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母の奴隷解放宣言をくだせる日はいつ来るのか。
はじめまして。むいと申します。
わたしはこの4年間くらいで何度はじめての自分と会い入れたかわかりません。いつも自分に対してはじめましてという気持ちがあります。
けれど、正直なにも変わっていません。具体的な行動が変化したことはありません。
わたしは変わらない。こんなところに文章を書いて表現したところで変化をしているなら、私は遥か昔にもっと変化を持てた人間だったでしょう。結局、わたしはわたしでしかないです。
辛くなるたびにその事実だけが胸を裂くように痛くて、何度も1人で泣いて、泣いた後なにも変わらない自分に会ってきました。
最近、感情を持つことに疲れてきました。正しく悩むことができない、いつも寂しい、過去の嫌な思い出ばかり引っ張ってきて夜中に1人で泣いて、でも正しく怒りを表すこともできなくて、誰ともぶつかることもできません。
もう24歳です。もう幼少期のことを引きずってめそめそ泣いて、誰かを困らせていい歳じゃない。そう思えば思うほど、今まで感じてきた辛さだけが押し寄せて、泣くことしかできません。仕事もろくにできない。母の奴隷のような自分に、死にたくなります。
否定されずに育ったなら、わたしは今どんな日々を手に入れていたでしょう。鏡に映る自分を嫌わずに済んでいたら、嫌なことからも逃げなかったでしょうか。
誰もわたしを見てくれない。わたしは今でもそんなくだらないことに神経を燃やしてしまっています。
わたしがいつも追いかける背中は、いつもわたし以外の誰かを一生懸命応援している背中。我慢して我慢して、やっと自分の番になったのかと思ったら、わたしは見事に期待を裏切る子で、「何であんただけいつも違うのかな」って冷めた背中を向けられたあの日。
あの時からもうずっと寂しい。自分の行動そのものに名前をつけられたことはありません。全部どうでも良くなった。どうでもよくて、どうでもよくないくらい寂しくて、自分を否定し続ける毎日。
昔から口数が元々多いほうではありませんが、誰とも話せない、自分のことが話せない、なにが嬉しいのか楽しいのかわからない、寂しくて辛い気持ちだけが先行して、口を開けば泣くことしかできないのは、社会に出た時、露骨に弊害になりました。
何もかも嫌で、何もかも受け入れられなくて、全部否定し続けていたら、ある日突然、緊張の糸が切れて動けなくなりました。
その日からもう4年が経ちます。
わたしは特に変わっていません。そんなに大きく変わることも望んでないのだと思います。自分がまた元気に外に出て、楽しそうに笑っている姿を想像すると気持ち悪くなることがあります。
なにもいらないから、もう泣かなくていい、辛くない寂しくない日々がほしい。そんなことばかり考えています。
わたしはもう死にたくなるくらい辛くなることに出会いたくない。そう願うことが自分を余計苦しめていることも分かっています。
いい加減わたしがわたしを見てあげなければいけない日が来ています。辛い、苦しい、泣いて逃げ出したい。もう逃げているけれど。
わたしは母の奴隷で人生を終わりたくない。そう強く抱えていないと。
何か変わるわけではありません。これで明日すぐに何か変われるなら、わたしはとうの昔に変化できていたでしょう。ただ、誰かが読んでくれたら嬉しいなと思って書きました。書くのも楽じゃありません。気持ちの半分も文字になっていませんから。
ありがとうございました。
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