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新しい季節の泳ぎ方

とにかく眠い朝は夜更かしによって作られる。人はなぜ翌朝の辛さをわかっていながら夜更かしをやめられないのだろうか。1日の間にやっておきたいことが山のようにあるとついつい1日は24時間では足りなくなる。となると自分の意識の下にない睡眠の時間が1番優先度として低くなり蔑ろにされる。少なくとも私はそうしてしまう傾向がある。寝なければなんとかなるかな、と甘い考えをしてしまう。それなりの気力でto doリストは消化できたとて、一方睡眠負債はたまる。私の場合は寝不足が続くと食欲に制限が効きづらくなるため、自覚はあるのだが年々腹回りに脂肪を溜めている。長い目で見るとデメリットの方が大きいから改善したい習慣なのだが、幾つ季節を越えたとしてもこの段取りの悪さのせいで何も変わらない。

なんてことない1日にも人は暦をもってして意味を持たせようとする。多くの人にとって4月1日は新生活のスタートとなったことだろう。昨年の今頃の私はその半年ほど前から延々と続く賽の河原で石を積むような日々を送っていた。客、上司、同僚、営業と全方位に味方がいなかった。入社当初お世話になった何人かも退職、親会社に帰任するなどして、新しく入社するメンバーとは面識を持つ余裕もなく、毎日毎日を生き延びるだけで精一杯だった。その果てに去年の今頃があった。新生活に期待したキラキラした目で電車に乗る新入生、新入社員を虚ろな目で眺めていたと思うが、そもそも記憶がない。人間、辛すぎることは大して覚えていなかったりする。だからこの話はここまで。

その後私にも新生活への訪れがあり、それからももう1年が経って昔になった。新人営業マンとして1から頑張ろうと思っていたのに気付いたらマネジメントや人材育成も含めて営業活動の全てを縦横無尽に取り組んだ。おかしな話だが、自分が何をやっていたのかよくわからない時間が続いたし、当然のことながらたいした結果も出なかったが、とにかく刺激的な日々が続いている。もしかしたらそんなこともないのかもしれないけど、そういうことにしている、というかそう信じており、そうでも思わないとやっていけない気がする。繰り返し書いているかもしれないが、思い込みというのは案外大事である。信じるものこそ救われるとまでは言わないが、信じて救われるなら試しにやってみるくらいの貪欲さは成功の必須要件だと思う。

生きることについて考えること、それを文章にすることを続けるために私はこのnoteを書き始めた。週に一度は投稿することを心がけてそれなりには続いたが、ここのところ投げやりになっており、テーマも考えつかないまま、かといってツイートを引用することもないまま、なんとなく1日を過ごして気付いたら夜というのが多い。かつてあれほどまでに頭の中を埋め尽くしたなんでもいいから何かを伝えたいという気持ちが遥か彼方にあるのを冷静に眺めている。それでも日々は過ぎていくし私もどんどん年を取ってゆく。いろんなことを知る中で、多分気付かないうちにたくさんの大切なものを忘れ、失っている。思いを馳せても仕方ないけれど、この出会いと別れの季節に、そもそも人生とは出会いと別れなのだと言葉を連ねて、いろんな人のエールとして書き置くことにする。

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