ぼくらが二度と純粋を手に入れられなくても
詩を書きました。
内容はいわゆる
的問題であり
的葛藤であり
的絶望を描いています。
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わたしの詩にはしつこいほどに、くどいほどに、スガシカオの歌詞の要素が散らばっています。昔はスガシカオに憧れるがあまり下手なトレースをしてしまっているのでは、と悩んだりもしましたが人生を重ねるごとに、こと恋愛を重ねるごとに「黄金の月」の主人公の"ぼく"はわたしの内部に確かに存在していて、大切な誰かとの大切な時間を冷たい無言やエゴイスティックな態度で傷つけてきたのだと思い知りました。
がぼく(ぼくら)には見えないことをいつからか認識してしまっていたし、不器用で体裁ばかり気にして濁った視線で夜空を見上げながらほろほろと涙をこぼしているうちに人生が終わっていくんだろうなぁと呆然と考えたりします。
ガンバレ。
あるいは誰も"適切な言葉"なんて持たないんじゃないかとも思ったりするのですが、そんなことはないですね。ひとを傷つけずに本音を言える奇跡みたいな力を持ったひとが世の中にはけっこう存在しているみたいです。
「詩人はどんな言葉で恋人と話すの?」と訊かれたときに「に、日本語で・・・」と返すくらいわたしは言葉を発するのが下手です。
・・
ずいぶん前に「月とアパート」という曲を書きました。この歌詞の主人公も例に漏れず大事な言葉を見つけようとして、ただ過去を振り返ってその場で立ち尽くしているだけで吹く風に追い越されていきます。
ずっとそこで立ち止まっていられるわけでもないのにね。
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