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2019.4.9 ドイツワーホリ振り返り日記

地獄の午前が再び始まった。

相変わらず、先生の話していることがわからない。クラスメイトも何を話しているかわからない。そんな中、グループワークをさせられる。

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文の書かれた紙を会話が成り立つように並べるというもの。これならできる!聞き取れないし話せないけど文字が書いてあると読める!拙いドイツ語で、"Ich denke....(と思う)" "Ja(うん)"と、いくつかの言葉でなんとかグループワークに溶け込めた。隣に座っていたイタリア人は本当にイタリア人らしい人で、適当で陽気でお調子者で、だけれどそれが私の心の助けになった。  

途中の休憩では、みんなでお菓子を食べた。


昼からは、唯一のワーキングホリデー友達とカフェへ。(なぜかワーホリ友達はできず、音楽家の学生の友達が多くなってしまうのだった。)

プレンツラウアーベルクはおしゃれな地域と噂だったので、ぶらぶらと散歩。よさそうなお店がたくさんある!

友達が調べてくれた、No Fire No Gloryというカフェに入ることにした。


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おしゃれなカフェだった。コーヒーを頼んだが、入れ物がまたおしゃれ。3.5€。初めて会った友達なので、お互いのことを話しあった。日本語を話せるのが嬉しかった。

夕方、スカイプでデュッセルドルフのラーメン屋アルバイトの担当者と面談を行った。

当時住んでいた家は学校との契約で、3週間のコースを申し込むと3週間しか住めないことになっていた。そのため家を探さなければならない。ベルリンは、本当に家がない。家がなさ過ぎて今でもどんどん増築している。家賃もどんどん値上がりしている。ドイツ語や英語を話せればまだチャンスはあるが、日本語しか話せないとなると、日本人の掲示板を探すしかない。それもベルリンの日本人が集中して応募するので、激戦をくぐり抜けないといけない。そして割高。寂しさや焦りが募り、前夜にデュッセルドルフのラーメン屋さんのアルバイトに応募したのだった。デュッセルドルフは、日本人がたくさん住んでいる街で、ほぼ”日本”らしい。ベルリンに着いたばかりにも関わらず、寂しすぎて日本人がとても恋しかったのだ。

意外なことに担当者は、デュッセルドルフには来ない方がいいとアドバイスをくれた。ドイツに来たばかりで、ドイツ語を勉強していきたい、と話すと、「デュッセルドルフは日本語だけでも暮らしていける。語学を勉強するにはあまり向いていない。まだ来たばかりで慣れないかもしれないが、3週間後には気持ちがかわっているかもしれない。ベルリンを離れたくないと思うかもしれない。私はただ人を雇いたいのではなく、本当にいい経験にしてほしいと思っている。他にもいろんな選択肢があるし、急いで決めなくていいのではないか。また悩みや相談があったらいつでも相談してください。」と。

この言葉にとても救われた。もう少しベルリンでがんばろう、と思えた。


後にベルリンがとても気に入った。




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