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言葉に捨てきれない、「学校」という名の「“ステージ“」への未練。


学校とはどんな場所だったでしょうか。

わたしにとって学校とは『ステージ』、いわゆる「舞台」そのものでした。

アイドルが踊るステージ、役者が立つ舞台、歌手に与えられたマイク、演説者に降り注ぐスポットライト。そういうものと同じような。あるいは違うもの。

高校を卒業して5年、わたしは未だにこの『ステージ』への未練を立ちきれないでいます。

 わたしは高校を卒業してから、働き始めましたが、働くとは相手のことを考えること。周りを気にして、自分の都合だけでは回らない世界。それはとても居心地が悪く、むず痒く、心と体が全身痒くなるような、でも痒いところには手が届かないような世界です。

そんな世界に放り込まれて、最初こそむず痒さの正体さえわからず、感じることさえなかったけれど、ふとした時にわたしにやってきました。

わたしは高校時代、とても大きな悩み事がありました。いつもそのことで悩んで、相手のことなんて考えたことがありません。相手のことを考える余裕もないから、友達も作ることができず、わたし自身で周りからどんどん1人になっていきました。

当時はそうして1人になってしまうことにも悩んでいたけれど、最近よく、この当時のことを思い返すことがあります。自分でもどうしてこんなに高校時代の記憶に未練や執着心にも似たものがあるのかと、最初はわからなかったです。というかだいぶ長い期間、この5年間で一度も分かったことがありませんでした。

 ですが、ふと、「あ、意外にあの1人になっていく感覚がわたしは好きだったんだな」。そして、「あ、あれはわたしがわたしの私欲を存分に満たせる舞台、『ステージ』だったんだな」と思い至りました。

学校って今わたし自身が思い返すと、本当に不思議な空間で、大人になって悩み事が増えていくと、その悩み事ってどんどん繋がっていきます。

人間関係から始まる悩みが、お金や、一年後の衣食住の心配になり、結婚や、老後の悩みまでに発展してしまうことが容易にあります。わたしはそうやって芋づる式に色々と引っ張り出してしまいます。この芋づる式、どうにかならんかなっていつも悩み事や不安を抱えながら頭が割れそうになります。

でも、この芋づる式な悩みって、高校時代、またはそれ以前の記憶にはあまり存在しないなって、気がついた時がありました。あったけど忘れているだけかもしれません。

高校時代、たくさんの悩み事を抱えていましたが、それは「今」その時に悩んでいることが大事で、卒業した後、未来の自分にどう作用するかなんて、考えたことはありません。特に学校という場所にいる時だけ、学校という場所にいると、その悩みを真剣に抱えることができました。

「学校とは、私欲を満たそうとやってくる場所なんだ。」

学校とは学生として登校している時は、生活を考えることなく、私欲を満たせる場所。自分の「悩み」という私欲を、私欲のために満たそうとそれだけを考え必死になるところ。

わたしにとってはそんな場所だったんだと、今になって気がついています。そして、それはとても心地が良く、忘れられない体験としてわたしの中に残りすぎています。

わたしにとって「学校」とは、『ステージ』。

わたしが演者で、わたしが観客。わたしがわたしのために演じて、わたしのために拍手をして、わたしのために涙を流す。そして、笑わせる。周りの人は観客にすらならない。


「主役」なんて言葉じゃ語れない。


 卒業して5年、わたしは働く中で見ている、社会貢献心、自分の欲を満たすために相手のことを見る、未来を感じ続ける、という負担に、いつまでも負担以外の何かを感じることができません。反抗ばかりしていて、もしくは反抗すらなく、気がつかないふりをしていることだってあります。


「学校」という眩い『“ステージ“』への未練を断ち切れないでいます。



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