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スキのむこうにある気持ち

最近はいたく心が疲れていた。出口の見えない暗い場所をずっと走っているような感じで、前に進んでいるのかもわからない。周りにある見えるはずのものが見えなくなったり、噛みしめれるものも噛みしめれなくなっていた。ただただ休まらなくてそわそわしていた。

少しずつそんな気持ちが溶けていって、少しだけ光が見えてきたような気がして、じんわりしながら霧雨の中を帰っている時、友達とメッセージのやりとりをした。

たまにnoteでスキを押してくれるともだち。

「この前noteを読んで感動したんだー」って伝えてくれた。

なんだかそれがとっても嬉しくて。

自分書いたものを通して、たった1人でも、誰かが何か豊かになったなら、それだけで書いた甲斐があるなって思う。

と、同時に自分が書くものは、自分が生きていた今までと、自分に影響を与えてくれた人たちの延長線上にあるものだから、その全部を肯定してもらったような気持ちになって嬉しくなる。

北海道から帰ってきて、東京に来た日から、渦にのみこまれるようにただただ走る日々で、色んなことが見えなくなっていたり、マイナスな可能性ばかりを見ていたけど、ちょっとだけ自分に帰ってこれた。

色んなことを伝えてくれて。だれかが押してくれたスキの向こうには色んな気持ちがあったんだなーって。しみじみ思った。

僕自信も「スキ」とか「いいね」を押すときは、色んな気持ちを抱えながらボタンを押している。くすっと笑ったり、心があたたくなったり、画面を見る顔は真顔だけど、心の中で色んな表情をしながら押している。

InstagramもTwitterもみんなそう。

昔のインターネットにはいいねとかスタンプはなくてコメントしかなかったから、比較するといいねはもっと軽いものに見えるけど、その向こうには色んな人がいて、色んな想いがある。

そのいいねが、なんとなくのいいねなのか、心からのいいねなのかはわからない。

だけど、なんとなくゆるく関わっていると、「この人のいいねはこういう時のいいねだな」とかそういうのが見えてくる。

僕はインフルエンサーとか人気の人じゃないから、スキとかいいねは少ないけれど、少ないからこそ、その一人ひとりやひとつひとつのいいねに向き合うことができていて、それは自分の特権なんだと思う。

今日もありがとう。明日もあなたのすごす1日がいい日になるといいね。

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