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切り出した数枚のフイルム


心が折れた夜のしじまに、思い出したかのようにお前に届けたい。伝えたい気持ちは概ね言葉にならない。なんとなく、そんな風にあって、こんな風に流れて、あんな風に掴みどころがない。「あー」とか「うー」とか音だけが口をついて出るだけで、だからこそキーボードを指が滑っていっても、やっぱり物書くのは向いてないんだなって分かる。上手に言葉を使いたくて、1週間に一度は何かを書くのだと決めて、なんのためにしているのかよくわからなくなって、1か月に一度くらいでいいやと思って半年が近づいてきて、もうどうでも良くなって今に至る。書き残しておいた方がいいことはたくさんあった気がするし、多分後々になって、記録としてやっといた方が良かったと言い出すのだろうけれど、同じような日々の繰り返しの中で捻り出せるものなどたかだか知れている。ただ無邪気に日々を過ごすことも追われながら過ごすこともさほど変わらないのなら追われ続けた方が得られるものは多いのかも知れない。

5月の半ばに東京ドームでレッチリの来日公演があったので、友人にチケットを取ってもらって参加した。一万円を超えるチケットを取ったのは初めてのことだったけど、その価値があるのだとよく分かる時間で、ただただ音の波を身体で感じていた2時間だった。本当に一瞬だった。スケールや進行や楽器のことは義務教育レベルのことを知っているけど、細かいことはさっぱりで、あれこれ考えずにただただ音を浴びて、それが心地よかったという感想しか言えない。バンドのライブに行くのは何度かあったし、遠い昔にフェスも行ったことはあったけど、多分一律に同じように気持ちが良いくらいで、あまり詳しいことは考えるだけ、話すだけ、書くだけ意味のないことに思える。

その友人とは10年ぶりくらいに会うわけだし、物販に90分近く並んだり、列の途中で女子ボートレーサーを見かけたり、終わった後に水道橋の駅前で食った焼肉が安くて美味くてアタリだったり、言葉を重ねられるものはたくさんあった。それでも1番覚えているのはあれだけ汗をかいてもなお神田まで歩くことにしたことで、御茶ノ水まで坂を上るときのがらんとした日曜夜の街並みを気に入ったことだと思う。東京は塩辛いどん兵衛しか売ってないし、あれだこれだとケチをつけたくなるときがあるけど、一線からずれたふとしたところがたまらなく魅力的に見えるときがあって、そういう都市の中の一つの場面に触れるとその街で生きていく日々を好ましく思える。息苦しいワイシャツからようやくネクタイが取れて、ジャケットを着て歩くのが嫌になっても、割り切っていける理由なのかも知れない。

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