思い出の味は、何もかも即効性が高かった。


今日、とあるラーメンを食べに行きました。

母と父の(主に父の)思い出の味だそうです。



あまり利用人口の多くなさそうな駅の近くにある、屈強な男性客の多いラーメン屋さんでした。店内は水色の壁紙に水色の古く使い古されたラーメン茶碗、少しガタガタした折れそうなイス。わたしの目の前には、むき出しになったレジと、蓋の閉まらない水差しがありました。


思い出の味、人が作った料理。

運ばれてきた直後のラーメンの匂いが鼻に染み付いてます。


「ラーメンとは、即効性が高いなぁ」と思いながら、帰りの車の中で思いました。すぐ眠くなります。父はしきりに「食った食った、腹一杯になってきた、ラーメンは後から来るな、あんなに味濃かったっけな、年取ったな」とうるさかったです。

誰かの思い出の味、変わらぬ味。流動性の高い今の時代に生まれたわたしは、まだ若すぎるということもありますが、なかなか思い出の味になりそうな料理というものを口にすることはありません。その都度の感動はあっても、体に匂いと思いがこべりつくような料理にまだ出逢っていません。

今は飲食業も盛んで、人気になればチェーン展開をすることも多いですね。わたしはチェーン展開していお店ばかりいきます。それしか知らないし、もともと食にこだわりや興味がないので、どんなお店でもそれなりに美味しいご飯を食べれることに感謝しています。

25年前に父が何度も食べたラーメン、それが変わらずそこにあるという事実、変わらぬ店主さん、絶えず人が入るお店、壁にかけてある時計は真新しかった気がしますが、この時計の針はそこでどれだけ時を刻んだのだろうと、ぼやぼやと思い出します。思い出すくらいですが。

なかなか、人の思いが、年数が込められた料理をまじまじと口にすることがないので、感動しました。

「父の思い出の味がする。」というのは、大きな経験であったと思います。

「ここによく座ってなぁ、お客さんとしてお世話になってたんだけど、あの店主さんがいつもラーメン食わしてくれたんだよ〜、いつも黙って大盛り出してくれるからこれが普通なのは知らなかったけど、やっぱり量が多いなぁ」

漫画に出てくるみたいな父の話を聞きながら、出てきたラーメンの匂いと麺を口にした時の一口目の旨さは、忘れても思い出せる気がします。

味濃かったし、麺は3人前くらい入ってました。途中からは食べることに精一杯で美味しいかどうかなんて考える暇もありませんでしたが、あの一口目を食べるために、「また通ってもいいなぁ。」と思いました。


「お、お前はわかってるなぁ〜」という父には、


「『うるせぇ』」と思いました。





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