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痛ましい記憶について

カタカナ言葉は極力使わないよう心がけているなど、言葉遣いにある程度のプロトコル(早速カタカナが出てきた)を内々に持っているのだが、もはや特定分野を言及するにニュアンス上不可欠な語彙はカタカナで表記せざるを得ず、その部分を切り取って原語で記載するのはなんとなく気取った感じがして好ましくないと考える。つまるところ面構え、字面だけで別の印象を与えかねず、本来こちらの意図したことが伝わらない状態を危惧している。

その逆をいくものとしてrestracturingがあり、略してリストラなのだが、カタカナの単語としては本邦においてほぼ首切りに近い意味を持っている。そのため、本来その首切りの先にある構築の意味合いが伝わらないと考えられるため使うことを避けている。しかし、既存の仕組みを一度破壊してその上に構築をする行為自体は新陳代謝の仕組みとして一定程度必要なものであると考えられる。人間の体は古い細胞が死んであたらしい細胞が生まれることによって生命を保っているわけだし、仕事の組織も「ゼロベース」で業務のあり方を見直す行為が事業継続計画につながり緊急事態において業務遂行する段取りにもなるだろう。

前置きが果てしなく長くなったが、restructuringには意図的な破壊と再構築の他に、自然災害による破壊とその復旧によってなされる場合もある。ちょうど29年前の1月17日にあったことを一定地域または一定年代以上の人間は忘れることはないと思う。被害にあった当事者ではないし、親類が遭遇した被害はインフラの停止や家屋の破損程度のものだったが、そのとき被災地で何があったのかという体験談は毎年聞いてきた。一般的に避難訓練とは10月1日にやるものだと聞いたことがあるが、私の常識では1月17日にやるものであり、冬の寒い中で風が吹き荒ぶ校庭にしばらく立つことになった辛さと共に忘れることはないと思う。

そこで感じた辛さを思い出すたびに、被災者がどんな思いで復興の日々を待っていたのかを窺い知ることができる。私たちはたかだか避難訓練で立っていたわけだから、時間がくればストーブのある屋内に戻れるだろうが、家が倒壊したり火事にあった地区であればそんなものはないわけで、人ひしめき合いつつも空調の行き届かない避難場所の体育館で休めるなら良い方で、はぐれた家族を探して歩いたり、家の下敷きになった人を助けるために不眠不休で動き回るのも、吹きさらしの荒野の中のことだ。時間も5時46分と早朝になると、十分な支度もないまま着の身着のままもあったかもしれない。

たまたま近いところにあったことだからといって、特別心を寄せる出来事になるわけではない、同様に3月11日には津波の被害に遭われた方や原発のメルトダウンによって故郷から離れざるを得なくなった方、また今年の元旦にだって痛ましい出来事があったし、2016年の熊本、2004年の新潟、地震に留まらず近年の集中豪雨や台風の被害も深刻だったし、それらのどれかが特別心を寄せる出来事になるわけでもないのだ。出来ることなら全てに寄り添っていたいことには変わりないが、出来ることには限りがある。

1月17日になると毎度思い出す話がある。高校の古典教師がしてくれた話になる。彼は働き始めてしばらくしてから震災に遭い、教え子を1人亡くしている。安否確認のために神戸の街を原チャリで駆けまわり、その挙句悲報を聞いたときにはなんとも言えない喪失感に襲われた。彼にとってやはり被災の記憶は痛ましいものであり、辛い出来事でしかなく、出来ることなら忘れてしまいたいものだ、と。メディアが災害の記憶を風化させてはならないと唱えがちなので、真反対のことで初めて聞いたときは驚いたのだ。

確かにどのようなことがそのときに起こったのか、その記録は技術の発展の一助となるだろう。凄惨な光景が人為的努力でどうにかなるなら私たちは最大限努力すべきなのだろう。それはそれ。いつ何時どんな種類の災害が自分の身に降りかかるかは自分では決められない。出来る限りの対策をやればあとは憂いても身構えても仕方ないのではないかと思えたりする。たとえばそれよりも、被災しても立て直しやすいような仕組みを構築すること、つまりrestructuringが容易になるインフラを構築しておくことも選択肢にあるのだと思う。あらゆる災害にあった人々に対して、一刻もその凄惨な記憶が遠く過去のものとなるように、私たちには何ができるのかを考えることで被災者に寄り添っていきたい。

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