男のくせに

「男のくせに」「女のくせに」という言葉が好きではありません。性別というのは、身体の構造の違いを指しているのであって、内面(心)は身体ほどはっきり分かれてはおらず、人によってかなりバラつきがあると思っています。だから、身体が男で心が女、またはその逆、またはその間、というのは当然の事としてあると思っています。また、身体は子ども、頭脳は大人、というのはコナンだと思っています。

私自身がちっとも男らしくないのも理由のひとつです。男の服より女の人の服を見る方が好きだし、人生で最初に好きになったアイドルは堂本剛さんでした。

あんまり関係ないけど、女の人と買い物に行ったときに「どっちが似合う?」と質問されて、男が「んー右」とか「わからん」とか適当に答えて女の人の機嫌を損ねる、というのはよく聞く話ですが、私は今のところそういった事態に陥ったことがありません。
何故かと言うと、デートをほとんどしたことがないから…ではなくて、女の人から「どっちが似合う?」と聞かれたら、本気で考えるからです。むちゃくちゃ悩んで、その人のクローゼットの中まで想像し、普段よく使っているコートや持っている靴との相性を考えて、「〇〇〇(理由)だから右が好き」と答えます。
それで結果的に左を買うことになっても構いません。私は擬似体験として女の人の気分になって服を選ぶのが楽しいだけであって、服は好きなものを着てほしいです。男受けや女受けを気にしてばかりの人は個人的にはあんまり好きじゃない。

閑話休題。「男のくせに」という言葉を聞くと思い出すドラマがあります。子どもの頃に見たのでストーリーもキャストもほとんど覚えていなくて、ひとつの場面だけが強烈に脳に焼き付いているのですが、男の人が病院で、公衆電話で母親に「母さん、おれ、子ども産んだよ」と報告するのです。男の人も電話先の母親も涙ぐんでいて、母親は涙を手で拭いながら微笑んで、「もう、男のくせに…」と言います。それを見た当時の私は「あれ?子どもって女の人が産むんだと思ってたけど、頑張れば(?)男が産むこともできるのかぁ」と素直に納得します。それくらい性別というのはあやふやなものなんだなぁ、と。

結果的に妊娠への認識は間違えていたわけですが、こと性別に関して言えば、当時の私くらいの考え方のほうが楽なんじゃないかと思います。
今エレベーターであなたの隣にいるマッチョなサラリーマンも、もしかすると女性用の下着をつけてるかもしれませんね。


#エッセイ #日記

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