1日1枚写真。(112026)


1日1枚写真。

本日はこちらです。

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海岸に1人で寂しさを紛らわしにいきました。

空がとても青くて、でもその青さの見上げても、横から必ず夕日の光が映り込むのを撮りたかった写真ですね。

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もう一枚載せときます。


朝起きて、ふと思い立って、今日行かなきゃもう当分いけない気がしたので、めっちゃ迷いましたが行ってきました。

想像してたより人がいて、結構賑やかだなぁと。

ただわたしは、道のりが慣れないものですでに疲れていたのか、海岸ではしゃぐ女の子の声に少し心がざわついてしまいました。しかし、それもこれも自然の音か。と思ったら自分が納得しました。

わたしの癒しは音なんだと最近よく思いますが、今日は人の姿に癒しをもらいました。たまたまわたしの座った視線の先の写真を撮っていたら、ちょうどいい感じに仲の良さそうな2人が映り込んできたので、撮ってしまいました。(念のため載せません)

わたしは海岸で歩く人たちの姿に今日はとても元気をもらいました。


なんとなく、海の近くって人が住んでない気がしてました。何度か行ったことはあるのに、海へ続く道って、何もない、寂しい道だった気がする。だから、行くのにとても迷いました。なんでわたしは今日そんな寂しい場所に行きたいのか?って。悩みましたが、もっと自分を孤独に閉じ込めたかったんだろうと思います。

高校3年生の時、課外授業で水族館に来たことがありました。その水族館の前には海岸があって、学年全体が解散したあと同級生とその目の前の海岸で遊んだんです。それが、今日行った場所と同じ場所なんですけど。その時、まだクラスが変わったばかりで同じクラスに親しい人もいなくて、1人で帰ろうかどうしようか、でも、ここで1人で帰るのはなんか悲しいと思っていたわたしを悟ったのでしょう、2年生の時同じクラスで同じグループにいた女の子が引っ張って仲間に入れてくれて、海岸について行ったんです。でも、その時の寂しさが忘れられなくて。わたしが仲間に入れてもらったグループは元々クラスとかそういうの関係なく仲良かった子達だったので、話したことは何度かあったけど、みんながわたしに気を遣って、やりづらそうにしていたのを覚えています。でも、そんな雰囲気を出していたのは多分わたしが1番でした。なかなかみんなの輪の中に入らなくて、でもだからといって帰ることもできなくて、ただ、海岸に座り込んで、みんなを困らせて、勝手に寂しくなっていたのをよく覚えています。誰もいないな。と。

そんな懐しい寂しさに、本当は今の自分を会わせたかったのでしょう。そしてその孤独に今の自分を押し込めて、お前は可哀想だと自分を慰めてやりたかったのです。

でも、海岸が近づく電車に乗っていても、線路の脇には沢山の家、街を歩く沢山の人。海辺の海岸を散歩するおばあちゃん、サーフィンを楽しむ親子、写真を撮るひとりの少年、わたしは海に近づけば近づくほど、1人になる気がしていたのに、あの時は見えなかった、『誰かがいる』ということにとても安心しました。そのおかげで、過去の自分の間違いを慰めるなんて意味がないし、そんなこと本当はしたくない、ってちゃんと自分と話をすることができました。


ふと思い立って、電車に揺られながら行きましたが、こういうのって、目的地に『会いたい人』がいたらもっとワクワクして楽しいのだろうなと、1人寂しくもあり、なんだか恥ずかしくて、思わず電車の外に視線を逸らしてしまいました。

わたしは紛れもなく寂しさを紛らわせるために自然に会いに行ったのですけどね。自然も、海の音も、そこにいてくれました。わたしは自分の愚かさに酔いしれてしまうことがあります。ただ、わたしをその場にとどめてくれた今日の海岸にはとても感謝をしています。こんなに優しい気持ちになれた日は久々でした。そして、あの頃の友人にはじめて『ごめんね』と言えました。許してくれるか、そもそも相手が覚えているか、わかりません。ただ、ずっと人のせいにしてきた自分から少しはまた進めているといいです。進んでなきゃいけないんですけど。


それではまた明日。


(ちなみに、今日初めて手ぶらで遠出しました。鞄を持たずに。お財布と携帯だけポッケにつっこんで。家出た時の開放感が感じたことのないものでした。これからも有名テーマパークぐらいは手ぶらでいけそうです。)



追記

海って音楽が似合いますね。でも、音楽聞いてると波の音が聞こえなくて、波の音が聞きたいと音楽が聞こえなくて。

ここ数ヶ月、内田雄馬さんの曲が好きで良く聞いてますが、どっちを聴こうかとても葛藤しました...苦笑


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