"『而二不二』ではないもの" ~やが君①~

『皆が持っているバッグだから、欲しいに決まっている。』
『皆が持っていないバッグだから、欲しいに決まっている。』

あの男には、そんな当たり前のことがどうしてわからないのか。
(『対岸の彼女』角田 光代 著 より一部抜粋 )

「やがて君になる(仲谷 鳰)」はとても小さな作品である。
そして、大いなる佳作である。

高校の、入学から初秋にかけての数ヶ月。
それは恐らく、人生において最も濃密な"数ヶ月"。

この作品は『而二不二(ニニフニ=両価性=ambivalence)』に溢れている。
好敵と親友、償いと囚われ、依存と信頼、"紫陽花"の花の色、キスするものとされるもの。あらゆるものの、ひとつでふたつ、ふたつでひとつ。

わたしの中で『大いなる佳作』と呼ぶ作品群がある。コンテンツの物理的なボリュームというより(それもある)、売れたか売れないかという"外部的なもの"によるところが大きい。無論、作家さんに個々の作品に対する貴賤はなく(愛情の多寡はある"はず")、いち消費者が不肖を承知で言っているに過ぎない。要は、もっと売れても(=知られても)いいのに、という想いの詰まった、オールジャンルの"玉手箱"である。

ヒロインのひとり「七海燈子」は"spec(=仕様書)"に還元される。そして彼女自身、新たに書き込む『"status"(=文脈フリーな"肩書き")』を求めにいく。しかしそれは、"能力に裏打ちされる挑戦"とは少し違う。むしろ"挑戦することで能力を確認する"という「止まれない回遊魚」のような存在として描かれている。名前にある「燈」の字は訓読みで"ともしび"。星の瞬き、灯台の明滅、そして『"St. Elmo's Fire"』の換喩を見て取れる。(=『友人』の台詞より)

もう一人のヒロイン「小糸 侑」は"spec"に還元されない。そして自らの意志で新たなる『"status"』を求めにいかない。言わば「"spec(=仕様書)"じゃない方」を体現する表象になっている(=作中にて反復的に言及される)。名前の「侑」には、訓読みで"ゆるす" "むくいる" "たすける"等の送り方がある

*          *

初夏になると繁華街の片隅に、「七夕」に向けた飾りつけが設置される。見てはいけないと思いつつ、"一枚だけ"と、願い事の書かれた短冊を見る。余りにも個人的な内容か、ありふれた凡庸か、或いは"そのどちら"でもない。先取りする地平に、現れた願いは『好きな人が出来ますように』だった。

ここから先は

3,122字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?