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新年~瞑想~写経~全ての始めを考えてる

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

驚くほどの政治家の「想定外」的な発想で、爆発的な感染拡大が起きておりいますが、仕方がありません。英国版Gotoイートで感染拡大のニュースを見ておりましたし、夏休みの移動で感染増加しているフランスやカリフォルニア州のニュースも日々見てきたのに、今、緊急事態宣言の時に総理大臣が「感染の波、想像超え厳しい」と記者会見で発言していましたが、いったいどんな想像をしていたのでしょうか。。。

菅総理と私とでは年齢差は20歳ぐらい離れているのですが、戦争を知らない世代であり、朝鮮戦争需要で経済成長へ向かった世代ですから、バブルの時代もどっぷりと楽しんだ年代ですね。

残念ながら想像力が欠落した世代なのかもしれません。

宗教もお金の集まる「最高です!」と叫んでみたり「壺」が先祖供養になるとか。笑ってはいけませんが、いったい彼らには哲学という世界はないのか、と聞きたいものです。 自由経済と物欲と権力以外に幸福論を語れなかったのかもしれません。

さて、そんな政治家の批判ととられかねないことを書こうと思ったのではなく、彼らの欠落した想像力というもので、全くお金にもなりませんし、腹の足しにもなりませんが、とにかく、自分の世界観を改めて正してくれる「すべての始まり」について思いを巡らし、今往きついたところまで書き記したいと思います。

呼吸に集中しウペカを体感し、そこから再びアカシックレコードを手繰り寄せ、知覚できる形でインナージャーニーをします。

アリストテレスの「円運動」と仏教の「始まりもなければ終わりもない」が現れました。そして、そこで日本語でどのように表現できるかと思った時に、現れた「やまとことば」 永く使われてきたことばがありました。

さて、その3つを合わせて、アカシックレコードに尋ねます。
「すべての始まりはどんな?」と

宇宙にはパラレル宇宙や、多次元宇宙など、鏡宇宙含め沢山の論説があります。私は数学的には証明はできないのですが、どれもこれも人間の想像できるものは似たり寄ったり存在すると思いました。

ここで問題になるのは「存在」です「有無」という言葉がありますが、物質世界では「無」からは何も生まれないということ。無というものは存在しえないということを理解した上で、私たちが目に見えることのできないことが起きたことによってこの宇宙があるのだと考えました。

今、途中までです。なので、この先、きっと言葉の表現も変わってくると思いますから、伝わり方も違ってくると思いますが、今、自分の中で腑に落ちていることは、すべては 「と」から始まったということです。

「と」とは扉の「と」「戸」「止」です

そこでまず「き」が生まれた、そこで「とき」となり、「ときめき」によって「ひらめき」(閃き)、そして「きらめき」(煌めき)はじめ、そこから一気に始まった。

さて、ではその「と」から「き」を産み出したものは何なのか。

今は、観えない。

ただ、ワクワクする。そして、きっとたどり着ける。

新年、生活苦を目の前にしている人が居る中、「と」と「き」を考えることの意義があるのかと思われるだろうし、私自身、定義付けていない。

ただ、目の前の苦しみを宇宙から見下ろした時、「止」から「気」を産み出すことことができたなら、死を選ばずに済む人が居るかもしれない。

私はここにいます。

ご相談承ります。一緒に考えましょう。

djubee.dream@gmail.com
Zoomで 瞑想レッスン行います。

天野Sagjo

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