見出し画像

無理していいことはない

日々の暮らしの中で僕たちは働いたり、眠ったり、ご飯を食べたり、洗濯したり、部屋を掃除して、時にはスキルアップのために勉強したり、趣味の活動のために時間を使ったりしている。総量として配分できる元々の時間は1日あたり24時間なのは揺るぎない共通ルールで、それをうまく差配することが求められる。

自分で宣言しておいてその忙しなさを書くのはとても恥ずかしいことだが、たった25日間とはいえ毎日何かしらの人に見せられるものを書いておくことは、そこそこ手のかかる営みだ。書くことに慣れてきたとはいえせいぜい1,000文字/h程度の速度が限界で、何を書こうか、どんなヘッダー画像にするのか(稲垣さんいつもありがとうございます。)、考えると1,200文字程度の短いエッセイでも1時間半程度の時間がかかる。24時間の使い方はあらかた決まっている就業中の平日に新たに1時間半を捻出することは難易度が高いことだ。

例えば、眠るだけだった通勤の地下鉄の中や昼食を食べているときなどの今までなんの気無しに過ごしていた時間をこれにあてることで今のところ安定して投稿できている。これも25日間は少なくとも走り抜けようと思うから出来ることなのであって、数か月、年単位で続けることは生活習慣自体をこれに向けて作り変える必要があるだろう。そうすると身体にもその影響があるのではないかと推察される。とにかく日常の中で書くことを見つけようとする態度でものを見ることが自然になったり、些細なこともメモをとったりすることを体が覚えるのではないかと考えている。

飯に関しても同じようなことがあると思っており、特に食は体を作る大事な要素なので、食習慣が変わることで如実に身体へ影響が出ると思う。往々にしてご飯おかわり自由の定食屋で茶碗2杯以上のおかわりをしてしまう私の腹囲は目も当てられない状態になっている。そもそも日々の食生活をあすけんに記録する段階でやれ塩分が多い、脂質が多いと言われ続けているわけだから、これが続いていていいわけがなく、当然の状態なのだ。

おそらく一朝一夕のものではないが、身体に良い影響を出すためには些細なことを少しずつ続けていくこと他ないのだろうと思う。おかわり自由の定食屋で2杯おかわりするのをやめるのはやめられないだろうから、そもそも外食を減らす努力をしてみようと思う。しかしながらこれまで自炊をできる限りしてみようと努力すればするほど結果は裏目に出ている。

簡単な話で自炊すると自分で好き勝手に飯を作るので躊躇なくあれこれ作って食べられてしまうからである。そもそも摂生して作れよと言われることは分かるものの、美味しいものを前に箸を伸ばさないのはもどかしいものがある。ただずっとこの先も美味しくご飯を食べるためなら仕方ないかなと思えられれば多少はタッパに入れて残しておくなど、自炊の方が融通は効きそうである。

何かを書いていくことも、飯を食っていくことも、出来ることなら末永く続けていきたいことだ。無理に書きだそうと時間を作ったり、美味しいからと胃袋に負担をかけるなど、無理していいことはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?