想像力(ヴィジュアライゼーション)&実現化(リアライゼーション)~あなたは白昼夢を観ているか?
小さい頃から白昼夢をよく観ていた。
最近それは一種の 幼児期のトラウマ体験や愛着障害という生活環境からくる脳に受けたダメージが影響していることもあると知ったが、もともと個人の持つ脳の特性かもしれない。
人生20歳になるまで、薄いベールが被ったような靄がかかっているような視界で、外界と自分との隔たりを感じていた。
閃きというものが起きた時は大抵、それは未来に関するヴィジョンだった。
小さい頃、アメリカのSFドラマが好きだった我が家はスタートレックや宇宙空母ギャラクティカなどは、9歳離れていた兄がいたせいかよく観ていたか。家には鉄腕アトムもあったし、火の鳥もあったし、未来を想像させるものが沢山あったからなのか「ワープ」だとか、「瞬間移動」なども科学的に普通に受け入れていた。ウルトラマンセブンの通信機器は腕時計型ミニTV電話だったし、その当時の子どもたちは UFO好きだった。
いたって、目だったところもなく、ただ我が家の特質はそれ以上に見えない物「言霊」「霊魂」「スピリッツ」「精霊」「神」なども結構普通に家の中で、当たり前だった。
曾祖母は、小さい頃から幽体離脱(当時本人は解らなかったらしいが)ができたと聞いている。
ある日、高熱を出して寝ていると 夢なのか幻影のようなものを観た。
起きだしてきて「近所のおばちゃんが 赤いものを持って 自分のうちに来る」と親に伝えると、その夕方、苺を持ってきてたという話や、私の母が子どもの時に、祖母が起きだしてきて「〇〇が死んだじゃ」といったという。その3日後に訃報の電報が来たという。
白昼夢とは無意識の領域。
モンキーマインドしているうちに、体は起きているのだけど夢を見始める。
その時に、自分の想像を超えたヴィジョンが現れていく。忘れられないはっきりとした映像がこびり付く。
今、脳科学や脳神経科学の研究が目覚ましく進化し、脳の仕組みが理解されはじめて久しい。 記憶力アップやイノベイティブ発想(閃き)は 「ぼーっ」している時間が必要だという。瞑想は強制的にそのステージにもっていくテクニックだが、海を観たり、空を観たり、なんとなく漫画を読んだり、ごろごろしたりという時間の中で、モンキーマインドが始まり、いつの間にかにその空間に入り込りこむこともある。
至福の体験
デジャヴというのは、何か体験し「これって体験したことある」「観たことある」という 過去の経験を振り返って脳みそが反応することだが、それも非常に面白い。
また、シンクロニシティといわれる共時性やセレンディピティの偶然性などに意味を持たせ、あまりにも 直接的な関連が観られない出来事が続くと、それも興奮する。
その二つが、頻繁に起きる時は 脳が平時の時よりも何らかなタイミングで波動が起きていて、受信アンテナが広がっていたり、出逢いが多かったりといろいろな情報が無差別に引っかかってきている時であるから、もちろん人生の転換期が来ることも多い。
デジャヴ、シンクロニシティ、セレンディピティは楽しい。しかしそれ以上に至福を感じられることが ヴィジュアライゼーション&リアライゼーションだ思う。
人生とは、予測不可能ではなく、以前書いたように、ターゲット思考で行くか、選択思考で行くかというある程度 未来設定や未来選択による不運の回避ということが可能である。
ただ、この白昼夢によるヴィジュアライゼーションは少し違う。ここでいうヴィジュアライゼーションはまず脳内の鮮明な映像。この時点で、すでにリアライゼーションが可能なることを意味している。
ターゲット思考となんら変わり映えのないが、ビル・ゲイツ氏が使うターゲット思考は、彼自身が観た世界に彼は飛び込み、自分が導くように誘導していく羊飼いのように道を進む。
単なる偶然のヴィジュアライゼーションには、知識も何もいらない。自分の気になっていること、幼いころの経験や願望からくるものが映像となって動き出す。そして、いつの間にか自分が日々問い続けている「何か」の答えとして現れる。 まったくそこへたどり着く道も判らない。想像した世界は羊飼いの選択した道をいけばよいというものではない。
私が体験した至福の想像と現実化
子どもが生まれて、歩き出し、とにかく真っ直ぐに真っ直ぐにどこまでも歩いて行ってしまう息子のために広い公園が欲しかった。
私が子どもの頃、海岸線に馬が歩いていた。
大規模な住宅開発が始まるまえ、畜産牧場と乗馬クラブがあった。
それが牛や馬の群れが住宅地と車に替わり、人が増えたけれど空間が狭くなった。
地域の変貌を自分の成長に合わせて、慣れてしまい、過去の自分のことなど気にもしなかったが、自分の生まれ育ったところへ、自分の子どもと戻ってきたときに、物足りなさを感じた。
街の中心は観光客で潤っていたが、外郭の住宅地がひしめき合うエリアは高齢化と擦れた子どもたちが目立っていた。小中学校も荒れていた時期だった。自分の子どもを育てる環境としては満足していなかった。
まちづくりも高齢化していたので、自分たちのニーズに合ったものを要求する。そこには子どもの居場所はなかった。
私は大きな公園を作ることを提案したが、行政は「この土地は民間の地権者も含まれているため、合意を得にくい。」と言われた。13年前、確かに【公園】という名前のついたところで楽しいところはなかった。(知らなかったのが当時は公園法が変更される前だったので、非常に使い勝手の悪い空き地であって、ボール遊びなどの禁止事項も増えて 子どもたちで遊ぶ姿も少なかった)。また、行政から「公園は経済的に負の遺産」と言わんばかりに「理想は解ります。行政が言うのもなんですが、もう少し商業性についても考えていただかないと」と言われたことがショックだった。
インバウンドしかないのだ。。。
思いつくが、素人だから、法律の制限なんて関係ない。
息子は発達障害を持っているのではないかと不安に思っていた時期でもあったから、子どもにとっていかに 広い空間が必要かを考えていた。
インターネットで世界の緑化の動きや持続可能な街づくりなどの調べまくった。資料にまとめて、提出したがすべて闇に葬られた。
そんな行き詰まりの時、ヴィジュアライゼーションは突然起きた。
モンキーマインドから白昼夢が始まったかとき、またそのステージに辿り着いた。 向こうに富士山が見える風景で広大なその開発予定地が見えた。そして そこに 一頭の黒い馬が走っていた。
そして言葉で脳みそが理解した。「そうだ、私が子どもの時に観た馬。この街は古くから武士の街で、日本中から名馬が集まる場所だった。ここに馬がいたら、この土地は変わる。馬と共存できる土地の広さがあれば、子どもたちにとって幸せな場所になる」と。
私は羊飼いではない。ただ、強いヴィジョンが現実になると幸せになる人がいることが解っていた。
そして、その幸せになる人は自分だったということを13年後知ることになった。私がヴィジョンで観た通りの風景ではないけれど、その場所に馬が帰ってきた。
流鏑馬の常設馬場という形で現実化した(今のところ3年間の期間限定だが)
気分障害のせいでハイになりすぎて
主治医が心配して「瞑想してますか」と聞いてきた。
至福体験に伴う多幸感は満月もあって、非常に敏感になっていた。
危険信号が自分の中でも点滅していた。
そんな時、時間と人とのご縁が綺麗に結われている時は全てが調う。
その夜、たまたま事前に予約していた音瞑想が私のハイを開放してくれた。
そして、満月の下、全てが至福の体験になった。
楽しいけれど 危険な経験。
ウペカに戻るのが難しくなる。
またウペカ(平穏=Equanimity)だと思い込んで、ウペカではないのが判らなくなって、涅槃と勘違いする人もいるのが判る。そのままでいたら廃人だろう思うほどのハイになる。
躁鬱は 鬱の前に多幸感を得てた後に、谷底に落とされる。そうならないように瞑想を続けている。それでも人体の不思議が起こる。
至福体験というを体験しやすい体質だといわれたら仕方がない。
しかし、多くの人も同じ体験をすることができる。
瞑想状態になれる「ぼーっ」とする時間と、一点集中に考える。そしてリラックスした状態でブレインストーミングがはじまり、いかなる否定的な制限も掛けずに白昼夢をみつづける。そして、ヴィジョンの細部まで言葉にして人に伝える。何度も何度もそれが反復して思い出されてきたら、自分の行動が変わってくる。そしていつしか、現実化していることに気がつく。
そこで、最初のヴィジョンを思い出した時、ヴィジョンと現実の差異を観るのではなく、現実になったことを、何年も前に自分がヴィジョンを観ていたことを素直に喜べたなら、そこから至福のステージに上がれる。
自分がその羊飼いになろうが羊になろうが、ただの傍観者であろうが、現実が正しく見れたら、至福に感じられるだろう。
白昼夢
それは人間に与えられた最高のクリエイティブな能力であり、神の意志と同調した波動の瞬間閃きが生まれる 磁場なのだ。
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