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ちゃんと些細な愛を送るよ

1人で目覚める朝でも携帯電話には必ずおはようのメッセージが来ている。別に母も暇ではないが、必ず家族チャットには毎朝挨拶をポストしている。大抵寝ぼけ眼ではチャットより天気予報、仕事の連絡、打ち合わせのリマインダが気になって家族のことは忘れてしまいがち。18になって、なる前で、それぞれ地元を出た兄弟と実家から電車で毎日通学する妹と、単身赴任の父と母はみんな生活リズムがバラバラだ。眠る時間に起きる人がいて、ご飯を食べる時間に仕事に追われる人がいて、それぞれの別の時間軸がほとんど重ならずにタイムラインとして流れていく。僕がしているのはせいぜい見返していいねを押すくらいで、還暦までのカウントダウンが聞こえる父の昼食が家系ラーメンばかりなのが少し気になるものの、好きなものを食べて楽しく暮らすことを邪魔できないよな。

仕事が終わらなさすぎて自分の無能さに呆れかけていて、定時を1時間ほどすぎた執務スペースにいたのはいつもと同じメンバーだった。フリーアドレスというのにだいたい同じ席に座っているからちゃんと話したことはないけどなぜだか長いこと知っているような気がする。正直相手の担当者ももう帰っているし、なんなら昨日から反応がない。電話も出てくれない。それなら別にこちらも焦らなくていいだろうと開き直ることにした。これはこれ、それはそれとは便利な考え方だし僕らは面の皮の厚さにかけては一流なので、平気な顔をして無茶を言う時がある。しかしながらそれは半ば労基法もクソもなく延々と仕事に捕まって逃れられないこの蟻地獄の底からの、精一杯の皮肉めいた叫びなのだ。

上司が目線で話をしてくる。往生際が悪いと叱責しているようにも見えるし、そろそろ家に帰って休めと諭してくれているようにも見える。いずれにせよ手にはIQOSのカートリッジがあったので僕も一息つくことにした。綺麗なオフィスのくせに各階に喫煙ブースがあるわけではなく、わざわざ一度外へ出ないとタバコが吸えないのは気に食わないが、仕事をしに来ているのであってタバコを吸いに来ているのではないので、仕方ない気もする。とはいえ、緊張をほぐし気楽に仕事することや、仕事中にお酒を飲むわけにもいかないことを考えると、喫煙したり、関係ない雑談をしているくらいがちょうどいい気さえする。そういうわけで法人営業というのはよく喋るものだと思っていたが、案外そうでもないみたいだ。少なくとも連れ立って席を外すに言葉は一切介在しなかった。おそらくいたずらにコミュニケーションを重ねることが大切なのではなく、本質を捉えることこそ必要で、そこに言葉が入るかどうかは形態の差にすぎないのだろう。

友達が遊びにくることになった。部屋に泊めてくれという。引っ越してまだ1年ほどしか経っていないが、綺麗なままかと言われると多分に怪しい。そもそも東京の範疇にあるかさえ怪しく、ほとんど埼玉のような場所である。足を運んでくれるだけありがたいので、空いた時間でできるだけ取り繕っていくことにする。日付も近いから新しく棚を入れたり、模様替えをするような大したことはもう出来ない。ただ多分出来ることはたくさんあるはずで、浴室の床面にカビキラーをかけたり、客用布団を天日干ししたり、普段はやらない棚の裏の掃除機かけなどはやっておこうと思う。それは僕がたいへん見栄っ張りだったとしても、汚いところが平気な人間だと思われたくないという見栄より、快適な時間を過ごしてほしいという小さな想いによるものだと思う。

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