめられなくて地味で喜びの少ない不幸な人生を歩むんじゃないか…?という何というか恐怖みたいなものが自分の胸に降ってきたのだった。

作中の描写を見るに、ちいかわの経済状況は決して豊かとは言えない(ちいかわ世界には食べ物が湧き出るスポットがあり、食には困らないため、お金稼ぎは嗜好品や生活必需品のために行うものだと解釈しても)。底辺にいる無能がのし上がるには、それなりの覚悟や勇気を持たないといけないだろう。汚れ仕事をやったり、危険を冒したり、法律的にグレーゾーンな商売をしなければいけないかもしれない。しかし、ちいかわは気が弱くて優しいため、それをしないであろうことは容易に想像がつく。

例えば、『モンスター』という映画がある。実話を元にした映画で、主人公のアイリーン・ウォーノスはアメリカで10番目に死刑になった女殺人鬼だ。彼女は両親(母はアル中、父は精神異常の小児強姦犯)の不仲によって、幼い頃から祖父母の元で育てられたが、祖父から性的・肉体的な虐待を日常的に受け続けていた(祖母はアル中)。そのうち兄や兄の友達と関係を持つようになり、そして祖父の友人に強姦されて妊娠し、家出をして(アイリーンはこの時まだ15歳)森の中に捨てられた車で寝泊まりし、売春をしながら生活を続けることになる。

色々と考えさせられる映画なのです
『モンスター』については、石田朋子さんのブログに詳しいので是非そちらを読んで下さい
https://novel.onl/monster/

成長した彼女は自殺を考えるが、ある女性と出会い、真人間に戻ろうとする。しかしこのシークエンスで決定的だったのが、アイリーンがどうしようもない無能だということだ。30代まで夜鷹生活しかしていないため、何のスキルもない。ろくな教育も受けていないため、最低ラインの常識もない。法律のことなど何も知らないのに、弁護士事務所の事務員の面接に行くような人間なのだ。

彼女の生い立ちを知らない人は、彼女を見て「もっと頑張れ」とか、「やり続ければ少しづつ向上する」とか、「よく考えろ」とか助言するんだろうが、そもそも彼女には思考の前提条件がなく、経験値の土台がない。屋根付きの家でぬくぬく育った我々と、本物の底辺とでは次元が違う。頑張れと言われても、そもそもどう頑張ればいいのか分からないし、正しいやり方を知らないため一向に向上しない、どうしようか考えようにも常識や知識がすっぽり抜け落ちているため、まるで素っ頓狂な考えになってしまう。そもそも考え方すら分からないだろう。そのレベルなのだ。さらに住所がないため、福祉の網にも引っかからない。そうなればズルズルと闇に落ちていくしかない。

最終的に彼女は客を殺して金品を奪う、という生活をし、捕まって死刑判決を受ける。まぁ自業自得と言ってしまえばそれまでなのだが、しかし彼女にだってちいかわみたいな時期があったはずだ。純真で、無垢で、悲しい時は思い切り泣き、嬉しい時は弾けるように笑う。悪い奴「こいつなら何をしても黙ってるだろう、もし泣いたり他に助けを求めようとしたら殴りまくってレイプして、逆らえないよう恐怖心を植え付けてやればいいさ」というゲスに魂を汚されるまでは。或いは、汚されてからもちいかわのような心を持っていたかもしれない。穴に落ちたハチワレのように、初めは誰かに助けを求め、来ないと分かると「自分でッ…何とかするッ…。絶対…負けない…」と健気に体を売り続けたかもしれない。ハチワレはちいかわによって救い出されたが、アイリーンだって底辺に染まり切る前に、誰かが手を差し伸べていればまた違った運命が待っていたかもしれないのだ。

話が少し逸れたので元に戻す。
アイリーンに比べると、ちいかわの置かれている立場はかなりゆるい気がするが(選ばなければ食い物は無償だし)、もしかしたらちいかわは底辺で、もうこれ以上向上することはないんじゃないか?アイリーンのように一生底辺なんじゃないか?一生誰か悪い奴に搾取され続けるんじゃないか?という漠然とした不安が読んでいて頭をよぎるのだ。知り合いに1人はいる、優しくて良い奴だけど、要領が悪くて報われない人にちいかわはなってしまうんじゃないか?と考えると胸が締め付けられる気がする。

そもそも、自分でものを考えないで、ただ何となく流されるままに生きているという点で、筆者もうっすらちいかわで、だから先の展開を読むのが辛いのかもしれない。また逆に、知らず知らずのうちにちいかわのような人たちから搾取している側なのかもしれない。或いはちいかわが搾取されていることを知っていながら、見て見ぬふりをしているのかもしれない。だからこそ、自分の罪悪感と向き合いたくないがために、ちいかわを読むことに恐怖を感じるのかもしれない。

…という風に筆者は感じていた。つまり“ちいかわ”というコンテンツに心をかき乱されて、ぐちゃぐちゃになっていたのだ。ちいかわが可哀想なまま、一生可哀想で終わるんじゃないか、という切なさを感じていたのだ。しかし、単行本を買って読んでみると、そういった気持ちは払拭されたのだから不思議だ。
以下に、ちいかわに対する怖さがなくなったと思われる理由を述べていく。

①単行本=時系列で見ることの重要性 

本記事で言いたいことの9割くらいがここに集約されている。単行本とTwitterの最大の違い、というより唯一の違いは、正式な時系列順で見れることだ。筆者はすでに3巻分のtwitterが更新されてからちいかわを知ったクチなので、余計にそう思うのかもしれない。別にステマではない。twitterで更新されている話、ないしエピソードだけ見ていくと、確かにちいかわの駄目な部分ばかり目がいく。“なんか小さくてかわいいやつ”が、挫折を味わったり、能力が足りなかったり、酷い目にあっている描写ばかりが目立ってしまう。別にそういう話ばかりではないのだが、どうしてもそちらの方がインパクトがあり、目がいってしまう。しかし、単行本を買って、ナガノさんの思惑通りの時系列で見ると、そこまでちいかわが駄目で無能だという印象は受けないのだ。というのも、確かにちいかわには至らない点が多いが、着実に成長していることが分かるからだ。 

例えば、ハチワレとお揃いの刺股を買って意気揚々としていたちいかわは、いざ外敵が来るとなすすべがなかったが、その後のエピソードでは刺股を使って”討伐”の労働についたり、でかい怪物の囮役を買って出たりしている。ハチワレの家で、触覚が卵ボーロの匂いがする虫に怯えていた時と比べたら大した成長だ。

草むしり検定にしても、ちいかわは2回落第しているが、いずれ合格するだろうという予感がある。幕末に活躍した新撰組がつかった天然理心流という剣術流派の目録にはこんな記述がある。「人には器用不器用があるから、自分が不器用で、後から入門した器用な者に抜かれてもくさることはない。人が1回の鍛錬で成すなら自分は100回すればよい。人が10回で成すなら自分は1000回すればよい。(意訳)」。
新撰組局長・近藤勇の養父にして、天然理心流3代目宗家である近藤周助という人物がいる。この方も中々に不器用な人物であったらしく、天然理心流には三術(剣術・棒術・柔術)それぞれに印加が設けられているが、周助自身は師匠から剣術の印加しか得ていない。三術全てを修めた高弟は他に何人もいたが、最終的に流派の看板を継いだのは周助だった(なぜかは不明らしい)。ちいかわだって不器用だが、チャレンジし続けていればいずれ合格するはずだ。10回、20回と落ち続けるかもしれないが、諦めない限り最終的には自身の目標を達成するだろう。

上記の天然理心流目録はこの『新選組始末記』からの孫引きになります。

また話が逸れたので元に戻す。
要は、ちいかわは確かに駄目かもしれないが、駄目を駄目のままにせず努力しており、また少しずつであるが向上もしており、その描写もあるということだ。筆者のように何となくやらなきゃなぁ〜と思いながらいつまでも実行しないクズとは訳が違う。それが単行本で時系列順に読んでいくとよく分かる。

②危機察知・回避能力 ~ボスの器~

ちいかわは臆病だし、泣き虫だ。それが欠点かと問われればその通りだと思うが、欠点とはすなわち利点の裏返しでもある。例えば『トリコ』という漫画の虹の実編において、主人公が「群れのボスに必要な能力は強さ以上に”危機管理能力”〜(中略)〜危険を真っ先に察知する奴がボスの器だ」と述べていた。これに当てはめれば、ちいかわはボスの器だということになる。うさぎが中古品店で購入した呪いの杖を、怪訝な顔をして振らなかったのはちいかわだけだし、偽三つ星レストランで注文の多い料理店状態にされた時も、ハチワレが何となく受け入れる中、ちいかわは危機を察知して叫んでいた。スフィンクスだって訝しんでいた。まぁ、カブトムシ編では大失態をやらかしたが擬態型だったわけだし、成長していくにつれ鼻が効くようになり、あがり症な面を克服できれば、もしかしたらボスになったちいかわが見れるかもしれない。

いずれちいかわがエリアのボスとして君臨する日が来るかも!?

③豪運 〜運命力〜

ちいかわは豪運を持っている。住んでいる家はヨーグルトの景品で当てたものだし、ガチャを引けば当たり前のようにキラを出す。プリンの景品ですき焼きセットを当て、外敵にやられそうになった時も、討伐ランク1位のラッコに助けられ、なおかつお近づきになることができた。こんな豪運は現実ではなかなかお目にかかれないんじゃないかと思う。

『遊戯王』という漫画に城之内克也というキャラクターがいて、彼も豪運だった。城之内はなかなかの苦労人であり貧乏である。彼は父親の借金を返済し、難病におかされた妹の治療費を捻出するためにカードゲームの大会に出場する。貧乏なので所有するレアカードは少ないが、デッキパワーの貧弱さを補うためにギャンブル系のカードを多数搭載している。強者たちとのデュエルにおいて、城之内は要所要所でギャンブルカードを発動させ、窮地を脱したり、勝利をもぎ取ってきた。vs.孔雀舞およびvs.ダイナソー竜崎戦における「時の魔術師」、vs.エスパー絽場戦における「ルーレットスパイダー」など、一か八かのギャンブルカードが勝利へのキーカードとなったデュエルも多い。彼の豪運はデュエリストなら知るところだろうが、絶対に外してはいけない、外したら即負け、という場面ではまぁ外さない。必ず当てる。強敵のパワーカードで構成されたデッキに対して、トリッキーな戦術とハイリスク・ハイリターンなギャンブルカードで渡り合う城之内のデュエルは、熱い展開になる場合が多い。

ちいかわと城之内には豪運以外の共通点はほぼないが、この豪運というのは創作物特有のもので、普通は連続してツキが良いことなど皆無だ(少なくとも筆者はない)。しかし物語の世界ならあり得る。ちいかわも豪運を持っているので、もし何かしら窮地に陥っても運命力が何とかしてくれるに違いない(と思いたい)。

豪運つながりの両者

④ハチワレ

言霊を操る天然のポジティブモンスター”ハチワレ”
「なんとかなれー」の一言で大体なんとかなる

ちいかわの親友といえばハチワレだ。人語を操るこのキャラクターは、何度も何度もちいかわの窮地を救ってきた。少々考えなしなところがあるが、引っ込み思案なちいかわを盛り立て、精神的に引っ張る大切なキャラクターだ。ちいかわはハチワレに迷惑をかけたり、気を遣わせることが多いが、ちいかわだってハチワレを救っている。穴に落ちた時や、呪いの杖で化け物になった時など、ハチワレはちいかわの機転で救われている。要は何が言いたいのかというと、ちいかわとハチワレ、お互いがいる限り、お互い大丈夫じゃないか?ということだ。真の友は得難いというし。

余談と結論(のようなもの):ちいかわ論争

この論争はちいかわを語るに当たって、避けては通れない事柄だと思う。これは元々メン獄さんという方がtogetterにしたツイートが話題となって起きたものだ。非常に鋭い視座に立った、またご自身の体験に基づいた説得力のあるツイートとなっている。内容はリンクを載せておくので、各自で読んでいただきたい。

ちいかわ論争の火種となったメン獄さんのtogettor

筆者はこの一連のやりとりを見て大いに沈んだ。メン獄さんという方がどういう人生を歩んできたのかは知らないが、鋭い洞察力と分析力だと思う。恐ろしく的を得ている気がする。要は、”自分で考えずに、他人の言うことをホイホイ信じてしまう、物事を順序立てて考えれない、人当たりのいいお人好しな、純粋な都合のいいバカ丸出しなバカ”は、良い奴だから何となく好かれるけど、結局搾取されるだけで、絶対に幸せになんか、少なくともその人がバカなりに思い描いた幸福には決して辿り着けないよ、ということなのだと思ったのだ。

このtogetterを読んだ当初、筆者もちょうど仕事で壁に当たっており、ちいかわも無能から脱却できないし、自分も無能から脱却できないしで、めちゃくちゃ沈んでいた記憶がある。しかも怖いのが、“ちいかわはちいかわだと気付けない”という指摘だ。これはつまり、「お前はバカだから〜しろ」と言っても「今の状況ヤバイから何とかしたほうがいいよ」と言っても、本質的には何も改善しないことを意味している。不幸を不幸だと認識できないまま、全く的外れな方向に無自覚に進んでいき、その結果としての境遇を自分のせいにしてゆっくりと精神が壊れていき、壊れていることにも気付かないまま、取り返しのつかないところまで追い込まれる、ということだ。

ジョジョ第6部ストーンオーシャンにおけるウェザー・リポートの台詞「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」じゃないが、自分が不幸だと気付けないのは最もドス黒い不幸ではないか?少なくとも自分の身の回りの人たちや、ちいかわにはそうなってほしくない(…あれ?それとももうなってるのか?)。

他人をさんざん破滅に導いておきながら、自分の目的は”人々を幸福にするため”だと言い、
正義であると疑わないプッチ神父(左)に対して、ウェザー・リポート(右)は現実を突きつける。
ちなみにプッチの友人であるディオは、自分を”悪のカリスマ”だと認識している。

ただし、「人生は選択の連続である」というシェイクスピアの名言の通り、この先のちいかわや、ちいかわみたいな人たちがどのような人生を歩むのかは、神のみぞ知るである。

筆者の知り合いで、小学生時代はいじめられっ子だったが、その後どんどん体がデカくなり、中学に上がる頃には自分をいじめた奴らにお礼参りを決行したヤンキーがいた。筆者が出会ったのはお互い成人になってからだが、そいつは別に筋トレとかはしていないのに腕回りが異常に太く、男性ホルモンがドバドバ出ている感じなのだ。今となっては、こんな奴に喧嘩を売るなんて考えられないくらいイカつい(ちいかわのキャラだとカブト王的な感じ)。人生何がどうなるのか、どう転じるのかは誰にも分からないだろう。筆者だって30歳までプラプラしていたが、現在は真面目に働いている(つもり)。現在勤めている会社の社長も中卒だ。 

もしかしたら予備校で教えても教えても、自習しても自習しても成績が伸びなかった生徒は、別に生徒個人の資質が問題なのではなく、教える側の教え方が悪かったのかもしれない(エジソンだって学校を破門されているし)。

喫茶店で情報商材の勧誘を受けたちいかわみたいな瞳の人たちは、別に契約しなかったかもしれない。ギリギリで抜け出せたかもしれない。情報商材を買ってしまったが、その通りにやって成功したかもしれない。

上記のたらればはあくまでも希望的な推測にすぎないが、無限の可能性を考えることができるのが物語の力だと思う。要はちいかわの未来についてどうこう言うのはナンセンスであり、結局未来なんて(自分のですら)分からないんだから、考えるだけ無駄だと思うのだ。究極、我々読者はナガノさんの掌で転がされるしかない。何かあっても豪運と仲間が助けてくれるだろう、という気持ちで、Twitterの更新や単行本の発売を楽しみにするしかないと思うのだ。今回ちいかわの単行本を買ってみて、時系列順で見てみると印象変わるなーと思い、上記のようなことがつらつらと思い浮かんだので、書き記してみた次第である。

ほのぼの回かと思わせておいて、
後にちいかわが地獄に落ちる前兆である一コマ。
小さくてかわいくても人生って甘くないんだな、と思う。

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