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身の丈瞑想がベスト:人間得手不得手、アンバランスがある

まさか私に瞑想指導者という道があるとは思ってもいませんでした。もちろん、今でも肩書に見合った技術を完全にマスターしたわけでなく、これからは只管自修練あるのみです。

お釈迦様は29歳で出家して35歳で悟りを開いて45年間姿を見せて教え、説いて教え、黙って教えを繰り返し生涯を閉じていきました。

お釈迦様と私は月とスッポン。「比べる事自体が違うだろ?」と言われますが、ゴータマ・ブッダは超人です。生まれてから出家する間も次期王としてやることはやったわけですから、今から同じような経験をしようとしたら心も体も壊れてしまうでしょう。やる気だけでできることではありません。

インドの王子様であったため、ありとあらゆる贅沢を与えられ、早くから酒池肉林の生活と、次期王となるべく用意された文武両道の才を持ち合わせ、若くして妻を娶った将来有望なシッダールタであっても、決して病・老・死の恐れから逃れることができず、「苦しみを取り除くためにはどうしたらよいか?」という幸福哲学の一歩を出家という形で歩み始めた結果、2600年経った現在でもその教えを心の支えとして生きる人に求められてる「道」をつくりました。

 ゴータマ・シッダールタは屈強な精神と体を兼ね備えていたものですから、どんなヨーガの修行をしようとも、どんな師と出会って瞑想をマスターしようとも「悟れない(判らない)」と自分を追い込み、どんどん悩み苦行に身をさらすことになってしまいました。命を落としてもおかしくないような過酷な修行を続けたお姿は仏像の姿で表現されています。
釈迦苦行像(ラホール博物館蔵)

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でも、そんなスーパーマンでも、体力の限界によって悟る前に命尽きそうになった時が来たのです。 そこで登場したのが村の女性スジャータ。スジャータは、弱っているシッダールタにミルク粥を食べさせ療養させてあげました。

そこで、シッダールタの大きな気づきがあったのでしょう。

「過度な苦行ではたどり着けない」

一つは「助けたい」というスジャータの優しさへの気づき、次に心まで温まる食事の有り難さ、そして睡眠の回復力、そして自らも宇宙の一部として、全ての生命体と非生命体のハーモニー。それらの重要性に気づいたことでしょう(Sati)

昨今欧米や日本ででブームになっているとは露知らず、「猫も杓子も瞑想瞑想と言ってるな」くらいの流れで、私が出会ったのがシッタールダが「悟り」を開いた時の瞑想法といわれている「ヴィパッサナー瞑想法」です。(6世紀の仏教が貿易と共に各地へ広がってきた時に作られた説あり)

私とシッダールタは何をとっても同じ作りの人間ではありませんし、あんな根性があるわけではありません。しかし、「誰でも根っこは繋がっていて、例え皆違って見えたとしても、判ってくれる人はいるはずだ。助けを求める人を救いたい。」梵天様に懇願されて涅槃から帰ってきたという「梵天勧請」の話になりますが、耳を傾けてくれる人へ、自らを如来と名乗り、誰でも涅槃へ到達(知ることが)できる一番簡単(仏陀はそう考えた方法)で実用的な瞑想をステップバイステップに教えたものだ、ということを実感しています。

ヴィパッサナ―瞑想は、目的を明確にすること、アナパナサティ(ゴエンカ流:数息観)で心と体を調えることから始まり、地図ナビのアプリのごとくにシンプルに段階を追って実践できる方法になっています。

いろいろと試したシッダールタが「これが一番早い」と思ったのであって、すでに死や病気、老化などへの恐怖や苦しみを乗り越えた独自の方法を用いて涅槃を見つけた人にとっては、「いやいや、自分のが一番早くて確実」という道を知っているかもしれません。それで良いのだと思います。仏陀は真実は一つ、ただそこへたどり着く道は8万4千通りという話は有名ですね。

無理のない自分に合った瞑想法を見つけて、多くの方々が、ひょいと人生の荒波でも乗りこなせたら良いなと思っています。

集中的ヴィパッサナー瞑想指導者研修を受けたきっかけと受講中と終了後に起きたこと

話しは前後しますが、私がここにたどり着くきっかけは30年前も昔のことです。振り返れば、相当昔のことですが、想えばまさに今でも味わえる不思議な体験から始まりました。

当時、20歳、初めての彼氏ができて、好きすぎて悩んだ私は、心理学・哲学・宗教からその悩みについての答えを探しはじめたのです。

「私はこんなに愛しているのに」という切実な恋心になぜ、同じように応えてをくれないかと、本屋にいったり、電車の中で知り合った修道女に「なぜ貴女は修道女になったのですか?」と尋ねてみたり。。今思えば【青い果実そのものw】恥ずかしい限りですが、真剣でした。

それが、ある日突然、「あれ?私は彼から愛されなかったら彼を愛さないのか?」という自問に替わったとたん「愛とは何ぞや??」という摩訶不思議な問いにすり替わってしまいました。そして、その時が、前触れなしに、それも専門学校の授業中に突然訪れました。

先生のお話の内容に、私の脳がいつもと違う反応を起し、未知への扉が開いたその瞬間にナチュラルトリップに突入してしまいました。

トリップは言葉にすると長いので中略させていただきますが、最後は今だから言葉で表現できる「涅槃体験」でした。正しい問いは未知への扉の鍵だったという感覚が今でもはっきり感じられます。

涅槃疑似体験で「愛」の正体を知った私は、すぐに涅槃のある場所から帰ってきたのには、理由がありました。「人間はこの不便な体があるからこそ「喜怒哀楽」が感じられる。生きているからそれを堪能できる。このままこれに溶け込んでしまったら、自分が無くなっていく~!!」というなぜか危機感?というか、「肉体の生への執着」が生まれ、「帰ろう!」と思った時に、正気に戻ったことをはっきり覚えています。(当時は全く仏教に興味がなかったので、涅槃って黄泉の国?ぐらいの認識でしたので涅槃とは解りませんでした)。

我に返った時、まだ授業中でした。最初に机を見ている自分に気が付きました、そしてファーっと先生の声が入ってきました。

何?何?何が起きた??

と先生を見ると話は続いていますが、あれ?あれ?と混乱しているうちに授業は終わり、がやがやと教室が騒がしく生徒が移動し始めました。教室内を見渡すと視野はオレンジ色系のライトが当てられてるように発色していました。

隣に座っている友人に「私、寝てた?」って聞いたぐらいそこに座っていた記憶がありません。何分間その体験をしていたのか全くわかりません。例えるならカールセーガン原作「コンタクト」をご覧になった方なら、あんな感じというのが判ってくださるともいますが、あんな感じです。あの映画を観て、感動のあまり涙が止まらなかったのです。「私だけじゃないんだ同じビジョンを観たことのある人」と思いました。

また、ジェラシックパークを書いたマイケル・クライトン氏も涅槃の光を観た一人です。日本で講演会があったとき、直接「あなたは光を観たのですか?」と質問したら「・・・Maybe」と笑顔で答えてくれました。そのヒントになったのが 映画にもなった「スフィア」です。原作本しか読んでいませんが、こんな感じ、あんな感じでビジョンを共有していただければ嬉しいです。

「めちゃくちゃ面白い体験した!」と思ったのですが、頭の中で、どうやってそれを人に説明したらよい判らず。。。その不思議な体験を利用する方法が思いつかず。。結局は、判ってくれそうな人にしか話をしないという30年間でした。そのものに意味を持たせなかったため、修行をするとかスピ系のグループに入るということもなく、ありきたりの世俗的経験を重ね、「私」という不器用な「体」と付き合い、数々の出逢いと別れ重ね、結婚し、子育てをするというのらりくらりとした、特別な華々しい人生や「勝ち組」「セレブ」からは程遠い生き方してきました。

私の中で、30年前に起きた突然の未知との遭遇体験が、何に役に立つことあるのか?、とずっと疑問を持ち続けてきたことは間違いありません。それを人へ話しても「不思議体験」という括りで終わってしまって、たいしたことない事のように思えてしかたありませんでした。みんなすでに知っているのかもしれないし、または、タイミングがきたら知ることなるだろうから、私が映画のクライマックスを映画観る前に話してしまったらそれは面白くないだろうし、正直あんまり所謂「至福体験」とは違ったな、と考えたり。。

反対に、子どもの頃から霊感があったとか感受性が強かった、という方とも多く出会いました。その能力を生かしてビジネスにつなげたり世の中はスピリチュアル系や幸せになる方法など、多くの人が何か悟りという水を得た魚のように活躍する場面を見ることが増え、生活の糧に変えられる人たちを、「なんか違うんだよな」とか思いながら少し妬む気持ちを持ってたのかもしれません。

次第にその体験は、きっと私だけじゃなく多くの人が体験しているのではないかと次第に思うようになりました。それはスティーブ・ジョブス氏が瞑想を人生の糧にしていたということから座禅が注目され、今は「マインドフルネス」という科学的に証明されているストレス軽減法やうつ症状を改善する認知療法などが開発されているということを知ったのが前に進むきっかけだったように思います。。

ただ、インターネットに情報が乱立し、どれも「幸せになれる!」という謳い文句に聞こえていましたが、私の光(涅槃)体験は、「幸せになれる」という言葉には合わなかったのです。私の生活の幸せになれる。のではなく、「喜怒哀楽を感じられることが幸せ」というありきたりのものだったのです。そんなことを人に説明しても「そんなの当たり前だ」だな、と完結してきました。

そして、8年前東日本大震災の後に、鎌倉の浄智寺さんで座禅と出会いました。そこで再び、30年前にアメリカ短大の単位でとったクラスで学んだ「呼吸法」を思い出させてくださったことがきっかけになり、仏教が少しずつ私の思考の中に入ってきたのですが、それが、歳を重ねるごとに 仏教から仏道、そしてお釈迦様その人へ興味が深まっていきました。

そんな中、新型コロナでダイヤモンドプリンセス号内での隔離生活のニュースを観た時です。多くの方が見守る中、恐怖とやり場のない不安に順応しようと努力されている方々のニュースを見るたび、こういう時に「瞑想」が役に立つのだろうな、と強く感じました。

タイで少年たちが引率の先生と洞窟に閉じ込められてしまった事故のとき10日間、暗闇の中で彼らが乗り越えてきたのは、瞑想だったということが大きく取り上げられたことを思い出したからです。

そして、呼吸法は知っていても、私にはそれ以上に順序だてて伝える術も資格もないという挫折感に気づき、どんなに「無償の愛」を知っていても、どんなに全ての苦が滅する「涅槃」を観じることができても、自分の無力さにいままで自分が何も努力もしてこなかったことを気づかされました。

それをきっかけに、どのようにしたら人に伝えられるようになるのか、と考えながら、コロナ渦を過ごしていた時、偶然100円ショップで売っていた般若心経の写経練習用紙をセットを見つけて買ったところから、事が転がり始めました。

写経しながら、昨年からずっと気になっていたユヴァン・ハラリ氏のサピエンス全史をオーディオブックで聞きながら何日も過ごしていると、彼が非常に仏教に傾倒していることがうかがえたので、そのことを友人に話すとNHKの特番が面白かったよと教えてくました。

タイミングよくハラリ氏のインタビュー番組を録画して再放送を見ることができました。すると、ハラリ氏の瞑想をやっていることが番組の中で取り上げられていたので、「流行りに乗ってるな」ぐらいのものでしたが、別のハラリ氏のインタビュー番組では、彼の書斎に「佛心」という掛け軸がかかっているのを見て、驚きました。私の直観は間違えていなかったんだ。と確信が持て、Wikipediaでハラリ氏を調べたところ、「ヴィパッサナ―瞑想」という名称に出会ったのでした。

マインドフルネスもインストラクター資格という制度をとっていたので、それも一つの選択しではあったのですが、お釈迦様が伝えた瞑想となれば、素直にそちらを学んでみたくなりました。どこで学べるのかと探してみたら日本ではテーラワーダ仏教を広めている協会がまず検索で出てきました。 すると、子どもが視ていたテレビ番組「やりすぎ都市伝説」で、関さんが「とうとうインドに来ました!!!」という特集をやっていて、何気なく見ていると「リシケシ」という地名が耳に残りました。大抵名称や人の名前も覚えることが苦手な私ですが、とても気になったので番組のHPから検索したところ、ヨガの聖地としてとても有名で、そちらでヨガや瞑想を教えてるということを知りました。

受講最終日、私は先生に仏陀が伝える「涅槃(ニルバーナ)とは?」を確認することができ、ヴィパッサナ―瞑想で進む段階において最終地点が30年前に私が体験したものであったと確信することができました。ずっと自分では信じていたにも関わらず、どこか勇気がなかった私ですが、やっと「はい、正解です」と言ってもらった気分でした。嬉しかったです。

ただし、研修の最中から、体の異変が起きはじめました。最初は何もわからないまま不安がたまり、必死で復習する日々。山場を越えるとフワフワとした感覚で自信に満ち溢れ、もしかして私また行けちゃう?w という調子でしたが、その後もヴィパッサナ―瞑想に入るための段階を繰り返し練習しながら日常に戻っていくと、非常に眠りが浅くなっていくのに気が付きました。神経が過敏になってしまっているのか、いたって元気なのですが、眠くならなない。眠っても2~3時間ぐらいで目が覚めてしまうことが続きました。

そして、その目覚める時は、夢を見ていることもはっきりわかるのですが、「あ、夢だった」と微かに覚めるその狭間、傍に誰かが立ってたり、脇を通り過ぎていく感覚を覚えて目が覚ましてぞっとするのです。毎回違うのですが、ある早朝「どう?うまくいってる?」という声が耳元で聞こえました。誰もいない寝室で。電気をつけて寝たり、そのまま布団を頭からかけて呼吸法と第3の目といわれるチャクラに集中しながら二度寝する日が続きました。

最後の体験は、寝ている間も呼吸に意識を向けたまま寝ていたせいなのでしょう。 誰かが顔を近づけてきて私の半開きの口の中に息を吹き込んでいる音と口の中の感覚に驚き、目も開けられず、思い切って布団をかぶり隠れました。

数日経ってそこから抜けましたが、今は突然食欲が失せてしまいました。瞑想が面白いからとやりすぎたことで、脳が活性化しすぎたのか、体とのバランスが逆に崩れたのかもしれないと感じられるようになりました。

私が、身の丈瞑想をお勧めする理由はここにあります

ご自身の体調、精神状態を知ることが瞑想の基本です。
現状の体とメンタルなコンディションを知らずに体と心の経験知にそぐわない瞑想を行えば、良薬にはならないのだと気づくことができました。まず、呼吸が正しく行えるか、睡眠は適正か。 自分の体の不具合を知り、良い塩梅に動かし、深い呼吸ができるようにする体のメンテナンスは深い瞑想に入るために重要です。もちろん逆に 睡眠を深くするためにリラクゼーションを目的とする瞑想法もあります。ヨガと瞑想は両輪です。

これまでの30年間、知らず知らず、 調子のよい時だけ呼吸法でダイエットしたり、仕事などもうまく回してきましたが、特に体を鍛えることはしてきませんでした。あえて言えば気功の基本をやる程度でした。まして、最近は在宅勤務という大義名分で下半身を鍛えることは疎かにしていました。

身の丈以上の瞑想技術を習得したことにより、まさかここまでの影響があるとは驚きました。禅病ならぬ瞑想病だと思います。

怖い怖いと思えば思うほど信じたくないと思ったり、自分の感覚を疑ったすれば疑心暗鬼で見えないモノへの恐怖感を勝手に増幅させ、意識の活動が潜在意識にいろいろなメッセージを送り込み、想像力が暴走し、体の変調が起きることも体験しました。

まさに「心無罣礙 無罣礙故無有恐怖一切顛倒夢想 究竟涅槃 (般若心経)」の境地至るために、体と心(脳)の一致がとても大切です。

普通の生活をして、普通に瞑想をしてるだけで精神的に「愛に満たされた!」と言える人の多くは、日常キチンと体を動かし、生活もとても健康的なのかもしれないですね。

生活を整えることは、自分の体を整えることに繋がり、それは心と精神のバランスも調うということになると身に染みています。今までは思いついた時だけやってきたという片手間で、不思議体験の追体験をする程度でしたが、これからは、自分で望んで瞑想指導者という肩書を手にすることになったのですから、24時間365日瞑想三昧を維持できるところまで一歩一歩歩みを進むことになりました。

肩書と見合うだけの完成した技術はありませんし、頭でっかちのままも変わりません。 ヴィパッサナ―瞑想指導者になると、学んだことを人と分かち合うという使命があります。完璧なグルではありません。一人の実践者として残りの人生30年が私の道なのだな受け入れることができました。

最後の瞬間のための準備を丁寧にクリアしていくことで、バランスのとれた人間になれるのだと感じます。でも、命の灯はいつ消えるかわかりません。今日が最後の日だと思って生きなさいということなのだと思います。

私は修験道のようなハードな修行法は選べません。 皆さまも、各々の目的に合った、体と心のバランスが調う生き方・瞑想法と出会えることを心からお祈り申し上げます。

生きてる間に誰かのお役に立てることがあれば、嬉しいです。今後、妊婦さんご夫婦と乳幼児親子レッスンの企画を考えています。レッスン方式はネットまたは、鎌倉の某所での対面式で行う予定です。ご希望があれば出張も承ります。初心者~中級レベルの方と瞑想について対話しながらの練習が一緒に出来ます。 基本は 一対一でのセッションが望ましいと考えております。ご興味のある方はご連絡ください。djubee.dream@gmail.com 

長い長いお話になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
世界中で、ほっとできる時間が広がることを祈ります。 Shanti 

天野 sagjo

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