見出し画像

グンマ生まれのグンマ育ちで、海のない土地で育ったにも関わらず水が好きで、海や湖を見ると心がとても落ち着きます。

とくに水面(みなも)をじっと眺めるのが好きで、スイミング教室に通っていた小学生のころも自由時間にまわりの生徒たちがきゃっきゃと遊びながら揺らす水面を、プールの端っこで微動だにせず眺めていました。跳ねた水の粒のひとつひとつがライトに照らされて宝石のようにきらきら光って綺麗でした。

水面を眺めていると、先生がたまに「スナノくんは遊ばないの?」と声をかけてくれます。たしかにわたしは夢中になって水面を見ていたのですが、同時に誰かが声をかけてくれるのを待っていました。
ひとりがすきだけど、きらいでした。
むかしもいまも同じかな。

・・

さっきまで水面をじっと眺めていたスナノくんは、今度は一心不乱に水中でぐるぐると前転します。何度も何度も、ぐるぐるぐるぐる。
突然のアクティブ。

水中で大量の泡が身体にあわせて動くのが楽しくて、呼吸の続く限り前転を続けました。飽きてきたら次は後転です。しばらく繰り返すと目が回って気持ち悪くなってくるので、そうなったらまたプールの端に戻って水面を眺めました。

無自覚だったけど手のかかる生徒だったのかもしれないですね。 「水面を見ています」と説明するのはなんとなく恥ずかしかった。
先生は可愛くて好きだったので迷惑をかけずにいたつもりだったけれど。

・・

先生はA4の紙をバインダーに挟んでいつも持っていたのですが、濡れた手で触るので当然紙がびちょびちょになって、それが乾くとめくるときに「べりべり」という音がします。その「べりべり」音が妙に好きで、音をよく聞くために、先生の話を聞くときはいちばん前を陣取っていました。「べりべり」音を再現しようとして家で紙を濡らしたりもしました。でも紙の種類が違うのか、先生のような良い「べりべり」音は出せませんでした。

関係ないけど、先生はペンを水着の胸のところに挟むのでわたしはいつもお腹にぎゅっと力をいれてなにかを我慢していました。



話がそれましたが、大人になっても水面を眺めるのは相変わらず好きで、仕事終わりに会社から駅までの道の途中にあるやたらと大きな池を眺めて疲れを癒したりしました。

当時は恋人と同じ会社で働いていて、帰りは一緒に帰っていたのですが、わたしは時々不安定になるので5分も10分も池の前に立っていることがありました。そうすると恋人は「どうしたの?」と声をかけてくれました。
その声の中に苛立ちや混乱がないことにわたしは心の底から安心した覚えがあります。わたしはいつでもひとりになれて、いつでもふたりに戻れる。そのことに幸福を感じました。ずいぶんと甘えていたなぁ。。

小学3年生のときに、担任の先生が「どうしてみんな大人になると結婚するのだと思いますか?」となにかの授業のときに質問をして、わたしは自信満々に「人はひとりでは生きてはいけないからです」と答えました。

先生は少し考えてからわたしにだけ聴こえるように「でも、みんなひとりです」と言いました。当時のわたしは少し混乱しましたが、いまはその通りだと思います。


#エッセイ
#水の話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?