冬山 武尊山

山は若いうちでは面白くない。
基本ずっと苦しい。果てしなく苦しい。下りも苦しい。膝が壊れる。
歳をとるとは経験。色々な苦行が思い出される。
果てしなく遠い頂を稜線から見ると、到底到達しないと思う。ただ、経験が有ればわかる。自分の視野に入ったものには必ず到達する。厳密には見える以上到達する方法を考える事ができる。どんなに遠くとも、視野に入った時点で正に読んで字の如く、ゴールが見えるのだ。人は想像以上に視力を持つ。普段見えないのは、余計な装飾や邪魔や雑音が多過ぎるから。簡単に言うと、到達出来る場所というものは必ず見える。些細なトラブルでも、出口の無いような問題でも。視力を奪っているものは全てが雑音。そこに集中すれば必ず道は開けている。
目の前の壁の様な到底踏破できないと思うものでも、その先を見据えながら、足先の一歩づつに集中する。気が付けば不可能と思える壁を乗り越えている。そして折角踏破したその標高を下る。先は遠い高い頂でも、そこに到達する為に下る。
このパラドックスはまじめに生活していれば五万と当てはまる。ただ、人は勿体無いという雑音に左右され過ぎ、足を止める。登る為に下る。
株価が途轍もなくこれに近い。上がり続ける事などあり得ない。中期のムービングアベレージから乖離する上がりは必ず叩かれる。ムービングアベレージは緩やかな上昇であるなら、そこに戻りまた上昇を始める。キレットの様な凹みに揉まれて揉まれて、そしてガツンと上昇する。
降って揉まれた上昇は強烈。なかなかへたらない。
登る為には時には下る。この考え方は極めて重要。

道具は高い。機能商品は、高い。兵器に近い。高い理由は機能商品だから。デザイン性では値は付かない。100g減らす為に諭吉が飛ぶ。ケチれば死ぬ可能性もある。だから金を掛ける。登山に見返りなんてない。そこにコストをかけるのは究極の大人の嗜みの他ならない。

じゃあ何故登るのか。
一番の景色とは、様々な景色の中での1番で無ければならない。どれだけの景色を見てきた?だから大人にしかわからない。それが経験。
冬、厳冬期なら尚更。全ては白くなる。雑音としての物など何もない風景。クソも味噌も全てを白く覆い隠すのが冬。
烈風と青い空と寒さと白い雪だけの世界。宇宙は何処から?成層圏を抜けてから?1番近いのは山。もはや宇宙。宇宙に近い場所で今までの苦悩を絞り出す。

だってそんな景色見たいじゃん。理由はそれだけ。

#登山 #冬山 #トレッキング #武尊山

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