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きんぴら

なんで駅のトイレにきんぴらが捨ててあるの。

食べきれなかったんだろうか、でも弁当に入ってたきんぴらの一角だけまるまる捨てられている感じだし、嫌いだったんだろうか。


最近になって好きなものが増えてきたけれど、もともと好き嫌いは激しい方だった。
野菜は全般嫌い、豆類は口に含んだら飲み物で流し込む、貝類は母に涙目で訴えて食卓に上げないよう懇願していた。
カレーライスが嫌いな子供だったし、甘いケーキもoops…となる子供だった。

好き嫌いが多いので、給食の時間は嫌いだった。
食べられないのを許してくれる先生の年は良かったが、お昼休みにまで延長させる先生の年はいかに嫌いなものが入っていない皿を自分の机に置くかで必死になる。
嫌いなものは口に含んだ瞬間から拒絶感が広がり、口内にブツを触れさせないように、はう、と空気を食べる。
そして飲み物で流し込む。が、なんせ机の上には牛乳しかいない。仕方ないので牛乳を口に入れる。

牛乳と拒絶感のマリアージュは、それはもうおどろおどろしいものであった。
あれをトラウマに持つ人は多いのではないだろうか。


好き嫌いが少ない人は、人付き合いに長けている人が多い気がする。
個人的な持論で根拠は無いが、わたしの周りではそういった傾向があるのは確かだ。
食べ物も人も分け隔てなく接します、ということなのだろうか。

人付き合いが苦手だと、愛想笑いが多くなる。苦手な状況は気持ちをシャットダウンして愛想笑いで流してしまいがちだ。
ただ愛想笑いは疲れてしまう。
きんぴらを牛乳で流し込み続けていれば嫌いにもなる。


嫌いは嫌いでいいと思うのだ。
無理に流し込んでトラウマを量産する必要は、おそらく無いんじゃないか。
きんぴらじゃなきゃ食事ができないわけではないし、食物繊維が取れないわけでもない。
もちろん、好きになるに越したことはないけれど。

少しずつ少しずつ好きなものが増えていって、牛乳で流し込まなくても何でも食べられればいいなあ、と思う。


でもやっぱり、駅のトイレにきんぴら捨てるのは良くないと思うの。

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