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背中をそっと支え合って生きてこう

これから書くことは酒に酔った隙にほろっと出てきた恥ずかしいセリフだから特に覚えていなくたっていいよ。でも、どうしても言いたくなったからちゃんと聞いてね。多分2度も3度もこんなことを呟くことはないはずだから。もしかしたら同じように酒を飲めば口からこぼれ出すこともあるかもしれないけど、もう酒なんて飲む気にならないはずだから。君が飲ませてくれるなら話は別なのかもしれないけどね。

生きていると辛いことはたくさんあるはずで、悲しいことも同じくらいあって、でも多分、他人から見るとそれは喜ばしいことだったり細やかな幸せだったりするのかもしれない。全部ちゃんと覚えて振り返って俯瞰することはきっと出来ないから、なんでも思ったことは見える見えない所に関わらず書いておくに限るんだ。私のようになんでもかんでも見えるところに置いとくのは見せたがりの寂しがりなのかもしれないけど、それで君がずっと見ていてくれるなら別にいいのかもね。見ていなくてもそれも結局は構わない。あくまで君に語りかける程で書き出すことで、私が思うように書くことができるからそれでいい。結局のところなんでも自分のためになるんだ。そんな気がする。

人がまばらな時間に地下鉄に乗って帰ると、座席で眠ってる人はそれなりにいる。たまに隣にそういう乗客が座ってくることがある。あからさまに船を漕いでいるとつい避けてしまうんだけど、思い切ってそのまま肩を貸してもいいんじゃないかな。最近はこう思うことが増えてきた。人間は人の間で生きているから人間なんだと中学の頃に先生から教わったような気がするけど、私だってどこかで誰かの体を借りて生きてきたはずなのだ。母の腹から生まれ、父に背負われて、祖父母と手を繋ぎ、兄弟と取っ組み合いの喧嘩をして、姉妹の手を引いたこともあったかもしれないな。そして、触れ合って、体温を感じて、重力を預けあって、自分と相手の境界を曖昧にして大人になったんだろう。

ゼロ距離で視線を交わすことはなくても、この便利な時代に私たちは文字だけでつながり合うことも出来る。ありがたいことに私にはそんな友達が多い。それぞれの場所で、なにをしているかもバラバラで、お夕飯の支度をしていたり、ドライブスルーでスタバのホットドリンクを待っていたり、誰もいない真っ暗のオフィスで画面のブルーライトを相手に仕事を片付けていたりするかもしれない。向かっている方向はバラバラでも小さな手のひらの中で拵えられた言葉でつながりあえる。久し振りに面と向かって会うはずなのにどうも久々じゃない不思議な感覚になることができる。

もちろん触れていたいとは思う。ただめいめいにやりたいことがあるわけだから、いつだって一緒に居てやることは出来ないんだ。分かってくれと言うつもりもないし、私だって理解したフリこそしているけれど、心の奥底で本当に納得しちゃいないのかもしれないね。でも?だから?どうでもいいことを書いていようぜ。どうでもいいことを教え合っていようぜ。珍しい車両の列車に乗ったことでも、変な形の大根をスーパーで見かけたことでも、今朝の味噌汁の塩味がちょうど良かったことでも、君が前髪を少し切りすぎたことでも、私が家の前にある段差で躓いて転びそうになったことでも。そうやって背中をそっと支え合って生きてこう。

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