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人のぬくもりまで失いたくないから

歯医者の帰りに処方箋を持って指定の薬局に寄った。

この薬局は素敵なおばあちゃんとおじいちゃんがやっている。2人ともマスクをしていないから「もしこの素敵な人に自分がキャリアとなってコロナウイルスをうつしてしまったらどうしよう」ってとても怖い気持ちになる。

僕はただ、2人に生きていてほしい。

ただつけていないのだろうか。手持ちのマスクが足りないのだろうか。とあるコンビニでは「マスクが少ないのに店員がマスクをつけるなんて」というクレームがあって従業員がマスクをつけれなくなったらしい。クレーマーに怒りがこみ上げる。

「しゃがんで。もっと。顔近づけて。」

マスクごしにキスでもされるのだろうか。そんなセリフとシチュエーション。

「頭に桜がのってるよ。」

おばあちゃんは優しく微笑んで僕の頭に乗っていた桜をはらおうとしてくれた。
僕はおばあちゃんに顔を近づけるのが怖くて、おばあちゃんの真正面からの優しい愛情をまっすぐそのまま受け止められなくて苦しかった。

「女の子だったらかわいいけど、ぼくにはちょっとね。」

おばあちゃんっ子の僕はおばさんやおばあちゃんに子ども扱いされるのが悪い気がしない。むしろ好きかもしれない。
こんな何気ない日常の幸せも、自分がそれを壊してしまうのかもしれないと思うと怖くなる。それがただただ虚しくて悲しい。

また歯医者に行かなきゃいけないのだけれど、どうしようかなあ。薬局は別のところに変えようかな。
自分の家への帰省を断念するのと同じように、あの薬局に行くのをやめておこう。会えなくなるのは寂しいけれどどれだけ小さな可能性でも消しておきたいから。(別の薬局にすれば解決する問題なのかはさておき。)

それにしてもコロナウイルスってやつは恐ろしい。無自覚な感染があるという事実が何より怖い。明確に見えないから不安だけがずっと残る。正直うつされることよりうつすことの方がずっと怖い。人を傷つけられるより傷つけるほうが苦しいことを僕はよく知っている。それが命に関わるなら尚更だ。

不安は不信感を呼んで人と人との距離を遠ざける。小さな愛情や優しさにもコロナが挟まってきて幸せがしぼんでしまう。

コロナは人を殺すだけじゃなくて、人のつながりの強さをうばって、人の心をしぼめてしまう。人はコミュニケーションすることで生きられる社会的動物だから。地球が人間を淘汰するために放った使徒みたいだね。やっぱり私たちは罪を重ねすぎたのだろうか。

昔は環境を破壊する人間が滅びた方が地球のためなんじゃないかとか思っていたけれど、そんなことを思えないほど僕は人を好きになってしまった。汚くて憎くて愛おしい人間を。大切な人だって増えすぎてしまった。だからみんな死んでほしくない。

鬱々しくなって辛いと言っている人がたくさんいる。幸い僕はインドア耐性が強い人間なので不思議と平気で過ごせている。(というか自粛にならなくても4月はほとんど家に引きこもって過ごすつもりだった。)
でも言葉が話せなくなるのは怖いからラジオアプリに声を吹き込んでみたりしてなんだかんだ過ごしている。時々電話をかけてくれる友人が何人かいるのもすごく心強い。

せめて元気な自分は誰かのことを笑わせたり不安を軽くしてあげられる人間でありたい。それくらいしか自分にできることはないし、それができる人間でいたいと思うから。


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